エピローグ ホラ吹きと仇名されて『いた』男は迷宮街で半引退生活を送る
ギデアは半引退生活を続ける中で、自分の剣技を向上させる方法を確立した。
迷宮の中で魔物相手に自分の剣技の調子の把握を実戦で詰む。迷宮から帰ってきたら『挑まれ屋』の客である迷宮挑戦者を相手にして、相手の戦技の見取りと多人数に対する戦い方を研鑽し、それら戦いの経験を自己鍛錬で身に沁みつける。その後は、外街を歩いたり農場や牧場へ出かけたりして戦いの場から離れ、知らなかったことを知る時間を作る。
戦いから離れる時間は、ギデアの頭脳に休憩と刺激を与え、戦いへの新たな発想を作ってくれる。『挑まれ屋』の戦いでは、ギデアにはなかった戦法を目にできる上、その戦法を発展する道筋も見えてくる。魔物相手に新たな発想と戦い方を試せば、今まで以上に剣技が冴えていることを実感できる。
この好循環の輪廻で、ギデアの剣技は日毎にメキメキと上達していっている。
もちろん、何事にも絶対や永遠はない。
今のギデアにとっては最前の方法であっても、未来のギデアにとって最適な方法でなくなる可能性もある。
それでも、今まで迷宮に挑むだけでは向上できなかった場所まで、この方法で至れているのだ。
ギデアは、技術の向上を実感できなくなるまで、この方法を続ける気でいる。
そんな半引退生活を、ギデアが満喫するようになってから、ギデアの周りに変化が現れた。
まずは、挑戦者たちや【互助会】に関係する人達。彼ら彼女らのギデアに対する態度が、かなり変わった。
ギデアが【互助会】の建物に入ると、それが如実に分かる。
真っ先にギデアに声をかけてくるのは、『挑まれ屋』の客として来る挑戦者たちだ。
「おい、ギデア! 次は必ず勝つからな! 良い景品用意しておけよ!」
「必殺の布陣を用意したぞ! 次こそはお前が負けるときだ!」
「あのあの! 景品に弓の追加を希望します! 追加されたら、私のやる気が上がりますので!」
「【互助会】の酒場が、食材や酒を大量に買い込んだそうだぜ。次は絶対に料理と酒を切らさないようにしたってよ!」
一対一に拘って挑んでくる者。多数で挑んで勝ちを狙う者。『挑まれ屋』自体を興行として楽しむ者。興行の後の恒例となった食べ飲み放題を心待ちにする者。
それぞれの目的は違えど、誰もがギデアが『挑まれ屋』を開くことを望んでいる。
ギデアは、今日は『挑まれ屋』を開く気はないので、手振りでまた今度と告げて、彼ら彼女らと離れていく。
そんなギデアの態度を見て、こそこそと内緒話する挑戦者たちもいる。
「ギデアぐらいだろ、あの人らにぞんざいな態度を取っても許されているのって」
「ああ。あの人ら、ほぼ全員が二十層越えの超一流の挑戦者たちで、中にはナメたら殺すって公言していた人も居るぐらいだからな」
「でもまあ、ギデアならって、納得も行くよな」
「……『挑まれ屋』で実際に戦って、ギデアの強さが身に染みた。あれは金貨を捨てただけだった」
「お前、一瞬で負けたんだっけな。それじゃあ確かに、金貨を捨てたようなもんだな」
ギデアの強さに、呆れと憧れの感情を交えた言葉を零す会話。
ギデアに関する話題では、この手の会話が建物内では多くを占めていている。
しかし、少し別種の会話もある。
「オレらが『挑まれ屋』に挑戦したとき、いやに戦いを長引かされたのって、悪口を根に持って甚振っていたからだって、絶対」
「俺らぐらいの実力で瞬殺されなったと考えると、それマジであり得るな」
「でもよ、怪我なく戦いが終わったんだ。骨折や打撲ぐらいは模擬武器でもできるだから、手加減されてたってこったろ?」
