七話 青空市場で
ギデアが街を歩いていくと、人々の喧噪が聞こえた来た。
迷宮で聞くような悲痛な言い合いではなく、どこか楽しそうな響きのある言葉の応酬だ。
ギデアはそれが気になり、其方へと足を延ばしてみた。
やがて見えてきたのは、広々とした道と、その両側にずらりと並んだ屋台。
ギデアが道に入り屋台に目を向けてみると、並べられている品々は生鮮食品や加工食品ばかり。
どうやら、ここは青空市場のようだ。
現在の時刻は、朝遅い時間。市場が客の熱気に包まれる佳境は過ぎ去っている。
屋台に並べられている品々を見ても、売り切れている物品があったり、しなびた野菜が残っていたり、店番も呼び込みをせずにのんびりとしていたりと、市場が終了する間近といった雰囲気が漂っていた。
「市場か。訪れるのは、初めてか?」
過去を思い返してみても、ギデアが市場に足を運んだことはないように思えた。
しかしそうなると、この光景を見て『市場』だと分かったことと、矛盾が起こる。
なにせ市場の光景を知らないのなら、一目見て市場であると分かるはずがないのだから。
そんな自己矛盾を不思議に感じつつも、ギデアは市場の中を散策することにした。
市場は終わり際だと思われるが、それなりに客は訪れているようだった。
「ねえ。これとそれ、まとめて買うから、ちょっと負けてくれないかしら」
「金額は値引きできねえけど、この野菜をつけることはできるぜ」
「それが貰えるのなら、そっちも貰っちゃうかしら」
「毎度! 追加で買ってもらった野菜は、炒め物がおススメですぜ」
売れ残りの商品を狙って値引き攻勢をかける夫人に、帰りの荷物が減るようにと食材を売りつける店主。
「ええー、売り切れちゃったのー。前はこの時間も残ってたのに」
「御免なさいね。前より多く砂糖煮は作ってあったのだけど、今日はなんだか客足が多くて」
「まあ、あれだけ美味しかったら、お客さんが来てもおかしくないか。残念だなぁ」
「あっ。試食用の使いかけでいいのなら、お譲りしてもいいですよ」
「えっ、本当に!?」
「ほんの少ししか残ってませんけど、それでいいのなら」
瓶の底に少し残っていた砂糖煮を小瓶に移し替える店主に、手に入れられないと思ったものが手に入って嬉しがる客がいる。
「この首飾り、本当に魔物の牙で出来ているのか? 動物の歯じゃねえのか?」
「疑わないでくれよ。正真正銘、迷宮の魔物の【顕落物】だよ。個人的な伝手で入手したものさ」
「うーん、怪しいなぁ。だが本物だったら、他じゃ滅多に手に入らないし……」
「どうするよ。土産には最適だと思うが?」
怪しげな装飾品を前に悩む客と、商品に自身がある様子の店主。
ギデアがチラリと見た限りでは、首飾りに使われている素材は本物の魔物の牙だった。ただし、迷宮の浅い層に出てくる弱い魔物のものなので、迷宮内や出入口周辺でなら掃いて捨てるほど手に入るものでもある。
きっとあの店主には、先ほどの食堂で出くわした挑戦者たちのように、素材を売りに来てくれる伝手があるんだろう。
そう考えると、意外と挑戦者の多くが外街と関わっていることが伺える。
ギデアは、今まで自分の剣の腕と迷宮のことしか気にしてこなかったので、外街を関りを持とうと考えたことすらなかった。
しかし挑戦者の多くが血眼になって【魔晶石】や【顕落物】を集めていることから察するに、外街と関りがある挑戦者の方が多いと推察できた。
「そういう挑戦者の目を通すと、俺の存在は異質に映ったのかもしれないな」
迷宮の深い層まで行く実力があるのに、拾う【魔晶石】や【顕落物】は最低限で、そのことを惜しいとすら感じていない。仲間を作ろうとせず、知り合いと親交を温めることもせず、一人だけで迷宮へと入り続ける。
さぞかし普通の冒険者から見たら、ギデアは『変人』と映ることだろう。
しかしギデアは、今までの自分の行動を反省したりはしなかった。
全て必要だから行ったことで、他者から非難されるいわれはないと、そう思っているからだ。
さて、そんな思考に沈んでいたところで、ギデアの視界の端にある光景が映った。
それは、とある屋台の店先から、根菜を三つ盗んだ子供が裏路地へと走り去る様子だった。
それだけなら、ただ単に盗人だと思うだけ。しかし、その屋台の店主は盗んでいった子供の姿を確認しているのに見逃したことが、ギデアにとって不思議だった。
「すまない。少し話を聞かせてくれるか?」
ギデアが声をかけると、根菜を盗まれた店主は不思議そうな顔を返してきた。
「挑戦者の方に教えられるようなこと、知っちゃいないと思いますが?」
「そう構えないでくれ。俺が知りたいのは、さっき盗まれたことを知っていながら見逃しただろ。その理由が知りたいだけだ」
ギデアの質問に、店主は『そんなことか』と言いたげな表情になる。
「まずはうちの商品を見てください。上の棚と下の棚で、ちょっと違いがあるでしょ」
店主に言われて目を向けてみると、確かに少し違いがあった。
陳列されている商品は、上下に列に分類されている。しかし上下に同じ種類の野菜が置かれている。
どうして同じ野菜を一緒にしないのかと思いかけて、上下の棚の差に気付く。
上の棚には綺麗な野菜が並んでいて、下の棚には形が歪で傷んでいる野菜が置かれている。
「捨てるものを下の棚に入れているのか?」
「いえいえ。傷んでいる野菜も売り物ですよ。上の棚より三割ほど安く売ってるんです」
「あの子供が盗んでいったのは、たしか下の棚のものだな。傷んでいる野菜だから、盗まれても気にしないということか?」
