五話 食堂にて
ギデアが歩く外街の中は、とても長閑な場所だった。
恐らくは住宅街という場所なんだろう。住居が多く立ち並び、ところどころで雑貨屋が店を開いている。教会らしき建物もあるが、こじんまりとしたもので、住居用の建物と大差ない外観をしている。
取るに足りない有り触れた光景だが、ギデアの目には珍しく映った。迷宮を取り囲むように作られた巨大建築物の中にはない景色だからだ。
巨大建築物では、宿屋と店舗兼住居しかないし、教会は神にすがろうとする挑戦者たちのために威厳のある豪華さで飾られている。
「どちらが良いというのではなく、適した形になったというだけだろうがな」
剣の技においても同じだと、ギデアは考える。
対人戦用の剣技は、剣の振りを小さくし手数を多くして、敵に手傷を負わせることを主眼とする者が多い。怪我でう相手の動きを鈍らせたり、痛みで戦意を削ぐために。それに相手が傷を受けて降参してくれた方が、後々に降りかかる因縁が少なく済むという打算もあるために。
対獣や対魔物相手の剣技は、逆に一撃必殺を狙うことが多い。獣や魔物は最初から全力で命を狙ってくるし、多少の傷では怯まない。悠長な戦い方をしていたら、一発逆転で殺されてしまいかねない。だから一撃で素早く倒すことこそが、もっとも自分の身を安全に保つ方法となる。
対人と対魔物の戦い方のどちらが剣技として上位かは、剣術家だけでなく挑戦者たちの間でも長年にわたる議論が行われている。
ちなみにギデアは『状況による』という判断を下している。耐性持ちの魔物に対しては弱点属性の武器を用いるように、相手と状況が変われば剣技の種類を変えるのが当然であると考えているからだ。
そういった価値観を持つギデアだからこそ、迷宮付近の巨大建築物の光景と、外街の光景は別物であるとして、楽しむことができていた。
外街の住宅街の中を歩いていると、視線の先に立っている誰かの姿が見えた。
その人物は二十代に見える女性で、腰元に大きな紺色の前掛のある給仕服姿をしていた。
街の路上に立っているには不自然の服装に、ギデアは首を傾げる。
そんなギデアの行動が見えたのか、給仕服の女性はにこやかな顔で大手を振ってきた。
誰に手を振っているのかと、ギデアは周囲を確認する。しかしギデア以外に、近くに当てはまりそうな人物は存在していない。
もちろんギデアと給仕服の女性柄は初対面だ。笑顔で大手を振って歓迎されるような間柄ではない。
ギデアは疑問が尽きないままに、女性へと近づいた。
そしてギデアが口を開こうとすると、それより前に女性が言葉を放ってきた。
「待っていたんだよ。さあ、出しておくれよ」
女性の表情は楽しみで仕方がないといった笑顔。しかしギデアには、そんな表情を向けられる理由に心当たりがなかった。
「……申し訳ないが、人違いをしているのでは?」
「えっ!? もしかして、うちに食材を届けにきた、挑戦者さんじゃないのかい?」
「ああ。俺は外街を観光――いや、散策している最中だ。食材を届ける依頼など、受けていない」
「あちゃー。御免なさいね。てっきり、うちに肉を届けに来てくれる人だと勘違いして」
女性は恥ずかしそうに真っ赤な顔で弁明する。
ギデアは『勘違いは誰にもあること』と慰めの言葉を入れてから、疑問に思ったことを尋ねることにした。
「それで、肉を届けるよう挑戦者に依頼したのか? ということは、迷宮で入手する肉か?」
「そうさ。迷宮でしか手に入らない、魔物の肉。あんたも挑戦者なら、知っているはずよね?」
「十一層から二十層にかけては、獣型の魔物がでてくる。その魔物を倒すと、体の一部が【顕落物】として残る。肉もその一種。まあ、外れ扱いだが」
「ハズレって、あんなに美味い肉がかい?」
