九話 検問で
外街を歩き回り、昼過ぎになった。
食堂で料理を食べた関係で、昼食も取らずに歩き続けてしまった。
ここまで外街を歩き回って、ギデアは知った。
外街の作りは、住宅街と職人街が交互にあり、それらの間は大きな道があること。大きな道には、朝に青空市場が現れ、昼頃から道の両脇に立ち並んだ商店が店を開くことを。
このまま道を歩いて商店の中を覗いて見ようかとも、ギデアは考えた。
しかし、ギデアは少し疲労を感じていた。
肉体的な疲労ではない。半日ほど歩いただけで疲れてしまうなんてこと、何日も迷宮を単独で進むことができる存在にはあり得ないことだ。
ではギデアが、どんな疲労を感じているのか。
それは身体的ではなく、頭脳的な疲労だ。
ここ十数年間、ギデアは迷宮の中と巨大建築物の中の光景しか見てこなかった。いわば慣れた景色の中で暮らしてきた。
しかし今日、屋上の花畑、外街の景色、新たに出会った人たちとの会話と、初めて体験することばかり。
それら新しい刺激の連続が、ギデアの脳に疲労感を与えていたのだ。
「今日はここまでにするか」
ギデアは商店の立ち並ぶ場所に背を向けて、少し遠くに見える巨大建築物へと足を向けた。
幸いなことに、商店が並ぶ大きな道は、真っ直ぐに目的地へと続いている。
ギデアは、外街の探索で遭遇した大きな道の場所を脳裏で描き、納得する。
どうやら大きな道は、迷宮の出入口を中心点に一定間隔の放射状に伸びていようだ、と理解して。
ギデアは迷宮の巨大建築物――狭義の迷宮街へと向かって歩いていく。
その中で、ギデアと同じ場所を目指す人が、周囲に疎らにいることに気付いた。
彼ら彼女らの様相は、まちまちだ。
既に迷宮挑戦者となっているらしき武器と防具を装備している人。いまから挑戦者になろうとしているらしき年若い人。荷馬車に乗る商人らしき人。などなど。
その人たちの態度も様々だ。
気楽に仲間と会話している姿は、既に挑戦者たちなった人たち。覚悟を決めていたり、緊張した面持ちなのは、挑戦者になろうとしている若者に。のんびりとした顔なのは、馬車を操る御者だ。
ギデアは、自分が挑戦者たちになりにきたとき、あれらの若者のように覚悟や緊張で顔をこわばらせていただろうかと、回想してみた。
しかし十数年も前の事で、鏡で自分の顔をみる機会などなかった事もあり、どんな顔をしていたかは思い出せなかった。
それでも、なんとはなしに、実家の剣術道場を飛び出して挑戦者になろうとしていた頃なのだから、決意に満ちた顔はしていたのではないかと、ギデアは思った。
大きな道の上を歩き続けて、やがて巨大建築物と大きな道がぶつかる場所まで辿り着いた。
ギデアが空を見上げると、あまり陽が傾いていない。長時間外街を歩き回った気でいたが、直線距離にすると大して離れていなかったのだと気づかされる。
さて、大きな道と建築物とが重なる場所には、人が立っているだけながらも、簡易な検問が作られていた。
その検問から伸びている列は二つある。
一つは、商人や若者が並んでいる長い列。列の先頭では、身なりの確りした兵士が四人、訪問者に問答を行っている様子が見える。商人には長めに、若者は短めに、対応時間が違っているようである。
もう一つは、挑戦者が向かっている列。こちらの先頭では、やる気のなさそうな別の挑戦者が一人、帰ってきた挑戦者の認識票を検めている。しかし認識票を一目見るだけで、ほぼ素通りさせている。
なんとも両極端な列の状況だった。
ギデアは、もちろん挑戦者の列へと向かう。
そして大して待たされることもなく、認識票を見せる順番がやってきた。
「見せろ」
やる気のなさそうな男性挑戦者に促され、ギデアは自身が持つ金色の認識票を出して示した。
「これでいいか?」
「ああ、通って――【黄金の認識票】で、その見た目ってことは、アンタ【ホラ吹きのギデア】か?」
問いかけに首肯すると、検問の挑戦者がジロジロと見てくる。
またぞろ厄介事かといえば、そうではなく、笑顔を向けられた。
「こうして間近で見ると、アンタは強そうだ。それと、あまり口が上手そうには見えない。それなのに、なんでまた『ホラ吹き』なんて言われてんだ?」
「勝手に、そう呼ばれているだけだ。俺としては事実を口にしているだけでしかない」
「事実って、例えば?」
「迷宮を単独で三十一層まで行ったことがある」
「ははっ。なるほど、そりゃあ『ホラ吹き』って呼ばれても仕方ねえ。嘘じゃないとしても、普通は信じちゃ貰えねえよ。それにギデアさんよ、アンタ、仇名を払拭しようと動くタマでもなさそうだしな。そりゃあ【ホラ吹きのギデア】が仇名として定着するわな」
けらけらと笑う挑戦者に、ギデアは逆に質問してみることにした。
「この検問に立っているのは、そういう依頼か?」
