二話 巨大建築物の屋上には
朝になり、ギデアは宿屋【燕の巣】の出入口から外に出ようとした。
その姿を、宿屋の店員が見つけた。
「いってらっしゃい、ギデアさん」
店員の言葉に、ギデアは違和感を覚え、足を止めて振り返る。
「なんだか、初めて聞いた気がするが?」
「単泊のお客さんには、またのお越しをお待ちしております。連泊のお客さんには、いってらっしゃい、なんですよ」
「なるほど。だからか」
ギデアは、いままで単泊でしか宿を利用してこなかった。だから知らなったのだと納得した。
店員に見送られながら宿を出て、ギデアは『これからどうしようか』と考える。
今までなら迷宮へ直行していただろう。
しかしいまは、少し迷宮から距離を置きたい気分だった。
迷宮以外の場所となると、ギデアの選択肢が少ない。
【互助会】に顔を出す――迷宮と関りある場所なので却下。
武器や防具の調整のために武器屋――宝剣も鎧も整備の必要はない。
消費した物資を買うための道具屋――迷宮にいかないのなら余裕があるので必要なし。
飯屋――宿で朝食を食べた。
挑戦者として活動してきた中で行っていた場所は、網羅してしまった。そして、その何処にもいく気になれなかった。
「どうしたものか」
ギデアは行き先を考えて、ふと上へと続く階段が目に入った。
そしてあることに気付いた。
「そういえば、この建物の上はどうなっているのか?」
迷宮の出入口を取り囲むように、上へ上へと増改築された建築物が連なっている。
ギデアも評判の店を探しに、建築物の中を上へ下へといったことはある。しかし『屋上』と呼べる場所まで上った記憶がなかった。
「ふむっ。行ってみるか」
暇つぶしに、気になった場所に行ってみるのも一興だ。
そんな気持ちで、ギデアは上へ続く階段に足を掛けた。
巨大建築物の中にある階段は、利用者に意地悪な作りになっていた。
大多数の階段は屋上までは通じてなく、たまに増築された建物の壁で途切れてしまっていることもあった。
ギデアも階段で行き止まりに当たると、また別の階段を探して進んでいくしかなかった。時折、上へ続く階段が見つからず、来た道を引き返さないといけないこともあった。
まるで迷宮の中を歩いているような感覚になるが、魔物が出てこないことが違っていた。
それでもギデアは諦めることなく、上へ上へと進んでいった。
やがて、それなりに長い時間がかかって、ギデアは屋上へと到達した。
増改築の果てに巨大建築物となった場所の屋上には、とても意外な光景が広がっていた。
「これは、花畑か?」
そう、一面に広がる色とりどりの花が、屋上を埋め尽くしていたのだ。
ギデアが視線をぐるりと回すと、花畑の間には小道が作られていて、その道の途中途中には長椅子が幾つも置かれている。そして長椅子のいくつかには、のんびりと風景を楽しんでいたり、日向ぼっこをしていたり、寝ている人の姿があった。
この光景に、ギデアは驚いていた。
なにせギデアが体験してきた迷宮街では、こんな長閑な空気を感じることができなかったからだ。
迷宮内は生きるか死ぬかの世界で緊張感が溢れていたし、迷宮出入口付近は生命力溢れる挑戦者の喧噪で賑やかで、挑戦者たちを相手にする商店は少しでも稼ごうと躍起になっている。
そんな光景が迷宮街の常識だと、ギデアは思っていた。
しかし屋上には、これほど長閑な光景がある。
この光景もまた、ギデアの知らなかったものだ。
人が居るのを見るに、秘密の花畑ということではないのだろう。
この屋上は、知ろうと思えば、誰もが知れる場所。
それをギデアが知らなかったのは、迷宮の事と自分の剣の腕前の事のみに注力してきたからだ。
「知らず知らずのうちに、視界の幅が狭くなっていたのかもしれんな」
ギデアは自制を込めた呟きを放ち、歩き出す。花畑の光景を目に入れることも目的だが、屋上に出て気になったことが一つできたからだ。
迷宮の出入口から上を見上げると、まるで広い井戸の底のような光景が広がっていた。
であれば屋上から迷宮の出入口を見ると、どんな光景となっているのか。
それがギデアには気になったのだ。
花畑の中の小道を歩き、ときおり出くわす人たちに会釈しながら、建築物中央にある穴へと向かっていく。
やがてたどり着いたその場所は、穴の周りをぐるりと柵が囲っていた。
しかし柵といっても、せいぜいが大人の腰までの高さがあるだで、乗り越えようと思えば簡単にできるものだった。
ギデアは柵を乗り越え、穴の縁へと足を進ませる。そして下を覗くと、少し意外な気持ちになった。
「ふむっ。井戸のようにつるりとした壁面かと思っていたのだが、ところどころに出っ張りがあるのだな」
増改築の際に突き出てしまったのか、建物の角や柱で穴の外周はデコボコしていた。
迷宮の出入口から見上げるときには気にならなかったが、屋上から見下ろすとハッキリと気になってしまうあたり、何か違いがあるようだ。
ギデアは穴から視線を上げて、空を見上げる。太陽が燦燦と輝いていた。
穴の底にも太陽の光は届くし、ランタンを始めとする色々な灯りで迷宮の出入口周辺は明るい。しかs上空を遮るもののない屋上に降り注ぐ陽光とは、比べ物にならない。
きっとこの光の量の差が、穴の外周にあるデコボコが気になるか気にならないかの差になるのだろう。
そうギデアには感じられた。
そんな観察と考察を行っていたギデアに、後ろから声がかけられた。