「まあ、傷んだ野菜を好んで買う人はいません。懐事情が良くなくて仕方がなく買う人ばかりです。だからどうしても売れ残ってしまうものでして。しかし傷物は売れ残っても日持ちしませんから、盗まれても大目に見てしまうものでして」
店主の口調は『仕方がない』と言いたげなものだが、ギデアには直感があった。
傷んだ野菜が『下』の棚に入っているのは、盗人小僧に手を出しやすくするためではないかと。
それはなにも、店主が盗人に手心を加えているというわけではない。ちゃんとした商品を盗まれる損失を回避するため、盗まれても痛くないものを囮として置いているのだ。
「どうして、そんな用心を?」
ギデアに企みがバレれていると察知したのか、店主は苦笑いを零した。
「この路地の先は、貧民街に通じているんです。だから、手癖の悪い子供が来がちでして。いちいち追い払うのも手間ですし、食い詰めて大勢で商品を略奪されても迷惑ですので」
「傷んだ野菜をやれば、そうはならないと?」
「貧民街の子供も馬鹿じゃない。彼らにとって、食料を盗んでも大目に見てくれる店は長続きしたほうが有り難いんです。だから一度に盗み過ぎたりはしないよう、気を付けてくれるんです。逆に盗みを見逃さずに常に追い出すような店だと、長く要られたら迷惑だからと全商品を盗んで潰してしまおうとするのです」
「もちつもたれつ、ということか?」
「少し語感が違う気もしますが、まあ、そんなようなものです」
ギデアが店主と話し込んでいると、路地から先ほどとは別の子供が出てきて、こそこそと移動して傷んだ野菜を手にした。
ギデアは、つい足元に来た存在に視線を向けてしまった。どんな野菜を盗もうとしているのか、気になったからだ。
そのときバッチリと、ギデアと子供の視線が合った。
野菜を盗もうとしている子供は、垢だらけの薄汚れた顔をしていて、服は捨てられた大人の服を胸元を紐で縛って落ちないようにしている。
ギデアと子供は、そのまま数秒見つめ合う。そして先に動き出したのは、子供の方だった。
へらりと愛想笑いを浮かべると、じりじりと後ろへと下がり、ギデアと少し距離が離れたところで、一目散に路地へと駆けていった。
そして入った路地の先で、別の子供と合流。その待っていた子供から、頭を殴られたうえに怒られていた。
言葉は聞こえてこないが、盗み方がなっていないと怒っているようだ。
どんな風に怒っているかは、同じように路地の先へと目を向けていた、屋台の店主が語ってくれた。
「この店では、お客がいるときは盗むな、と怒っているのでしょうね。こちらも、お客がいる手前では、野菜が盗まれたら見逃すことが難しくなりますので」
「それはどうしてだ?」
「貧民街の子供にタダで野菜をくれてやるのなら、自分もタダで貰っていいはずだ。そう言ってくる手合いが、いないわけじゃないものでして」
確かにそんな理屈を通してしまえば、商売は成り立たなくなってしまうだろう。
いま子供を叱りに行っていないのは、ギデアが事情を聴いているので、無体なことを言ってこないと理解しているからだ。
「しかし貧民街か……」
ギデアが零した言葉に、店主が目を瞬かせる。
「貧民街に、嫌な思い出でもおありで?」
「いや、ない。しかし貧民街があることが、少し意外でな」
「意外とは?」
「食うに困ったり、餓死する危険があるのなら、挑戦者になればいい。十層までしか行けない挑戦者でも、生きていく分は稼げる」
ギデアの語った理屈は真っ当だ。そも挑戦者の多くは、地元で食い詰めたからと挑戦者になりに来た者が多い。その挑戦者たちにしても、ギデアと同じことを言ったことだろう。
しかし店主は、違った意見を持っていた。
「自分の命を懸けられる人は、それだけで強い精神を持っています。そんな人物なら、挑戦者にならなくても、他の道を歩くこともできるものです」
「貧民街の住民は、その別の道を行っていると?」
「いえ、違います。命を懸ける度胸がない連中だからこそ、貧民街から抜け出せないのです。どんな場所でも住めば都と言います。貧民街の人たちにしてみれば、貧民街の生活は悪いものじゃないんでしょう」
「慣れた環境での生活を捨ててまで、挑戦者になろうとはしないわけか」
剣技を極めるために、より良い場所を求めて、ギデアは挑戦者となった。
そんなギデアからすると、現状に甘んじ続けることが悪いように感じてしまう。
しかしそう感じることは傲慢であると、ギデアは自分で気が付いた。
「俺のように考える者の方が、変わり者なのだろうな」
店主が語った強い精神の持ち主の一種が、挑戦者たち。その挑戦者の中でも、ギデアは異質とされている。
そんな人物の意見が、世間一般の普通である道理はない。
そうギデアは判断した。
「すまなかったな店主。長々と話を聞かせて貰って」
「そう思うのでしたら、商品の一つでも買っていってください。といっても、挑戦者が欲しがるようなものはないですけれども」
「そういうことなら、買わせてもらおうか」
上の棚に入っている野菜の中から人参を一つ選び、店主に銀貨を一枚押し付けて、ギデアは立ち去ることにした。
店主が「お客さん! お釣り!」と張り上げる声を後ろに聞きながら、ギデアは人参を持て余していた。
生の野菜など貰っても、ギデアに調理する腕はないため、丸齧りするしかない。
しかしギデアは、先ほど食堂で料理を食べてきたため、腹は減っていない。
仕方がないので、とりあえず不思議な鞄の中に仕舞うことにしたのだった。