「爪や牙、骨に皮は、装備に作り変えることができる。しかし肉は食べるしか利用価値がない。だから、買い取り価格も低い。だから外れという認識だ」
「はぁ、食べ物がハズレだんて、贅沢だねぇ。流石は挑戦者さまだね」
感心と呆れの混ざった視線を受けつつ、ギデアはさらに質問する。
「魔物の肉を欲しがっているということは、どこぞの金持ちの道楽か? それとも食事処でも経営しているのか?」
「食堂のほうさ。魔物の肉が食えるのは、うちの目玉なんだよ。まあ値段が張るから、頼む人は小金持ちが多いのだけどね」
「食堂か……」
ギデアはふと思い出した。そういえば迷宮付近の店では、魔物の肉しか出てこないことを。
十一層に入れるようになった挑戦者の多くが、少しでも金を稼ごうと【顕落物】を全て――肉までも持ってくるため、どうしても在庫がダブつき気味になる。その肉を少しでも多く消費するために、迷宮近くにある飲食店では魔物の肉を使用することが義務付けられているために。
だから魔物以外の肉とはどんなだったのか、ギデアは十数年前に食べたはずの味を思い出そうとして、思い出せなかった。
では、思い出せないのなら食べてみるべきではないか、と結論に至る。
「この時間で、食事することはできるか?」
「えっ!? あ、出来るけれど、魔物の肉はないよ?」
「魔物を使っていない、普通の料理を食べてみたいんだ。あるか?」
「もちろんあるさ。うちの客の多くは金がなくて、いつか魔物の肉を食べたいと思いながら、普通の肉の料理を選ぶんだからね」
女性に案内されたのは、直ぐ近くにある食堂。
食堂といっても、住居用の建物を改造して作られたらしく、扉の前に下げられた看板以外に外観の差異は見られない。
中に入ると、多くの壁が取り払われた広い造りになっていて、調理場沿いのカウンターに十席が、四角い机と四脚の椅子の組み合わせが三つある。
こじんまりとした店内を見て、ギデアは少し驚いていた。
迷宮付近の食堂は、挑戦者が多く詰めかけることあり、百人は入れる規模の店が多い。そして少人数しか入れない飲食店は、高級料理を出す超高額店と決まっていた。
だから『貧乏人に向けた食堂だ』という風に言っていた食堂が、こじんまりとした店内なことに、ギデアは軽い衝撃を受けたのだ。
「小さい――しかし、綺麗な店だな」
つい口から出た言葉は、ギデアの本心だった。
ギデアが利用してきた挑戦者用の食堂では、机や椅子に欠けがあることは当たり前。床には料理の食べかすや染みが残っているし、傷だらけで毛羽立っている。
しかし目の前にある食堂は、たしかに小さい店舗ではあるが、隅々まで掃除と気配りが行き届いている。
机も椅子も綺麗に磨かれているし、床にはゴミや染みが一つもない。ところどころにある花瓶に生けられた花は、空間に華やかさを生んでいる。
訪れた客に心地よく利用してもらえるよう配慮された空間に、ギデアはとても好感を持った。
しかしギデアの感想を聞いて、女性は気分を害したように眉を寄せていた。
「それって、悪口を言っているのか、褒めているのか、どっちだい?」
「褒めている。これほど綺麗な食堂は見たことがない」
「いやいや、そいつは褒め過ぎだよ。このぐらいの店、どこにでもあるってもんだよ」
女性は口では自分の店を貶すようなことをいいつつも、その表情は褒められた嬉しさを隠していない。
そんな女性の言葉に反応したのは、ギデアではなく、店の中にいた別の人物だった。
「悪かったな、こんなぐらいの店でよ」
店の調理場に立って仕込みをしていた、調理服の男性が振り向きざまに言ってくる。
歳の頃は四十代。皺はあるものの、髭も髪も反り上げたつるりとした顔をしていた。
その男性に向かい、女性は呆れ顔を返した。