「いやいや。オレらへの周囲からの評判聞いてねえのかよ。【弱腰】って呼ばれてんだぞ。名声に傷がつけられまくりだろ」
「集団で戦って、全ての戦法を潰されて、俺ら腰がマジで引けてたからな。仕方ねえって」
ギデアの『挑まれ屋』の戦いぶりは、野次馬から見られている。そこで見るに堪えない醜態を晒そうものなら、不名誉な仇名が付けられてしまうことに繋がる。
ギデアに恨み言を吐いている人の多くが、その不名誉な仇名をつけられた者たちだった。
そして不名誉な仇名を払拭するには、それなりの成果を周りに示す必要がある。
迷宮の二十層を突破したり、強い魔物を倒した証明で魔物の【顕落物】を掲げてみせたり、珍しい種類の【顕落物】を競売に出品したりすれば、仇名は変わるだろう。
しかし一番手っ取り早いのは、ギデアの『挑まれ屋』に単独で挑むことだ。
「仇名を払拭するには、ギデアに一瞬で負けたらダメみたいだ。少なくとも、周りから頑張ったと思われる程度には、生き延びないといけないらしい」
「頑張ってくれ。お前だけが頼りだ。俺らの中で、善戦できそうなのは、お前しかいないんだ」
「【動く死体】だなんて仇名、早く取り払いたいわ。それもこれも、変な真似をしたアンタのせいだからね」
「うっせえな! 貧民街の出身者は、いざとなったら自分の身を犠牲にしてでも敵の武器を抑え込めって教えられてるんだよ!」
「それで勝ててれば良かったんですけどね。負けてしまえば、卑怯者と呼ばれるよりも不名誉な仇名がついても仕方がないですよ」
多くの挑戦者が、ギデアに関する話題で盛り上がったり、意気消沈している。
そんな人たちの反応を、当のギデアは気にしていない。気にしたところで、自分の剣技の向上に生かせるものではないと、そう思っているからだ。
ギデアは建物の中を進み、総合受付の前まできた。
ギデアの登場を、受付嬢は満面の笑顔で迎えた。
「ギデアさん、お待ちしておりました! 実は【紅玉動像】の【顕落物】が欲しいという方々から、強く要望が来ておりまして。ギデアさんにお願いしたいかなーと」
「……剣技の確認のために戦う予定だから、倒したら持って来よう。しかしどんなものが出るか、出てみないと分からんぞ。それに何回も戦う気はないからな」
「分かっていますとも。【互助会】側が無理を言っているんです。【顕落物】の指定はしませんし、売却益のギデアさんの取り分も色を付けますから」
「金なら余っているぐらいだから、その辺は気にしなくていいぞ」
「いえいえ、そういうわけにはいきません。会長からも『ギデアがへそを曲げないよう気を付けてくれ』って言われているんですから」
「そんなことをした覚えも、する気もないが?」
「ギデアさんは兎も角、他の挑戦者の方はやるんですよ。事前に内容を取り決めても、苦労した割に報酬が少ないって駄々をこねて、要望が通らないと分かると拗ねるんです。まったく、飴を欲しがる子供かって言いたいものです」
ぶりぷりと怒る受付嬢を、ギデアはまあまあと身振りで落ち着かせる。
「【紅玉動像】の【顕落物】以外だと、なにが足りていないんだ?」
「どんな物でも売り先はあるので、どんな物でも持ってきて欲しいですけど――犯罪者の討伐依頼は、もう受けて貰えないのですよね?」
「……三組討伐して確信した。あんな連中との戦いに得るものなどない。やるだけ無駄だとな」
「そうですか。【互助会】としては、迷宮内の犯罪者が消えてくれたほうが助かるんですけど、ギデアさん以上に犯罪者の発見と討伐が早い人はいないんです。だから惜しいなって」
「悪いが、何と言われても、犯罪者の討伐依頼は受けない。例外があるとしたら、その犯罪者がとても強い場合だけだ」
