二十一話 早朝市場にて
連携した戦闘を得意とする人たちと戦いたい。
ギデアは、そう望むものの、その為の手段が分からずにいる。
こうした悩み事は剣の腕前に作用する。
そのため、【互助会】からの頼み事である【魔晶石】と【顕落物】の収拾は、また今度という事に決めた。
ギデアは宿を出て、巨大建造物の屋上へ向かう。
あの花畑の美しい景色を見たら、なにか思いつくのではないかと思ってのことだった。
ギデアが屋上に行くと、朝早い時間にも関わらず、何人かの人の姿がある。
自殺しようとする挑戦者を止める役割の老人がいて、蜂の巣箱を世話する人達がいて、長椅子の上で外套に包まって寝コケる人がいる。
ギデアは観察を終え、誰も座っていない長椅子に座ることにした。そしてボンヤリと、色とりどりに割いている花々に目を向ける。
ギデアは花の種類を気にしたことはない。だから、この屋上に割いている花の名前を知らない。花の名前は知らないが、それぞれに特徴があることは、見るだけでわかる。
赤、黄、白、紫などの花の色の違いに始まり、扁平状や細長にギザギザと葉っぱの形の違いや、茎の長さや棘のあるなしでも違っている。
それらの花の違いがどうしたというわけではないが、その違いの多さに、ギデアは理由もなく感心していた。
感心しつつ目を瞑ると、鼻に花の香りがやってきた。
ギデアは花の香りを嗅ぎ慣れていないが、甘い匂いの中に、植物特有の青臭さと、花粉だと思われる粉っぽさを感じることはできる。
日頃慣れていない匂いの刺激は、ギデアの気分に新たな風を吹き込む切っ掛けになる。
「……方法が分からないうちは、判断を急ぐこともないか」
ギデアは独り言を零すと、目を瞑ったまま長椅子に寝転がった。
上がり始めた日の光は、日向ぼっこをするには日差しが弱い。それでも、ギデアの外套が真っ黒なこともあり、徐々に温まってくる。
十二分に太陽の光を浴びて体が温まったところで、ギデアは屋上から外街へ行くことにした。
外街に入り、ギデアは目的もなく歩いていく。
その中で、朝早くの市場を見てみようと思い立つ。
二度ほど市場に入ったが、どちらも終わり際に行っただけ。
今から向かえば、利用者が多くいる市場を見ることができるはずだ。
ギデアは市場のある方へと足を向けた。
市場にたどり着くと、終わり際の閑散とした姿が嘘のように、人々が通りを埋め尽くしていた。
各露店も大忙しのようで、次から次に客をさばいている。
「ねえねえ。これとこれとこれ、二つずつ」
「まとめて銅貨二十三枚。はい、ちょうど、お預かりで」
「こっちの会計もお願い」
「はいはい、銅貨はちゃんと手に用意しておいてくださいよ」
野菜売りの露店では、多くの女性が押しかけて新鮮な野菜を買い込み、店主は受け取った代金の銅貨を素早く数えると藁編みの籠へ突っ込んで客あしらいに戻っていく。
「さあさあ、今日も良い肉が入ったよ! 言ってくれれば、部位ごとに切り分けもするよ!」
「今日の鶏はどんなかんじだ?」
「若鶏はないね。卵を産まなくなった老鶏だけだよ」
「それじゃあ豚は、今日絞めか?」
「うちは倉庫に置いて肉を熟成させて売ってるんだよ。そっちの方が美味くなるからな。それでも新鮮な肉が良いってのなら、十個となりにある店に行きな。あちらは今日締めの肉を扱う店だからな」
料理人らしい服装の男性の疑問に、肉屋の店主が正直に答えている。料理人は結局、その店で豚肉を購入したようだった。
そうした食材の店がある一方で、別種の屋台もある。
「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! こちらにある軟膏は、遠くは薬草の国からの輸入品。打ち身、捻挫、火傷に始まり、手荒れ、にきび、あかぎれ、できもの。そんな皮膚に出る問題は、全てこの一つで解決だ! 見てみなさい、この私の手。男性とは思えない艶やかさ! それもこれも、この薬を塗ってからのことだよ!」
怪しげな薬売りが、小壷に入った白い軟膏を手に持って呼び込みしている。ギデアが見たところ、確かに年嵩の男性なのに手の皮膚だけが艶やかである。もし本当に軟膏の力だとしたら凄いことだ。
ギデアが思ったのと同じ感想を、通りがかりの女性たちも抱いたのだろう、何人かが薬売りの方へと向かっていく。
「刃物研ぎ~。包丁、鋏、爪切り~。剣に斧に槍~。刃があるものなら、なんでもよいよ~。切れない刃物も、すっぱりと切れるようになるよ~」
