十五話 貧民街へ
ギデアは農場と牧場に行った日は、夕方までに宿へ戻るため、寄り道せずに引き返した。
そして翌日、再び外街へと向かった。
今日のギデアの目的は、貧民街の様子を見に行くこと。
ギデアは貧民街のことを、少しだけ知っている。貧民街出身と嘯く迷宮挑戦者が、自分の出自の不幸自慢を小耳に挟む機会が何度かあったからだ。
その貧民街出身者曰く、貧民街は『油断したら死ぬところ』で『人の悪意がない分、迷宮の方がマシ』なのだという。
そんな話を聞いた時点では、ギデアは自分に貧民街へ行く用が出来るはずもないと、聞き流していた。
しかし青空市場で貧民街の子供を見て、牧場ではその子供の話を聞いた。
そうした縁ができると、人は気になってくるものだ。
ギデアも貧民街とはどんな場所か気になり、足を踏み入れることにしたわけだ。
とはいえ、貧民街が外街のどこにあるのかを、ギデアは知らない。
そのため、とりあえず青空市場へ出かけ、貧民街の子供が商店から食い物を盗むまで待つことにした。その子供の後を追いかけて、貧民街まで行ってみようという魂胆で。
以前来たときのような朝遅い時間に、青空市場に到着した。
ギデアは萎びた野菜がある屋台を見つけ、その屋台が見える場所に陣取ることにした。ただ監視しているだけだと見咎められる危険があるため、別の屋台で料理と飲み物を購入し、休憩用にと置かれている長椅子に座ることにした。
買った料理は、茹でた肉を割いたのと数種類の香草を、薄焼きパンで包んだもの。飲み物は、水にワインを入れたもの。どちらも、屋台の品ならこんなものだろうと感じる、美味くも不味くもないものだった。
パン包みをゆっくり咀嚼し、薄めたワインで唇を湿らせて、時間を潰す。
そうして少し待っていると、脇の路地から薄汚れた子供が一人出てきた。髪は伸び放題で、ボロボロの大人用の衣服を紐で留めていて、足には薄い草履を履いている。草履は手製なのか作りが荒い。木の板を切って足の形に整え、開けた穴に縒った端布を通した、そんな感じだ。
狙っていた存在の登場に、ギデアは食べかけを素早く口に押し込み、薄いワインで一気に飲み下す。
ギデアの目は、いままさに商店から食べ物を盗もうとしている子供――ではなく、その子供が出てきた路地に向けられている。路地の陰に別の子供がいることを見抜いたからだ。
以前にギデアが青空市場で見かけたときも同じ状況だったことから推測するに、どうやら実行犯と警戒役の二人一組で盗みを働いているようだ。盗む方が路地に隠れる方より体が小さいのは、恐らくひ弱な存在の方が同情を引きやすいと企んでのことだろう。
「上手いことを考えるものだな」
ギデアは子供たちを素直に賞賛しつつ、移動を開始する。
ギデアが目を付けた先は、食料を盗んで逃げ出した方ではなく、路地で待っていた方。ギデアは直感で、食料を持つ方はねぐらとは別の方へと逃げ、路地で待っていた方がねぐらに直行すると感じたからだ。
理屈をつけて考えるとだ。
仮に盗人を追いかける場合、追跡者は『盗まれた物を持つ方』と『盗まれた物を持っていない方』のどちらを追いかけるかといえば、もちろん『盗まれたものを持つ方』だろう。なにせ盗まれた物を取り返すために追いかけるのだから。
なら追跡者が出た段階で、『盗まれた物を持つ方』は自分のねぐらに素直に戻るわけにはいかなくなる。もし戻れば、ねぐらにいる仲間まで追跡者に見つかってしまうから。
むしろ追われていると気づいたのなら、『盗まれたものを持つ方』はねぐらから遠ざかるよう逃げることが鉄則となるだろう。
一方で『盗まれた物を持たない方』は、さきにねぐらに戻り、ねぐらにいる仲間と共にねぐらを離れて非難する必要がある。もし追跡者に見つかったら、商品を盗んだことへの報復として、暴行を受ける可能性がある。その可能性を消すためにも、一時的に場所を離れるしかない。