「なるほど。犯罪者が強ければ、受けてくださると。特記しておきましょう」
ギデアが総合受付から離れると、備え付けの酒場から声がきた。それは調理担当の声だった。
「おい、ギデア! 『挑まれ屋』の打ち上げをするのは構わねえが、金を払うだけじゃなくて、迷宮産の肉も持ってこい! お前さんの腕前なら、多く集めらえるだろ!」
「構わないが、どうしてだ?」
「本来【互助会】に売られた肉は、商人へ売るもんなんだよ。それなのに打ち上げに必要だからと確保しちまったら、流通するもんがなくなっちまうだろうが」
「そういうものか。分かった。倒した魔物が肉を落としたら、それを持って来ることにする」
こんな風に、【互助会】の職員たちもギデアに対する評価を露わにしている。
この職員の対応と、挑戦者の意識が変化したことで、誰もギデアの事を【ホラ吹きのギデア】とは呼ばなくなっていた。
迷宮行を終え、『挑まれ屋』を開催して打ち上げを行った、その翌日。
ギデアは宿を出て、迷宮を取り囲む巨大建築物の屋上へと出た。革鎧を着た体をボロボロの黒外套で包み、背中に大型の不思議な鞄を持った姿だった。
この屋上にも、ギデアは何度となく足を運ぶようになっていた。
色とりどりの花が咲き乱れる光景を目にすると気分が良くなることも訪れる理由の一つだが、この屋上に訪れる人の観察することも理由だった。
今も、かなりの年嵩の老人が生気のない顔の挑戦者を諭して自殺を思いとどまらせ、長椅子に寝転んで日光浴をする者、花壇の手入れや植え替えをする人たち、分蜂した蜂たちを新しい巣箱に入れようと四苦八苦している養蜂家がいる。
そんな人たちの行動を見て、ギデアは自分の行動の変化は屋上から始まったのだと思い返すことができる。だからこそ、この屋上の光景が好きになった。
ギデアは一通り景色を堪能すると、次の場所を目指して進むことにした。
屋上からの階段で、直接外街へ下りる。階段の出入口を警備をしている衛兵も、すっかりギデアと顔見知りだ。
「またアンタか。挑戦者なのに、あいかわらず暇そうだな」
衛兵はギデアの正体を、一挑戦者という以外に知らない。ギデアは自己紹介しなかったし、衛兵も不必要だからと身元を確かめることをしてこなかったから。
挑戦者たちや【互助会】の職員がギデアの強さを知ったいま、前と同じ態度で接してくれるこの衛兵は、ギデアにとって貴重な相手だ。
だからギデアは、問われない限りは身元を明かすべきじゃないと密かに思っている。
「暇だぞ。なにせ挑戦者は、一度迷宮に行くだけで大金を稼げるからな」
「アホぬかせ。階段を守るだけの衛兵だって、迷宮のことは知ってるんだぞ。一度の迷宮行で大金を手にできるのは、ほんの一握りだってな。アンタは見るからに、そんな凄い挑戦者じゃないだろ」
「さて、どうだろうな。ともあれ、予定があるからな、通させてもらう」
「構わないぞ。相変わらず、挑戦者が外街に何をしに行く必要があるのかは疑問だけどな」
「確かに、迷宮の出入口周辺で手に入らないものはない。だが、外街じゃないと見れないものもある」
「そういうものか?」
短い会話の後で、ギデアは衛兵と別れた。
そして向かった先は市場。
朝早くも遅くもない時間の市場は、客足が落ち着いていた。それでも多くの客が屋台を覗き、あれやこれやと買い込んでいる。
このぐらいの人の多さなら、ギデアは人にぶつからずに進むことが出来る。
ギデアは、人と人の間を擦り抜けるようにスイスイと進んでいく。
別に見たい店があるわけでもなく、待ち合わせをしている人がいるわけでもない。ちょっとした時間つぶしには、この市場という場所はギデアにとって都合が良かっただけだ。