「依頼っちゃ依頼だが、懲罰依頼だよ」
「懲罰って、何をした?」
「大したことじゃねえ。納品依頼を期限内にできなかっただけだよ。ウマい依頼だと思ったら、期限がキツキツだったのさ。納品できたのが、期限より四半日過ぎちまっててな。依頼は完遂扱いにしてもらったが、四半日とはいえ超過は超過だ。罰則が必要だってんで、一日の検問担当ってことになったわけさ」
ギデアは、魔物を倒して得る【魔晶石】を【互助会】に売り払うことで生計を立てていたので、納品依頼を受けたことがない。
そのため、依頼に失敗したら罰則があるとは知っていても、こうして実例を見るのは、何気に初めてだった。
「そうなのか。懲罰依頼、頑張ってくれ」
「頑張るも何も、暇で暇でしょうがねえ。認識票持ってるなら誰でも素通りさせていいって言われてるから、遣り甲斐もねえしよ」
「その暇な仕事をさせるからこそ、懲罰なのだろ?」
「そりゃそうだ。はぁ~、次からは期限が長めか、ちゃんと依頼書を確認するさ。こんな懲罰、二度と御免だからな」
ギデアは、後ろに外街から戻ってきた挑戦者が現れたので、検問の挑戦者と別れを告げて先へと進んだ。
検問を越えた道を歩くと、頭上から視線が来ていることに、ギデアは気付く。
軽く視線を上へと向けると、建て増しされた建築物のいくつかの窓から、挑戦者らしき人物たちが見下ろしている姿が見えた。その人たちの手には盃が握られていて、その顔色は赤い。なにやら美味しそうな匂いも微かにあることから、挑戦者たちが顔を覗かせている場所は酒場ないしは食堂なのだろう。
それら挑戦者たちが見る先は、ギデアではなく、今まさに検問を通ってきた若者――挑戦者になろうとやってきた人物だ。
「差し詰め、未来ある若者を見て過去を懐かしみ、それを酒の肴にしているわけか」
ギデアは好意的に解釈したが、酒を飲む挑戦者がどんな会話を仲間でしているかを聞けば、そうは思わなかっただろう。
なにせ『あいつはすぐ死にそうだ』とか『あの女は唾つけておこうか』とかの、下卑た会話ばかりなのだから。
それも仕方がないことだろう。
この場所は、巨大建築物の最外縁部。ギデアのような一流どころが迷宮の出入口周辺を根城としていることを考えると、こんな外縁部の酒場で管をまくような輩は挑戦者としては三流も良いところなのだ。そんな三流に品格を求める方が間違いというものである。
ともあれ、ギデアは頭上からの視線が気にするべきものじゃないと分かり、視線を道の先へと戻す。
道を前へ前へと進む人ばかりだが、中には道の端で何人か集まって立ち止まっている者もいる。その者たちは総じて若者であり、視線は検問の方に向いている。
どうして検問を見ているのかと思って観察していると、先ほど検問を通過してきた若者が、その一団へと向かった。
どうやらその若者を待っていたらしく、立ち止まっていた一団も道の先へと歩き始めた。
「砥ぎ師から聞いた、挑戦者になりにきた道場仲間だろうか」
よくよく観察してみれば、若者の一団が持つ武器は、あの砥ぎ師のところにあったような身幅の薄い武器ばかりだ。
本格的に挑戦者として活動するには頼りない武器だが、新人挑戦者の武器と考えれば悪いものではない。砥ぎはちゃんと入っているので、当てれば魔物を殺せる武器ではあるのだから。
そんなことを考えながら歩いている内に、ギデアは見慣れた景色――迷宮の出入口周辺の場所へと出ていた。
挑戦者たちと店員の声が生み出す喧騒。昼夜問わずにつけられている灯り。迷宮で培われた緊張感が抜けきれない、血の臭いが混ざった空気。
この光景を感じ取ったギデアの心の内には、たった半日だけ離れていただけなのに、『帰ってきた』という実感が生まれていた。
そんな安堵に近い感情を抱いてしまうほど心身が馴染んでしまっていることに、ギデアは自分自身に驚く。
ギデアがそんな驚きを感じている横では、若者の一団が初めて踏み入ったこの光景に呆然とした驚きを隠せていなかった。そして若者たちは、一気に道を見失った迷子のように、狼狽え始めた。
なにか怖気づくようなことがあっただろうかと、ギデアは内心で首を傾げる。そして、無用なお節介だとは思いつつも、若者たちに一声かけることにした。
「挑戦者の【互助会】の建物は、あそこにある」
ギデアが指しながら告げると、若者たちはギョッとした顔をした後で、【互助会】の建物へと視線を向ける。その後でペコリと一礼すると、周囲の人たちにぶつからないよう気を付ける態度で、そそくさと【互助会】の建物へと向かっていってしまった。
仲間と意気揚々と歩いていたとおもったら、いきなり怖気づきだした若者たち。
その理由に皆目見当がつかないままだが、ギデアは気にすることを止めて、部屋を長期で取った宿屋へと向かうことにしたのだった。