不思議な調子で言葉を放ちながら、砥石に包丁を当てている老人。余程いい腕なのか、彼の横には何本か布に包まれた包丁が順番待ちで置かれている。
剣や斧なども受付ていると歌っているものの、本当に剣や斧を預ける人がいるのかはわからない。
その他にも、日持ちする料理を量り売りしている屋台や、金属製品を広げている露店に、椅子に座って弦楽器を奏でている人もいる。
ギデアは、知らなかった世界を垣間見ている気になり、ついつい気分が上向きになる。
しかし、これほど多い人混みも初めてなので、どう市場を進んだものかと悩む。
挑戦者として鍛えてきた身体操作で、人と人の間をすり抜けることは出来るだろう。しかしすり抜けて移動するギデアの姿に、人が驚いて転びでもしたら、この人混みでは危険だ。
かといって、人にぶつかって移動することを良しと出来るほど、ギデアは人混みという現象に慣れていない。
二進も三進もいかない状況なので、ギデアは市場から離れるべきだと思った。
ちょうどその時、市場の中で騒ぎが起こった。
「この小僧! 財布を盗もうとしたな!」
「ぎあッ!」
怒声と打撃音。そして甲高い悲鳴と地面に倒れる音。
市場の人たちが、なんだなんだと視線を向ける先には、料理人らしき服装の男が拳を振り下ろした状態で立っている。その男の足元には、地面に転がったみすぼらしい衣服の少年が倒れ、巾着袋が落ちている。袋の口が緩んでいて、中から銅貨が零れて地面に転がっている。
状況を見るに、貧民街の子供が人混みを利用して、スリを行おうとしたようだ。そして下手を打ち、財布を盗みかけられた男性に、拳で殴られたのだろう。
そういう事情が分かると、市場の人たちはそれぞれの目的に沿った行動に戻っていく。
殴った男性も、いたずらにスリ小僧を痛めつける気はないのか、地面に落ちた自分の財布を拾い上げると、さっさと用事に戻っていった。
一方で殴られて倒れた小僧は、真っ赤になった頬を抑えながら立ち上がり、ふらふらと路地へ去っていく。
その顔は、あの空き地道場で見た顔ではなかった。犯罪組織が目をかけている方の道場に通う子供か、それとも道場通いすらしていないのか。
ギデアは判断をつけられれずにいると、ギデアに明確に近寄ってくる気配を感じ取った。
牽制を込めて視線を向けると、その気配の主は、どこかで見た娘だった。
どこで会っただろうと思い返して、外街の食堂の娘だと思い出した。
食堂の娘は、ギデアの視線が自分に向いていることに気づいたようで、にこやかに手を振りながら近寄ってきた。
「おはよう、ホラ吹きさん。ホラ吹きさんも、市場に買い物?」
相変わらず、変な呼び名でギデアのことを覚えているようだ。
ギデアは訂正しようかとも思ったが、関りを深くする予定もないので、放置することにした。【互助会】の建物にて、ギデアが他の迷宮挑戦者たちに、そうしているように。
「……なにか用か?」
ギデアが問いかけると、食堂の娘は呆れ顔になった。
「用か、じゃないでしょ。うちのお父さん、ホラ吹きさんが来ないから、やきもきしているんだから」
「やきもき――どうしてだ?」
「そりゃ、ホラ吹きさんが先払いで料金を置いてったのに、待てど暮らせどやってこないからじゃない。お誘いを掛けようと思っても、ホラ吹きさんは挑戦者でしょ。外街の人間が迷宮の建物に入るわけにはいかないしさ」
「先払い。そういえば、していたな」
ギデアにとってみたら、先払いはあの場を抜けるための方便だった。
その方便を律義に守るとは、食堂の店主は生真面目らしい。
「ここで会ったのも、なにかの縁だ。先払いした料金分、食べに行っても良いか?」
「もちろん。そっちが言ってくれなきゃ、こっちから言う気だったし。あ、でも、ちょっと待ってて。まだ買い物の途中なんだ」
「そういうことなら、同行しよう。待っているのは暇だ」
「えっ、じゃあ。荷物持ちを、お願いしちゃっても?」
「構わないぞ。手持無沙汰に待たされるよりはマシだ」
「やった! じゃあ、じゃあ、ちょっと多めに買い物しちゃおうかな」
食堂の娘が荷物持ちが現れたことに嬉しがる一方で、ギデアは少しだけ心配していた。
ギデアに荷物持ちをさせたことを、食堂の店主が知った時、この娘は怒られるのではないかと。
「そのときは、庇えばいいか」
「ん? ホラ吹きさん、なにか言った?」
「いや。早く用事を済ませてはどうだ?」
「それもそうか。じゃあ、まずはこっちにいくから」
ギデアは衝動の娘に連れられて、市場のあちこちを回ることになったのだった。