屋台の品物に目を向け、珍しい物を見つければ店主に尋ね聞く。会話の中で別の街の話がでれば、その街の話もとお願いする。会話の代金に品物を買い、また別の屋台で同じことをする。それを繰り返していく。
ギデアは未知を既知に変えられたことに満足していると、路地に貧民街の子供がいることに気付く。
『挑まれ屋』の話を貧民街の子供にしてやった結果、自分たちも挑んでみたいと言い出して困っている。そう貧民街出身の挑戦者たちに相談されたことが重なり、それならとギデアは貧民街の空き地の道場に、たまに顔を出すようにしていた。
もっとも貧民街の子供相手に『挑まれ屋』をしたのは一回きりで、それ以降は『大先輩』や『大先生』と呼びかけてくる子供に剣術や体術の手ほどきをしてあげている。
ギデアが教えるだけで得る者がないかというと、実はそんなことはない。
理解力が弱い子供に剣術を教える際、子供たちに納得できるよう言葉で仕組みを伝えることは、ギデアが自分の剣技に対する理解を深めることに繋がった。
それに子供は、大人にはない柔軟な発想で、突拍子もないことを行う。その大半の行動は失敗に終わるが、ギデアの目を通すと、有用そうな可能性があるものがゴロゴロと見つかる。その発見を磨いて自分の技術に応用することが、ギデアは子供たちに教える際の楽しみだった。
ともあれ、その教室の中で見た顔の中には、路地の子供は居なかった。
しかしその子供のいる場所から、さらに奥の路地へと目を向けると。そこにギデアが知っている子供の顔があった。剣技に熱心で貪欲に強くなろうする気構えも持つ、そんな将来有望そうな男の子だ。
ギデアは、子供たちの近くにある野菜売りの露店に多くの客がいることを確かめた。あれほど客がいたのでは、萎びた野菜を盗むことは難しいだろう。
つまりは盗める機会が訪れるまで、子供たちは手持無沙汰であるということ。
ギデアは丁度いいと感じ、子供たちに近寄っていった。
子供たちの内、路地の際に立っていた子供の方が、ギデアの接近に目を剥いて驚き、慌てて後ろへと逃げていく。もう片方の子供は、近づいてきた男が顔見知りのギデアだと分かると、露骨に安堵した顔になった。
「大先輩じゃねえっすか。なにか用っすか?」
逃げてきた子供を背中にかばいつつ、ギデアに負けん気の強い目を向けてくる。その瞳は語っている。いつかはギデアすら剣技で越えてやると。
その気構えを見て、ギデアは嬉しくなった。将来、この男の子が挑戦者になり、ギデアが開く『挑まれ屋』に客として登場する未来が楽しみだと。
しかしそれは、男の子の将来に対する期待であり、現状とは関係のないこと。
ギデアは警戒するなと身振りすると、背中に隠れている方の子供へ視線を向ける。
「そっちの子は?」
「オレの弟っすよ。飯の確保を学ばせてるところっす」
「弟か。道場にはいなかったようだが?」
「弟はダメなんすよ。人を殴ったり、傷つけたりするのが。度胸がないんっす。だから度胸をつけるためにも、あの店で盗みをやらせようとしてんっすよ」
世間一般常識としては、盗みは犯罪であり、それをさせようとすること自体も悪い事だろう。
しかしギデアは、貧民街の子供は盗みを働かなければ飢えて死ぬ可能性があることを、空き地の道場での交流を通して知っていた。だから男の子の主張を間違っていると言う気はない。
その代わりに、少し気になったことがあった。
「なあ。お前は、空き地の道場で習いたくはないのか?」
