三話 屋上の景色
ギデアは屋上の花畑の中を歩いて、気付いたことがある。
この長閑な花畑にも、働いている人がいるということを。
穴の付近で声をかけてきた老人も、働いている人ではあった。しかし老人は屋上で働く人ではあっても、花畑で働く人ではなかった。
そしてギデアの目の前には、いままさに花畑で働いている人たちの姿があった。
花畑の中に入り、雑草と思わしき草を抜き取る人や、萎れてしまった花を摘む人、土に触れて水気のありなしを図る人、花を積んで花束を作成する人。
そういった花に直接関係する人の他にも、花畑の側にある箱で作業をする人もいる。空中を飛び回る大量の黒い粒々にまとわりつかれながら、白い衣服で全身を覆っている人たち。彼ら彼女らの手にあるのは、箱から抜き取った板。その板から、陽光を受けて金色に光る粘液が垂れ落ちている。
「あの色は蜂蜜。ということは、あの飛ぶ黒い粒は蜂か」
ギデアは蜂蜜や蜂は知っていても、どうやって蜂蜜を採るかまでは知らなかった。だから蜂蜜が花の蜜から蜂が作り出すことも、蜂の人工繁殖――養蜂も知らなかった。
だからギデアの目には、蜂にたかられながら作業をしている、白い衣服の男女の姿が奇異に映った。
どうして蜂を皆殺しにしてから蜂蜜を採らないのか。その方が安全ではないのか。白い服を着るのにはどういう意図があるのか。そもそも蜂とは箱の中で暮らすいきものなのか。
色々な疑問が沸くが、自分の頭では答えが導けない。
これは作業が終わるのを待ってから、話を聞くべきだろうと、ギデアは考えた。
そこでギデアは長椅子に座り、陽光を体に受けながら待つことにした。
座って待っている内に、陽の温かさが体に染みてくる。黒色は陽光を貯める性質があるため、ギデアのボロボロの黒い外套もポカポカと暖かくなってくる。
こうやって前進に陽光を浴びるなど、何時振りだろうかと、ギデアは目を瞑って回想してみた。
迷宮街に入り迷宮に挑むようになってからは、迷宮の出入り口付近で暮らしてきた。あの場所では、差し込んでくる陽光が体に当たることはあっても、意図して浴びるようとはしてこなかった。
では迷宮街に入る前――未だにギデアが剣術道場の師範代を勤める親の元で暮らしていた頃だろうか。
しかし才能の頭角を現わ出した頃からは、剣の道に邁進する日々で、太陽の光を浴びる暇などなかった。
ではそれ以前の、まだ童と呼ばれていた頃はどうだろう。
ここでようやくギデアは、太陽の下で寝コケていた子供の自分の姿を思い出す。あまりに長い間、陽光の下で寝ていたため、変な日焼け跡が体についてしまい、家族に笑われた経験を思い出したのだ。
「ふふっ。そんなこともあった。忘れていたな」
懐かしさで笑みを零したところで、蜂蜜採取の人たちの仕事が一段落ついたようだった。
巣箱から離れて白い頭の覆いを外す人たちの姿を見て、ギデアは彼ら彼女らに近づいた。挑戦者然とした姿を警戒されないよう、敵意はないのだと態度と身振りで知らせながら、ギデアは蜂のことについて知るべく近づいていった。
ギデアが蜂の事について尋ねると、養蜂作業をしていた人たちは快く応じてくれた。
どうして白い衣服を着ているのか、蜂の習性、巣箱の意味、蜂蜜採取の方法。
そんな事を教えてくれながら、巣蜜を一欠けギデアに手渡した。
「これが迷宮街の味ですよ」
「迷宮街の、というと?」
「蜂たちは、この花畑の他に、あの穴から下――挑戦者の皆さんが暮らす場所からも、蜜を集めているんですよ。だから迷宮街の味なのです」
「迷宮の出入口付近まで蜂が来ているのか?」
「ええ。見かけた蜂に連れられて、この屋上に来たという方は、意外といますよ」
そういう縁もあるんだなと感じながら、ギデアは渡された巣蜜を口に含む。
舌にのせた瞬間から、巣の六角形の格子状の穴から染み出てきた蜂蜜の甘さが広がる。その味を舌先で弄びながら堪能した後、巣を奥歯でゆっくりと噛む。顎の力を増していく度に、口の蜂蜜の味の濃度が高まっていく。
その濃度の高まりで、蜂蜜の中にある甘さとは違った匂いが立ち上り始める。花の香り、植物特有の青苦さ、樽熟成の酒のような匂いも、そこにはあった。
「一味目は単一に感じても、良く感じれば複合された味となる。なるほど、これが迷宮街の味か」
「乙な味でしょう。土産物としても、中々の人気なのですよ」
「人気が出るのも頷ける――ん? 土産とは?」