「なにさ。父ちゃんだって、いつも『こんぐらいの店』って言ってんじゃないか」
「自分が言うのはいいんだよ。けど他人が言うのは我慢ならねえ」
「ははっ、器が小さいねえ。それにあたしは娘で身内だよ。その言葉ぐらい、どんと受け止めたらどうのさ」
「身内だからこそ、自分の城を貶されるなると、より腹が立つってもんだ」
「城って規模かい、この店が」
この二人は、親と娘らしい。
ぽんぽんと会話が交換されている言葉使いは荒いものの、言葉の中に愛情が感じられるものでもある。
要は親しい間柄だからこそできる、言葉でのじゃれ合いでしかない。
「店のことはどうでもいいとして。父ちゃん、この人が普通の料理食べてみたいってさ」
「あん? そいつ、挑戦者だろ。肉を届けに来たんじゃないのか?」
「別口の人。この人が散歩していたところに、あたしが声えかけちゃってね。その際、うちの店の料理が気になったんだって」
調理場の男性は仕込みの手を止めると、じろじろとギデアの姿を見る。そしてボロボロの外套を見て、半目になる。
「兄ちゃん。金、持ってんだよな?」
「ここの料理の代金で、金貨を山ほど要求してこない限りは」
「ははっ、良い冗談だ。安心しな、ウチの普通の方の料理は、五品頼んでも銀貨に届かねえことを信条としてるからよ」
「ホント、父ちゃんは商売を度外視した安値で売るから困るんだ。あたしが魔物肉を使った高めの料理を提案しなかったら、この店、潰れてたんじゃない?」
「そんなことあるか! ちゃんと潰れない程度に設けられるよう、計算してたっての!」
男性が娘に言い返しながら、ある方向を指す。そこには幾つもの料理名が書かれた黒板があり、料理名の下には料金が記されていた。どの料理も、銅貨で十数枚と安い。
ギデアは料理名を端から端まで読んだ後で、料理を注文することにした。
「では――黒パン、あり合わせ煮込み、肉のおまかせで」
「あいよ。量は大盛りの方がいいか?」
「ああ、そうしてくれると助かる」
ギデアは返答してから、黒板に目を向け直す。先ほどは読み逃してしまったが、端の方に『大盛り 追加で銅貨二枚』と書かれていた。
料理の値段と比べると、大盛りにする際の代金は少し高くはないか。
そんな疑問をギデアが抱いていると、給仕服の女性が耳打ちしてきた。
「頼んだ料理一つ一つに銅貨二枚を追加じゃなくて、頼んだ料理全ての代金に銅貨二枚を追加って大盛りにする意味なんだよ、あれ。父ちゃん、どうかしてるでしょ」
「そう考えると、大盤振る舞いだな」
「だよね。本当に、料理の事ばっか達者で、金勘定がザルなんだよね。父ちゃんは」
なんて内緒話をしている間に、ギデアの前にお盆が突き出された。お盆の上には、人の顔ほどもある黒パンが一つ、頭に被れるんじゃないかと思うほどの器に入ったごった煮があり、小盾ほどの木皿の上にタレの掛かった骨付き肉がある。
その量を見て、ギデアは目を丸くする。
「なるほど、これは大盛りだな」
「おうよ。足りないようなら言ってくれ、追加してやるから」
「足りなかったら別の料理を頼むから、気にしないでくれ」
「おう。その料理も大盛りにしてやるよ」
ギデアは早速に匙を取ると、煮込み料理に突き入れた。少し匙でかき回して、中身が何かを調べていく。芋を始めとする数種類の根菜と、大粒の豆、肉の切れ端が入っている。
一掬いして口に入れると、ちゃんと塩気と出汁の味があり、その味が野菜と豆と肉に染み入っている。
「これは美味い。この美味さと量で、あの値段か。価格破壊もいいところだな」
「ははっ、嬉しいこと言ってくれる。揚げ肉、追加してやろうか?」
「父ちゃん! オマケは程ほどにって、何時も言ってるでしょ!」
父親と娘のやり取りに、ギデアは忍び笑いを零す。