ギデアが真っ直ぐに目を見ながら問いかける。背中に隠れている子供は、見知らぬ大人に問いかけられた恐ろしさからフルフルと震えているが、おずおずとではあったが頷きを返してきた。兄からは度胸がないと評価されているようだが、ギデアは弟の目の奥には兄以上の負けん気が眠っていると感じた。
「習いたいのなら、道場に来ればいい。例え、お前の兄や親が何と言おうともだ。ただし、自分が怪我をすることも、戦う相手に怪我をさせることも覚悟したうえでだ」
ギデアの真っ直ぐの言葉をかけると、子供はいつの間にか体の震えを止めていて、先ほどよりも強い頷きを返してきた。
ギデアと弟のやり取りに、二人の間に立っている男の子は、驚きの表情になる。
「こんなにハッキリ意思表示したの、初めて見た」
「そうなのか? こいつはお前の弟なのだろう。お前と同じで、負けん気が強い素質があると感じたぞ」
「ええー、こいつにっすか!?」
驚きの声を上げる男の子の肩を、ギデアはポンと叩いた。
「勧誘したからには、責任は取る。今日の午後、道場に教えに行ってやる。だから弟を連れてこい」
「うーん。こいつにそんな度胸があるとは思えないけど。分かった、連れていくっす」
「よしっ。俺の頼みごとを聞いてくれた礼をしよう。あの店で野菜を買ってやろう、しかもお前たちが抱えられる限界までだ。食料が必要だったんだよな?」
「えっ、良いんっすか!? やったー!」
ギデアは子供たちを連れて、野菜売りの屋台へと脚を運んだ。そして萎れた野菜で良いと言う子供たちの願いの通り、萎れた野菜ばかりを銀貨一枚分購入した。
子供たちは布袋に入れられた大量の野菜を抱えて、路地の向こうへと走っていく。再度ギデアに、二人で道場に来ることを約束して。
時間を潰し終えたギデアは、外街を歩き、ある場所へと向かった。
それはギデアの事を『ホラ吹きさん』と呼ぶ娘のいる、あの食堂だった。
ギデアが入ると、その食堂の娘が対応に出てきた。
「待ってたよ、ギデアさん。今日も魔物の肉を持ってきてくれたんだよね」
ギデアは店内を移動して調理台へ近づくと、背中の鞄から魔物の【顕落物】である葉包みの肉を次々と取り出していく。調理台には、色々な種類の魔物の肉が小山となった。
その肉の種類と数を確認して、食堂の娘が代金を告げた。
「全部で、金貨三枚に銀貨十五枚。そして銅貨が四十三枚。これでいい?」
「それで構わない。代金を誤魔化す手合いじゃないことは、今までで知っているからな」
「じゃあ代金はこれで確定で、銅貨分の食事をここで食べるのでいいんだよね」
実は、ギデアが前に挑戦者に銅貨は邪魔だと意思表示したことで、支払の中にある銅貨をどうするかで揉めることになった。
ギデアは「銅貨分は切り捨てで良い」と言い、店主が「銅貨分は銀貨に切り上げだろ」と主張した。双方共に主張を譲らずにいると、食堂の娘が「ホラ吹きさんに銅貨分の料理を振舞えばいいんじゃない?」と提案して問題解決となったのだった。
「ああ、頼む。ここの料理は美味いから、楽しみにしている」
「お世辞言っても、料理にオマケしかつけませんので」
食堂の娘は、ギデアが卸した肉を貯蔵庫へと納めていく。
すると収納作業の音で、ギデアの来訪に気づいた様子で、食堂の店主が姿を現した。
「いっらっしゃい。それで今日は、銅貨何枚だい?」
「四十三枚だそうだ」
「よしっ。四十三枚分の料理出してやるから、待っててくれよ」
店主が調理に向かう中、ギデアは収納作業を終えた娘に声をかけた。
「さっき、俺のことを『ホラ吹きさん』じゃなくて『ギデアさん』と呼んだな。心境の変化でもあったのか?」
ギデアが気になった点を真っ直ぐに問いかけると、食堂の娘はなぜか怒った表情になった。