その理屈通りに事が運ばないことも十二分にあり得るが、二人の子供の何方を追いかけるかといえば、ギデアの目的が貧民街に行くことなので、貧民街まで案内してくれる可能性が高い『盗んだ物を持っていない方』を追いかけるべきは明白なことだ。
そしてギデアは直接追いかけることはせず、別の路地に入ってから子供たちの気配を頼りに追跡することにした。生き物の気配の察知は、迷宮で単独で行く際に必須となる技術だ。ギデアにとって、大して気配を消そうともしていない子供の追跡など、それこそ赤子の手をひねる以上に簡単なことだった。
二人の子供の気配を辿って外街の路地を歩いていくと、段々と周囲の建物の雰囲気が変わってきた。
これまでは外観が綺麗に保たれた家屋や店ばかりだったが、徐々に外装にヒビや汚れに落書きが目立つようになってきた。道の上も、捨てられたゴミや壊れた木箱などが目立ってきた。
見かける人も様子も、段々と気力がない顔や世を恨むような目つきが多くなってくる。
治安の悪化具合が増していることを感じられる状況だが、ギデアは気にした様子もなく追跡を続ける。
ギデアは貧民街にとって余所者だ。本来なら直ぐに見咎められるか、入ってくるなと忠告を受けることだろう。しかし、ギデアが藪睨みの強面だからか、それとも迷いなく歩く姿に臆したのか、道で出くわした誰もが視線を外して関わりを避けている。
とにもかくにも、ギデアは邪魔を受けないままに、子供たちの追跡を続け、やがて貧民街へと辿り着いた。
別に『ここから先が貧民街』と看板が出ていたわけではないが、間違いなく貧民街であることは、流れている空気の違いで理解できた。
ギデアが体験してきたこれまでの外街は、どこか長閑で平和な空気があった。
しかし貧民街では、一見平和そうに見えても、緊張感が常に空気に含まれている。言語化するなら、ふとした拍子に暴力的な面倒事が起こりそうな雰囲気といった感じだ。
この一触即発に似た空気は、迷宮周辺の挑戦者たちが闊歩する区域にもある。しかしあちらの雰囲気と比べると、貧民街は活気がなくて、ほの暗い。
そうして雰囲気の違いは、見かける住民が放つ空気によるものだ。
挑戦者たちの多くは迷宮に挑む活力に溢れているが、貧民街の住人からは人生を捨て鉢に生きているという気持ちがにじみ出てきている。
そんな貧民街の住人の雰囲気を見て、ギデアは身につまされる思いを抱く。
ギデアは、人生に捨て鉢になった気はないものの、剣技の向上に迷宮は使えないと失望してやる気が失せていた。そのやる気ない自分から放たれる空気感が、貧民街の住人の雰囲気と似ていると気づいたのだ。
人の振り見ると我が振りを見直すもので、ギデアもまた失望感に取り付かれるままではいけないと気持ちを切り替える切っ掛けを持つことができた。
この気持ちの切り替えができたことだけでも、貧民街に来た甲斐があったと、ギデアは感じた。
「貧民街には来れたことだし。子供の追跡を止めるべきか」
そう思って気配察知を止めようとして、子供たちがいる場所の先に『戦いの雰囲気』を感じ取る。
戦いの雰囲気、といっても剣呑と表現するまではいかない、戦意の高まりだけがあるような微妙な気配。
ギデアはその気配について、どこかで感じたことのある気がすると首を傾げる。
ギデアは興味が引かれ、その場所に向かってみることにした。子供たちの気配もまた、その場所へと向かっている。
気配を頼りに足を進めて、辿り着く。
そこは大きな空き地で、その中からは木と木を打ち合わせる音と、多数の人が発する呼吸音がある。
ここまで来て、ギデアはこの場所がなんなのかを理解した。
「建物も看板もないが、ここは剣術道場か。しかも子供専用の」
ギデアが零した言葉の通り、空き地の中には木剣を手にして相対する者――上は十代前半から下は喋りが確りしていない幼子までがいた。




