9日目
元カノの妹と寝てしまった。
もし元カノに知られたら世界が終わるより前に殺されるかもしれない。
でもしょうがないじゃないか、と思う。こんな状況でもなかったら、手は出さなかったと思う。
「梨璃ちゃん、デートしようよ。世界が終わる前の、最後のデート。葉山に海見に行こ」
「しません」
ベッドの上ではあんなにとろけた声を出していたくせに、梨璃は相変わらず冷たかった。
「なんで?」
「やっぱりお姉ちゃんを、まだ殺したいんですか?」
斧は玄関に置きっぱなしだ。
「許せないからですか?」
真面目な表情だった。最初からわかっていたけれど、この子は素直だ。あんまり余計なことは言えないな、と思った。手を出しておいて、今更かもしれないけど。
「あのね、色んなことがあるんだよ。女と女の間には」
「またそれ、私だって子供じゃないんで、はぐらかさないでください」
私は彼女の唇のわきにキスをする。
彼女の勢いが削がれたのがわかって、そのまま唇に今度はちゃんとキスをした。
「……はぐらかさないでください」
若いなぁと思う。私が十七のときにも、こんな風だったのだろうか。
「お姉ちゃんはあなたのことなんてどうだっていいんですよ。それなのに、恨み続けるのって辛くないですか」
ぽつんとした声だった。
そりゃあ、瑠々はそうだろうな、と思う。強くて賢くて美しくて、それから傲慢なあの女は、結局自分が一番かわいいのだ。だから誰かを、殺したいほど恨むこともないのだろう。
でも私はそれを口にしない。
「梨璃、かわいいね」
「だから、はぐらかさないでって……」
この子には、ずたずたになるまで傷つけあったり、人がゴミみたいに扱われたりする世界のことはまだ、知ってほしくない。
「梨璃が好きだって言ってくれたら、やめようかな。瑠々を殺すの」
う、と詰まったような声を梨璃は出す。
じわりと彼女の顔が赤くなるのがわかった。まだ何も言っていないのに、かわいいにもほどがある。
「好きだよ、梨璃」
だから私は先に言ってしまった。こんな風に声に出すのは、恥ずかしくも何ともないことだったから。だって、ただの事実だ。
「……ずるい」
絞り出すように彼女は言った。耳まで真っ赤だった。
「だって、好きだから。梨璃、かわいい」
私は彼女の顔を覗き込み、抱きしめたいのをこらえて目を見つめる。逃れようとするかのように、梨璃が頭を振ろうとする。でも、私はそれを許さなかった。
「好き」
何度も繰り返し言う。彼女が絶対に忘れないように。世界の終わりが来ても、覚えていてもらえるように。
梨璃は泣きそうな顔で私を見た。
「嫌いです。友音さんのことは、嫌い」
「うーん、今から葉山に行くの、何時間かかるかな。瑠々には恨むなら妹を恨んでねって言うね」
「嫌い!!」
梨璃の顔は真っ赤だった。
「斧ってなかなか力がいりそうだよね。でもあれしかなくってさ。瑠々にはちょっと苦しんでもらうかもしれないけど」
「嫌い」
「別荘どのあたりにあるの? 海が見えるとこだよね。できればちゃんと殺してばらばらにしたいよね」
「嫌い」
「せっかく斧なんだから、薪割りの要領みたいな感じかな。思いっきりやれば何とかなるよね」
「…………好き」
蚊の鳴くような声だった。
「何か言った?」
「好きです!! 言えばいいんでしょう!? 言いました! だからお姉ちゃんのこと殺さないでくれますね!?」
「どうせもう間に合わないしねぇ」
「それを最初に言って!」
今から葉山に行って、何とか瑠々を見つけたって時間切れだろう。斧を振るうのだってなかなか体力がいりそうだし、あれにはこのままこの家のオブジェになってもらうしかない。
「むしろ私が殺されるんじゃないかな、かわいい妹に手を出して」
私は梨璃を抱き寄せる。振り払われることはなかった。それを良いことに、私はぎゅっと力をこめる。
「お姉ちゃんは私のことなんて、気にしないですよ」
「えー、かわいい」
「やめて!!」
梨璃は私の腕の中で、大人しくされるままになっている。私は彼女の髪を指で梳く。あの姉なのに、こんなに素直な妹に育ったなんて奇跡だと思う。
「……私より、お姉ちゃんの方が大事なんですか?」
こんなにかわいいことを言われたら、葉山なんかに行くよりずっとこの家の中にいたくなるに決まっている。腕の中の彼女の体温は暖かくて、幸せなにおいがした。
ずっとこうしていたい、と思う。
でもどちらにしたって明日。
――明日になったら全部、終わるのだ。