プロローグ2
巨大迷宮の出入口から、ギデアが出てきた。ボロボロの外套を身に着けたみすぼらしい見た目ながらに怪我の一つもしていない、普段通りの姿で。
ギデアの他にも迷宮から脱出してくる者たちもいる。彼らの姿は、ギデアとは違い、誰かが傷を負っていたり、疲労困憊した姿をしている。
そんな様相の違いから、ギデアは他の挑戦者たちから【ホラ吹きのギデア】と仇名されている。
大元は『迷宮に入ったことがあるとホラを吹く輩みたいに、綺麗な姿で戻ってくる嫌味なヤツ』というやっかみからだったが、今では字面通りに『迷宮に入っているフリをしているヤツ』と思われている節があった。
なにせ普通の挑戦者にとって信じられないのだ。単独行で三十階層へ行くことも、魔物と戦って無傷で済んでいることも、魔物を打ち倒して出現した【魔晶石】と【顕落物】を放置してでも階層の先へ進むことも。
そんな想像埒外の存在だからこそ、挑戦者の多くはギデアのことを『ホラ吹き』だと思うことを落としどころにしてしまっていた。
ここで普通の挑戦者なら、不名誉な仇名を払しょくするために、迷宮で得た戦果を自慢げに話すことだろう。
しかしギデアは、そんな『余計』なことを気にしない。単独行のギデアにとって、他者からの評判の良し悪しで、迷宮の先へ行ける行けないが決まるわけではなかったからだ。
ところで、迷宮の出入口は地下へ続く穴である。
では、出入口の周辺はどんな光景なのかというと、一言で表すのなら『広い井戸の底』のよう。
なにせ迷宮の出入口を中心にした円周上に、見上げるほどに背が高い建物が連ねている。この建物の高さは、迷宮に近い方が挑戦者たちが入ってくれるからと、様々な職種の者たちが近場で建物を上へ上へと増改築していった結果だ。
だから挑戦者の多くは、この迷宮周辺のみで生活が完結している。衣食住はもとより、装備の整備や更新に、果ては夜のお相手まで近場で揃うのだから、ここより外へ行く必要性がない。
挑戦者の中では異質な性格のギデアであっても、挑戦者になってから以降の十年以上もの間、この出入口周辺の光景しか街の風景の記憶がないほどだ。
そんな他の場所には見られない風景の中を、ギデアは歩いていく。目的地は、迷宮挑戦者たちを取りまとめる【互助会】の建物。
【互助会】では、挑戦者が迷宮で拾得した物を、どんなものであれ規定料金で買い取ってくれる。時には割り増しで買ってくれる時期もあり、その際には掲示板に情報が張り出される。駆け出しに装備を貸してくれたり、打ち上げに必要な酒場や怪我をした際に世話になる治療院も併設されている。
まさに、挑戦者たちの活動を助けてくれる場所である。
そんな建物の中にギデアは入った。
ギデアの姿に、周囲の挑戦者たちから視線が飛んで来る。
視線に乗せられた感情は、主に二種類。『今回も無傷か』と感心しているものと、『ホラ吹き野郎が』と嘲っているもの。前者は熟練の挑戦者からのもの多く、後者は挑戦者になりたての者からのものが多い。
そんな視線を、ギデアは意に介した様子もなく歩いていく。そして『総合受付』と表示のある場所へと歩み寄った。
受付に座っていた年若い女性は、ギデアの姿を見ると、仕事上の笑顔を浮かべてきた。
「こんにちは、ギデアさん。珍しいですね、総合に来るだなんて」
受付嬢の言葉通り、他の挑戦者たちは『買い取り受付』や『相談受付』に並んでいる。『総合受付』に来る人物は、基本的に【互助会】のことをよく知らなくて、どこに行けばいいか分からない人だけだ。ギデアのような熟練の挑戦者が来るべき受付ではない。
しかしギデアは、この受付で間違いはないと断言するように、確固たる口調で話し始める。
「用件が二つある。一つは『半引退届け』を出したい。書類を用意して欲しい」
ギデアの申し出に、受付嬢は大変に驚いた顔になる。
「えっ、ギデアさん、引退するんですか。どこか怪我を?」
「いや。迷宮行がつまらなくなったので、これを期に生活を見直そうと思ったんだ」
「つまらなくなった??」
受付嬢の疑問顔は、仕方がないことだ。
挑戦者は、特に熟練者ともなれば、迷宮に魅入られた者たちしか残らない職業だ。
特にギデアは、他の挑戦者のように拾得物で懐を潤すこともせず、もくもくと迷宮の先へ先へと進んでいっていた。傍目から見たら、迷宮の先へ行くことだけを目的とした、求道者のようだったのだ。
そんなギデアの口から『つまらなくなった』と出たことが、受付嬢には信じられなかったのだ。
「えーっと、どうしてそう思われたのか、お聞きしても?」
「理由は、二つ目の用件に関係する」
ギデアは後ろ腰にある不思議な鞄から、巨大な紅玉を取り出した。【紅玉動像】の【顕落物】だ。
「三十層の【紅玉動像】を倒し、三十一層に入った。記録してくれ」
受付嬢は机の上に置かれた巨大な紅玉を前にして、ギデアの言葉が聞こえていないかのように呆然とした。
しばし時間が流れ、やがて受付嬢の表情に意識が戻ってきた。
「えっと、三十層ですか。今まで誰も突破したことのない場所を、お一人で?」
「そう言っている。この紅玉が証拠だ。なんなら【紅玉動像】の【魔晶石】も証拠に出そう」
ギデアの手で、受付の机の上に追加で、片手で持つには余る大きさの【魔晶石】が乗せられた。
ここでようやく、ギデアの言葉が嘘ではないと理解出来たようだった。
「えっ、待ってください。前人未到の偉業を果たされたのに、引退するんですか? つまらなくなったって、【紅玉動像】を倒されたからですか?」
混乱する受付嬢を、ギデアは落ち着けと身振りで制した。
「引退じゃなく、半引退だ。【互助会】に籍を残したたままで、今までより活動を少なくする気でいるんだ。それにつまらなくなったのは、なにも【紅玉動像】を倒したからだけじゃない。その先の三十一層の魔物も大したことがなかったうえに、便利な剣が手に入ってしまったからだ」
「便利な剣、ですか?」
「ああ。空飛ぶ人型の魔物の【顕落物】で、全属性付きの片手剣だ。これさえあれば、大抵の魔物を倒せるようになってしまった。だから、つまらなくなった」
ギデアは自分の右腰にある剣に触れる。そこには、以前まで使っていた使い込まれた姿の剣ではなく、角ばった意匠の真新しい剣が鞘の中にあった。
「え、あ、その、あの。こんな重大な数々、私じゃ判断できません! 会長、会長を呼んできますから、待っててください!」
受付嬢は受付を飛び出ると、建物の奥へと走っていった。そして少しして戻ってくると、ギデアを連れて奥へと案内した。
二人が入っていったのは、【互助会】の会長室。
厳重な防音設備が整った会長室で、ギデアは会長と会話を行った。その中で何が話されたのかは、当事者以外には知りようがない。
ただ会長室を去る際のギデアの表情は険が薄れた軽いものになっていたし、後日に【紅玉動像】の弱点や行動が記された情報が出回ったことと、ギデアの使用していた装備品が幾つかと巨大な紅玉がギデア名義でオークションに出品されたことで、会長室で何が取り決められたのかを推し量ることはできたのだった。
新しい物語を始めました。
よろしくお願いいたします。