ギデアは、この蜂蜜は迷宮街で作られたものだから、迷宮街で消費されているものだと自然と思っていた。
しかし『土産』という単語からは、迷宮街の住民以外が買っているという意味が受け取れる。
では、迷宮街の住民以外の誰が買っていくのか、それがギデアは気になった。
「土産を買う方ですか? それはもちろん、この迷宮街に訪れた商人や観光客が勝っていかれるのですよ」
「商人はわかるが、観光客だと?」
ギデアは、この迷宮街にやってきて十年以上挑戦者として暮らしている。
その挑戦者人生において、観光客という存在を目にしたことはなかった。
その事実と養蜂家の発言との差に、ギデアは疑問を感じずにはいられない。
養蜂家は、ギデアが疑問に思っていることが分かったのだろう、すぐに補足説明を入れた。
「観光客は穴の中――いえ、迷宮の出入口付近には入れないようになっているのですよ。昔、観光客が迷宮の中に入ってしまい、大迷惑に発展したそうでして。出入口付近の場所は、迷宮挑戦者とそれに関連する店の従業員以外、入れないことになったのです。だからこそ、この蜂蜜もよく売れるというわけでして」
「観光に来たものの、挑戦者が闊歩する場所には行けない。であれば、その場所の雰囲気を味として感じられる蜂蜜を欲しがっているということか」
「ええ、その通りで。でも正直申しまして、私どもも穴の中に入ったことはないので、この蜂蜜を食べて迷宮のことを感じられるのだとは断言し辛い部分がありましてね」
「入ったことがない? この屋上にいるのにか?」
「養蜂は、挑戦者さんたちとは直接関係のない職業です。なので私どもは、穴の中どころか、この建物の中に住むことすら許可が下りないのですよ。この屋上に立ち入っているのも、この花畑を有効活用するための特別措置のようなものでして」
「そうだったのか。では、どこに住んでいるんだ?」
「それはもちろん、この巨大な建物の外に広がっている、街の中ですよ」
「……この建物の外に、街なんてあったか?」
ギデアは首を傾げ、過去の光景を思い出そうと試みる。
ギデアは成人として扱われる十五歳で、故郷を飛び出して、この迷宮街にやってきた。迷宮挑戦者となり魔物と戦うことで、自身の剣の腕をさらに引き上げるために。
その当時、街の外から迷宮の出入口付近まで歩いて来たはずなのだが、迷宮の出入口周辺に立てられた巨大建築物以外に思い出せる光景がなかった。
いや、なんとなく道の両側に建物が並んでいた気はするものの、それがどんな光景だったかは霞みが掛かっているかのように、ぼんやりとしか思い出せないのだ。
「ふむっ、思い出せん」
「はははっ。この建物の外に出た挑戦者さんの多くも、似たような事を仰ってますね。外に街が広がっていたことなんて、覚えてなかったと。丁度良い。屋上に来たのですから、穴とは反対側に行き、外に広がる街を見てみればよいかと」
「そうだな、折角の機会だ。屋上から見てみるとしよう」
ギデアは養蜂家たちと別れると、巨体建築物の外周へと向けて歩き出した。
屋上はかなり広く、少し歩いただけでは辿り着かない。
歩きながら見回すと、屋上に通じる階段は幾つもあるらしく、ところどころに下り階段の姿が見受けられた。
ここまで上ってきた階段とは別の道から地上へと戻るのも、それはそれで楽しそうだと、ギデアは思案する。
そして穴の縁から五百歩ほどの距離を歩いて、屋上の外縁部に到達した。
外縁に設けられた策に手を乗せながら下へと視線を向けると、そこには背の低い建物がずらりと立ち並んでいた。建物が立ち並ぶ端はどこかと視線を遠くへ向けると、それはかなり遠くの場所にある。ギデアの目算では歩いて四半日は確実にかかる、と思えるほどの遠さだった。
建物と建物の間には、小麦粒ほどに見える人たちが行き交っている。疎らな場所もあれば、密集している場所もある。しかし総じて考えると、中々に多くの人たちが暮らしていることが伺えた。
「ふむっ。あちらの街に降りてみるのも面白そうだな」
どうやって行ったものかと見回すと、ギデアの足元にある巨大建築物の外側が緩やかな斜めの壁面になっていることに気付く。そしてその壁面には、地上まで続く一直線の階段が設けられていた。この階段を利用して、養蜂家たちは屋上までやってきているんだろうと予想がつく、そんな階段だ。
ギデアはその階段を踏み、地上へ向けて下っていくことにしたのだった。




