7日目
世界が終わるまであと三日だ。何だか現実感がない。本当に、終わってしまうんだろか。
相変わらず道路には人がいないけれど、電気も届いているしテレビもくだらない番組を放映し続けている。みんな冷静過ぎないだろうか。
しかし私はそんなことより、すっかり元カノの妹に夢中だった。
「あ、タオルあった?」
洗面所から出てきたばかりの梨璃に話しかけたら、露骨にびくりとされた。
「置き場所がいまいちわかんなくてさ。人の家ってなかなか勝手がわからないよね」
「大丈夫です」
そのまま俯いて、梨璃は立ち去ろうとする。
「髪乾かしてあげるよ」
「いいです」
梨璃は私の方を見ようとはしない。昨日キスをしてから、だいたいがこのような反応だった。朝からずっと、私の方を見ない。とはいえ無視しているわけではなく、がちがちに緊張してこちらを意識している。
「いいからおいでって。私、女の子の髪を乾かすののプロだから」
私が手招きをすると、しぶしぶという様子で梨璃は私の前に座った。私はタオルでその頭をがしがしと拭く。
「瑠々から最近連絡あった?」
生え際から毛先にかけて水分を吸い取って、後ろから形のいい耳を眺めた。かわいい。食べちゃいたい、とはこのことだなと思う。でも口にしたら確実に怒られるので言わない。
「大丈夫か、って私のこと心配してました」
「うまくやってるよって言った?」
振り向いて梨璃は私を睨み付けてくる。
「もう出てったことになってるので、何も言わないでください」
「かばってくれたんだ。優しい」
瑠々と付き合っていた間も、こんなことはしなかったなと思う。瑠々は私の前では隙の無い態度を崩さなかった。いつだって完璧で美しかった彼女。今頃どうしているのだろう。
「違います、私が自分の自由を確保するためです」
斧は玄関に置いたままだ。いつか彼女がひょいと戻って来たら、いつだって殺せるように。
私はドライヤーを洗面所から持ってきて、梨璃の頭をかわかしてやった。
「梨璃ちゃんは、いつも学校で何の勉強してるの?」
「別に、普通の高校の勉強ですよ」
「普通の高校の勉強って?」
黒くてしっかりとした髪は、乾かし甲斐があった。私はたっぷりと時間をかけて、彼女の髪を乾かす。
「……高校行ってないんですか?」
後ろからぎゅっと抱きしめたいな、と思う。でもそうしたら彼女は逃げてしまうかもしれない。
「いちおう卒業はしたことになってる」
「勉強しなかったんですか?」
「そんな状況じゃなかったし……いや何でもない。勉強の話をした私が悪かった」
「へぇ、じゃあ勉強、教えてあげましょうか」
梨璃は私の苦手を見つけたのがよほど嬉しかったらしい。ちらと振り向くと、にやにやと勝ち誇ったように笑う。そういう表情は、少しだけ瑠々と似ていた。
「あ、それはつまりえっちな勉強のお誘い?」
「違います」
「じゃあ交換で教えっこしようか。得意なことを」
「しません」
「私、何が得意かまだ言ってないけどなぁ」
「わかりますよ」
「へーぇ」
私が笑うと、梨璃は顔を真っ赤にしていた。私と距離を取ろうとするかのように腕を突き出す。私はその腕を掴んだ。
「……やめてください」
梨璃は俯いたまま、私の方を見ようとしない。
「ねぇ、何か私に言いたいことあるなら言いなよ」
「じゃあ、女の子の髪を乾かすののプロってどういうことですか?」
「え?」
もっと違うことを聞かれるだろうと思っていた私は虚を突かれる。
「他の女の人にもいつもこういうことしてるんですか?」
震え出しそうに緊張した様子で梨璃は言う。こんな何でもないことを気にして、問いかけてくる彼女が可愛くて仕方がない。
「してるよ」
顔を上げた彼女は泣きそうだった。
「だって美容師だもん、私」
「え」
「お姉ちゃんから聞かなかった? まぁ今となっては失業状態だけど」
また梨璃は俯いてしまう。耳まで真っ赤だった。
「他の女の人にしてたらだめなの?」
「だ、めじゃないです! 何でもないです!」
「じゃあ梨璃ちゃん専属になるよ」
「いらないです!」
腕を突っ張って、近寄るなというように梨璃は私を睨み付ける。でも、その目は逆効果じゃないかな、と思う。
「お姉ちゃんにもやったんですよね」
泣きそうな声で梨璃は言った。
「したけど、もうやらないよ。梨璃だけ。梨璃が最後だよ」
世界が終わる。でも性懲りもなく私は、彼女にもっと触れたいなと思っている。何もかもどうだっていい、とにかく触れたい。私は精一杯真面目な顔を取り繕って言う。
「私の最後の恋人になってよ」