十一話 料理店
ギデアが良い匂いがしている食事処に入ると、客と店主の視線が来た。
その視線は、咎めてのものではなく、誰が来たのかを確認するものだった。
そのためギデアが新顔だとわかると、客の殆どが食事に戻り、店主だけが目を向け続けている。
「お客さん、挑戦者の方で?」
「ああ。そうだが」
「では、入口近くの席――そこで良いですかね?」
「構わない」
ギデアが入口近くの席に大人しく着くと、店主の表情が少し和らいだ感じがあった。
ギデアはその表情の変化に不思議に思ったが、店主は構わず店の壁を指す。
「うちで出せる料理が、あそこにある。見慣れない料理ばかりっていうのなら、金額を示してくれたら、こちらが勧めの料理を出すこともできる。ちなみに、酒の提供はしていない」
ギデアは並んでいる料理の名前を見たが、どんな料理なのかはピンと来なかった。
「腹の減り具合から、五品ほどを量を多めで欲しい。料金はどのぐらいになる?」
「五品なら――安くて銀貨三枚、高かったら金貨で一枚だ」
「なら、金貨一枚分でお願いする」
ギデアが金貨を先払いすると、店主だけでなく客たちからも目を剥かれてしまった。
「金貨一枚ってのは冗談だったんだが……」
「金貨では多かったか?」
「いや、できるよ。しかし用意がなくて仕込みからするから、ちょっと時間がかかる」
「構わない。ゆっくりと待たせてもらう」
ギデアの了承を得て、店主はテキパキと料理の仕込みに入った。
といっても、店主はギデアの料理だけに注力することはできない。他にも客がいて、その注文を捌かなければいけない。
しかしギデアとは違い、予め仕込みが終わっているようで、他の客の注文は直ぐに出来上がって配膳されていく。
ちらりと見た限りでは、食材を炒め、茹で上げた麺と搦める料理が主体だ。煮込み料理とパンを注文する人もいるようだが、こちらは出る数が少ない。
客の多くは、一品や二品頼み、それを食べ終えると直ぐに外へ出ていく。
ギデアの察知能力によると、退店した客たちの多くは、また別の店へと入っていっている。入った先の店からは酒の匂いがする。どうやらこの店で腹を膨らませた後で、別の店で酒と肴を楽しむのが、利用客の多くの流儀らしい。
そんな感知をしている間に、ギデアの前に料理が出てきた。
「まずは、迷宮牛の炙り、乳酪と酸味タレを付けて。肉は半生に見えても、ちゃんと中まで火が通っているから、当たる心配はないから」
装飾のない皿には、切り分けられた肉と乳酪が花弁のような形で並んでいる。その肉と乳酪の上には、油分のある薄黄色の液体が一周分かけられていた。
店主がいうように、肉の断面は赤く、生肉のようだった。
しかし生肉特有の生々しい艶やかさは失われていて、火が入ったしっとりとした表面をしている。
ギデアは『迷宮牛』とは二十五層の魔物かと予想しながら、肉と乳酪を一つずつまとめ、それを口の中に入れた。
「――美味いな」
ついギデアの口から出てきた言葉に、店主が得意げな顔になる。
「そりゃ金貨一枚分の仕事だ。美味しくないわけがない。後の料理も楽しみにしててくれ」
「ああ。期待させてもらう」
ギデアは、店主の仕込みの様子を見て、少しゆっくり食べることにした。
肉と乳酪だけの料理は、食べ進めると飽きるかと思われたが、そうではなかった。
肉と乳酪を一緒に食べると絶品だが、肉だけ乳酪だけを油分を含んだ薄酸っぱいタレを付けて食べると美味い。
そうした食べ方の違いを堪能している間に、一皿分の料理を飽きることなく食べ終えてしまった。
ちゃんと時間をかけて食べていたことは、客が二、三人入れ替わっていることからわかる。
ギデアが料理を食べ終えると、すぐに空いた皿が下げられ、代わりの料理が提供された。
「澄まし汁、角切り根野菜を入れて――出汁の濃厚さを楽しんでくれ」
ギデアが匙で救い上げて口に入れると、複雑に溶けあった旨味が口に広がった。
汁だけでも十二分に美味いが、煮込まれた根野菜を噛むと、また味が変わって楽しい。どうやら根野菜は、いまある汁とは別種の味付けで煮込まれていたようで、野菜を噛んで砕くとその味わいが複合される作りになっているようだ。
続く三品の料理も、見事なものだった。
茹で麺の炒め合わせは、他の客に出されるものより会わせる具材が多い豪華な見た目だったが、味わいは優しくて食材の味を楽しむ余地があった。
肉の厚焼は、シンプルに塩と少しの香草という味付けだったが、肉自体が持つ濃厚な味わいを楽しむには十二分だった。
締めに出された、硝子の杯に入れられた、角切りされた果物の盛り合わせは、その甘さが食べ終えた胃に十二分な満足感を与えてくれた。
「最後まで、美味かった」
「こちらも、黙々と味わって食べて貰って、良かったよ」
店主はオマケだと、薄黒い茶を提供してきた。
ギデアは茶を飲み、その少し苦い味に舌に残っていた甘さが洗い流されていく感覚を得る。そして茶を半分ほど飲んだ後で、呟くような声量で店主に喋りかけた。
「悪かった。嫌味な注文をしたようだ」
「えっ。いや、そんなことは」
「他の客に提供する料理を見て分かった。俺に出してくれた料理は、どれも他の料理に少しずつ入れる食材を、盤振る舞いするものだった。俺の料理で大量消費しては、この後の営業に支障がでるだろう」
「ありゃ。目ざといことで」
店主は少し困った顔をしたが、直ぐにさっぱりとした表情に変わった。
「確かに、今日この後のお客には、料理が出来ないと断ることになる場合もあるでしょう。でも、自分の料理の腕前を十全に発揮できる機会は、そうそうない。その機会を、貴方に作って貰ったと考えれば、そんなに悪い事じゃないかなとね」
店主の意見は、ギデアにも納得がいくものだった。
剣の道でも同じだ。今後の生に支障をきたすようなことになったとしても、今後二度と現れないような望外の相手と剣を交える機会があれば、自ずと心が震える。
だからついギデアは、自分もそんな機会に恵まれたいと望み――迷宮でその機会が得られるのかと疑念を抱いてしまった。
不愉快な疑念に、食事の余韻が台無しになった。
ギデアは少しだけ悪くなった気分を、茶を飲み下すことで洗い流した。
「料理、美味しかった。次に来たときは、常識的な料理を頼むとする」
「ええ。またのお越しを」
代金は先払いしているので、ギデアは席を立った足で店を後にした。
他の客に倣って別の店に行ってみるかとも思ったが、腹具合は十二分に満足していたので、今日のところは宿に戻ることにしたのだった。