ギデアは煮込みの知るに千切った黒パンを浸しながら、視線を向けた肉に対して違和感を覚えた。
なにに違和感を感じているのかと考え、それが『骨』であることに気付いた。
「店主。この肉は、なんの肉だろうか?」
「豚のあばらだよ。この街の最外縁部にある農場から仕入れて、熟成させた肉だ。美味いぞ」
「豚か。そうだな、豚には骨があるものだ」
ギデアの言葉は、当然のことを口にしているように聞こえるだろう。しかしギデアにとって、料理に使われている肉に骨が突いていることが、少し衝撃的だったのだ。
なにせギデアが、ここ十数年食べ続けてきた魔物の肉には『骨がない』――正確に言うと【顕落物】として出てくる肉に骨がない。なにせ骨は骨で、別枠の【顕落物】として出現するからだ。
そのため目の前にある料理のように、骨付き肉が迷宮周辺の魔物肉ばかりを用いる飲食店で出てくることは、絶対にない。
しかし普通は家畜を解体したら肉と骨が出てくるものだと、ギデアは今更ながらに思い出した。
加えて、子供の頃に卵を産まなくなった鶏を解体して、その肉と内臓と骨と畑の野菜とで鍋を作ったことも。
「骨のある肉とは、こんなに良い味だったな」
ギデアが零すと、なぜか調理場の男性の顔が嬉しそうに綻んだ。
「骨周りの肉は美味いんだよな。それに食べづらいから、安く仕入れることが出来るしな」
「でも、父ちゃんは安いからって、色々と買いすぎ。前なんて、豚の足なんて貰ってきたんだよ。タダだったって、笑顔でさ」
「煮て、焼いて、タレをかけたら、美味い美味いって、お前も大喜びだったじゃねえか」
「そりゃ、美味しかったよ。でも豚の足をしゃぶる姿なんて、他所に見せられやしないっての」
「食べる姿を恥ずかしがるタマかよ、お前が。鶏腿の揚げものを両手に持って、むしゃむしゃ食っているってのによ」
「そりゃ、あたしの子供の頃の話だろ! いまじゃ、もっとお淑やかに食ってるって!」
「二本を一本にしただけじゃねえか。むしろ食べる量は三本に増えてるだろうが」
「ちょっと! 初めてのお客さんに、なんて話を聞かせるんだ!」
ぎゃーぎゃーと喧嘩を始める親子を無視して、ギデアは料理を集中して食べ進めていく。望郷の念を度外視しても、集中して食べるべき美味しさの料理だからだ。
もくもくとギデアが食べ進めて料理の大半が消え、親子の口論が落ち着いてきたころ、店の中に入ってくる人物が現れた。
入ってきたのは、鎧と武器とを装備する五人の男性たち。
ギデアはチラリとその五人に視線を向け、その全員が迷宮挑戦者だと見抜いた。それも駆け出しから一歩抜け出した、それなりに迷宮行に慣れた人たちであることも。
その五人の挑戦者たちは店の中を見回すと、給仕服の娘の方に視線を固定した。
「やあ、アンナさん。注文いただいた通り、魔物の肉を納品しに来ましたよ」
「種類は何でもいいってことだったから、何種類かを入れてきたぜ」
「わあ、ありがとうございます! 代金、お支払いしますね」
給仕服の女性――アンナは、急にニコニコ顔の猫を被り、五人の挑戦者たちの相手を始める。
ギデアは、一瞬だけアンナが挑戦者たちの誰かに惚れているのかと疑ったが、愛想の良い態度の中にある種の冷たさを見つけ、単純に取引先相手に愛想良くしているだけなのだと看破した。ここで興味を失い、料理を食べることに戻る。
ギデアは最後の黒パンの一欠けらを、具を食べ終えた煮込みの汁に浸す。そのとき、五人の挑戦者の誰かから声をかけられた。
「おい、アンタ。もしかして【ホラ吹きのギデア】じゃねえか?」
呼びかけられた声には、一切の敬意が感じられなかった。むしろ隠しきれない嘲りが含まれている。
ギデアはよくある手合いだなと感想を抱きつつ、汁を吸ってふやけた黒パンを口に入れながら、五人の挑戦者たちへと向き直った。