「おい、兄ちゃん。飛び降りる気があってもなくても、まずは柵の内側に戻ってこい」
ギデアが顔を向けると、そこには厳めしい顔の老人が立っていた。長身のギデアとは頭一つ分低い身長だが、総白髪で深い皺のある顔とは似つかわしくないほど鍛えこまれた肉体を持っている。
ギデアはなんとなく、元挑戦者なのだろうと察した。
ギデアは老人の忠告通り、柵の中に戻った。屋上から穴を見れたので、もう目的は果たしているため、拒否する理由がなかった。
「これでいいか?」
ギデアが尋ねると、老人はギデアの姿をジロジロと見始めた。
「どうやら、死にに来たって感じじゃあ、なさそうだな」
「死にに?」
「ああ。この屋上までくるヤツはな、ああして心の栄養を取りに来るか、穴に身を投げにくるかの二通りしかない」
心の栄養という聞きなれない単語に、ギデアは疑問を抱いた。しかし老人が示す先に、ベンチで寝る人が居るのを見て、どういう意味なのかを察した。
「俺も、心の栄養を取りにきた類だ。屋上がどうなっているのか、屋上から見える穴の光景はどんなものか、気になったんだ」
「そうかそうか。それならいい」
老人はそれだけ言うと立ち去ろうとしたので、ギデアはつい呼び止めてしまった。
「少し質問してもいいだろうか。どうして声掛けを?」
「……オレっちの仕事だからだよ」
「仕事? 声をかけることがか?」
「穴に身を投げて自殺するヤツは、挑戦者が多いんだ。それを呼び止めて、改心させ、また迷宮に挑ませることが、オレっちの仕事なのさ」
「迷宮、挑戦者――ということは【互助会】からの仕事か?」
「そうだ。オレっちのような耄碌爺に年金を与える代わりに、この仕事を任せているのさ」
「その口振りでは、貴方以外にも多くいるのか?」
「それなりの数いるさ。この花畑は広いからな。オレっち一人じゃあ、対処しきれねえよ」
「貴方一人では防ぎきれないほど、自殺者がいると?」
「挑戦者が死にたくなる事は多いだろ。特に、仲間が自分だけを残して死んじまったときとかな。【互助会】にとっちゃ、そうやって生き残ったヤツが死なれちゃ困るんだよ」
「困る、とは?」
「【互助会】からしたら、生きて帰ってきて【魔晶石】と【顕落物】を納めて貰いてえ。他の仲間が死んだのに、自分だけ生き残ったようなヤツは、生きて帰る才能がある。その才能を持つヤツに自殺なんてされたら、【互助会】にとって損失だろ?」
「なるほど。しかし、生き残った者の中には、仲間を囮にして逃げた卑怯者がいるかもしれんだろ?」
「はんっ。そんな我が身可愛いと思っている野郎が、屋上から身を投げようとするかよ。仲間の死を気に病むような真面目なヤツしか、屋上まで死には来ねえよ」
「どうして、そう言い切れる?」
「お前さんも屋上まできたなら知っているだろ。ここまで直通で来れる道はねえ。最低でも四回は、別の階段を利用する必要がある。ちょっとした思いつきで死のうと考えるようなヤツは、屋上まで行く手間が嫌になって諦めんだよ」
「その手間を支払ってまで死のうとする者は、ある種の責任感が強い人物ということか」
「そういうこった。まあ、兄ちゃんには関係のない話だろうけどな」
老人は話を終えたと背を向けて去ろうとして、ふと何かを思い出したような表情でギデアに再び向き直った。
「なあ、兄ちゃん。あんた【ホラ吹きのギデア】かい?」
面識のない老人に仇名を言い当てられて、ギデアは意外感から片眉を上げる。
「その通りだが、それがどうした?」
「いや。噂に聞いた通りの容貌をしているからな、気になっただけだ。しかしなぁ、ホラ吹きって呼ばれるほど、腕前を自慢するようには見えねえが……」
老人は自分の見識眼に自身があるのだろう、不思議そうにギデアを観察する。
ギデアは、よくある事だと思いつつ、自分がホラ吹きだと呼ばれる原因を口にした。
「俺は単独行の挑戦者だ。そして三十一層に到達している」
「はぁ? そんな馬鹿な話が――って、嘘を言っている風じゃねえな。ははん、なるほど。嘘のような本当の話を口にしやがるから【ホラ吹きのギデア】ってわけかい」
「俺は事実しか言っていない。が、信じる者は少ないということだ」
老人が納得した風に頷いているので、ギデアも質問を返すことにした。
「【ホラ吹きのギデア】は、名が通っているのか?」
「有名人だよ。有名過ぎて、兄ちゃんと同じ見た目になるのは拙いってんで、安物の黒い外套の売り上げが減っているってよ。兄ちゃんが有名になる前は、かなりの稼ぎ頭だったってのにな」
「そんなにか? それに、よく服のことなど知っているな」
「この街に住んで長えんだ。服飾屋の知り合いも多いさ」
老人は他に質問はないかと視線で問いかけてきたが、ギデアは首を横に振る。
「それじゃあオレっちは行くぜ。有名人に会えてよかったよ。これで酒場で話すネタが一つ増えた」
「俺のことを話題にしても、つまらんと思うが?」
「なに、仮につまらなくても、酒を一口飲む肴になりゃいい。酒場のネタなんて、そんなもんだ」
老人は言葉を残し、スタスタと去っていった。
ギデアは老人の言葉を受けて、酒場の作法にも疎いことを自覚した。
「ふむっ。あまり喧噪で五月蠅い酒場には入りたくないのだが」
知らないことを知ろうとしているいま、酒場にも足を運んでみるべきだろうか。
ギデアはそんなことを悩みつつも、まずは屋上の花畑を堪能するべきだろうと考え直したのだった。