「他の挑戦者の人に聞いたよ。ギデアさん、いまはもう『ホラ吹き』って呼ばれていないんだってね。なんで教えてくれなかったの」
「別に言うほどのことではないと思ったのだが?」
「言うほどのことだよ。だって仇名をつけられるって、挑戦者にとって名誉なことなんでしょ。その名誉な名前が変わったなら、その変わった名前で呼ぶべきじゃない」
ここでギデアは、この娘が『ホラ吹きさん』とギデアを呼んでいた理由が、善意からのものだったのだと理解した。
ホラ吹きという字面で不名誉な仇名と分かりそうなものだが、外街にある食堂の娘なら、迷宮周辺にある挑戦者独自の風習など理解の外にあるのが普通だ。仇名が名誉だと聞けば、その仇名がどんな付けられ方だったとしても、名誉なのだろうと思うに違いない。
とはいえ、ギデアは自分につけられた新たな仇名を、あまり言う気にはならなかった。
しかしながら、食堂の娘がギデアの仇名が変わったことを知っているということは、新しい仇名を知っているという事でもあった。
「だから新しい仇名で呼ぶべきよね。【万者不当のギデア】だから『万者不当さん』かな?」
『挑まれ屋』で、どんな相手でも勝利して見せることからついた、ギデアの新しい仇名。
しかしギデアは、自分の実力が発展途上だと強く自覚しているため、まるで全ての王者のような呼ばれ方は好きじゃない。それこそ『ホラ吹き』のままで良かったと思うほどには、苦手意識を持っている。
「……単にギデアで良い。そっちの呼ばれ方は、あまり気に入っていないんだ」
「そうなの? 強そうで良い仇名だと思うけど?」
「こらこら、嫌がっているんだから止めなさい。ごめんな、ギデアさん。うちの娘が聞き分けなくて」
店主が謝罪と共に、ギデアの目の前に料理を置いた。
「これは?」
「ギデアさんは肉が好きで量が多めが良いんだろ。だから、肉やら野菜やらを煮詰めたものを大量の麺にかけてみたんだ。味は保証するぞ」
店主の言葉通り、茶褐色のドロリとした液体が、小山に盛られた麺に掛けてある。煮詰め液の中には肉がゴロっと存在しているが、野菜は煮込まれ過ぎて型崩れしている。
この量があるものの見た目にあまり気を使っていない料理は、まさに肉体量同社向けという印象だ。
「では、頂くとしよう」
「はいよ、おあがりな」
ギデアは、麺に煮汁を絡めてから口に運んだ。煮詰めて濃くなった汁の塩気が、麺の甘さを引き立てている。そのうえ、小麦の香りと肉の脂の匂いが混ざり、何とも言えない香気が口の中に広がっていく。
「うん。美味いな」
ギデアは料理に魅了された様子で、せっせと麺を口に運んでいく。小山に器に盛られた麺は、食べども食べども減ったように見えない。
「煮汁が足りないようなら掛けるから、言ってくれよ」
「了解した。欲しくなったら声をかける」
一心不乱に麺を食べるギデアの姿を、店主は食べっぷりを好ましそうに見て、食堂の娘は愛玩動物の食事風景を見ているかのように眺めているのだった。
こうして、ホラ吹きと仇名された男はいなくなり、新たに万者不当と仇名される男が迷宮挑戦sにゃの半引退生活を送り始めた。
この男の仇名がこのまま続くのか再び変わるのかは、それはまた別の物語である。
以上で、この物語は予定していた通りに、完結となります。
とはいえ、書籍化の打診も頂いておりますので、続報をお送りすることができるとおもいますので、もう少々お待ちくださいませ。
それと新しい物語も作り始めました。
私掠宇宙船から始める特務軍歴
https://ncode.syosetu.com/n7616hp/
宇宙戦記モノに手を出してみました。
見切り発車ですが、こちらもよろしくお願いいたします。




