1000年後に殺される百合
君は地球を知らない。だから初めて見るその注意書きを、興味深く読み始める。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
――2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版、『われはロボット』より
そして千年が経ったはずだった。
重いまぶたを開く。ゆっくりと世界が光に満たされていく。電気信号が伝わり、意識が覚醒していくのを感じ、私は目覚める。
私たちは千年の旅に出た。そして私が目覚めたということは、旅は終わったのだ。休眠状態になっていたからその間の意識はない。わかっていたことだけれど、あっという間だった。
いったい新天地はどんなところだろう。私は顔を上げようとする。
だけど何かが変だった。私は身動きが取れなかった。私の体は、強く床に押しつけられている。誰かにのしかかられているのだ。
「ごめん……」
彼女は大きく両手を振り上げ、泣いていた。聞き覚えのある声だ。だけどすぐには対象を認識できない。自分の体なのに、とてもそんな気がしなかった。
「カレン?」
ようやく声の出し方を思い出し、私は呟く。
「起きた、の?」
私の目の前には女性がいる。二十歳程度の愛らしい少女だった。だが今はやつれた表情で、ぼろぼろと涙を流している。
そうだ、私は彼女をよく知っている。十二歳の時からずっと一緒にいる、私の主人だ。黒くつややかな髪も、白い肌もよく見覚えがある。私は彼女のことを愛し、彼女も私を唯一だと認め、愛してくれていた。
「起きてしまったの……?」
何を思うより先に懐かしさが先立って、胸が苦しかった。私の体は私より、私の感情をよく知っている。
――目覚めたということは、私たちは楽園にたどり着いたのだろうか?
だが彼女は泣きながら私にナイフを向けていた。そしてまったく理解できないことを口にした。
「殺してあげられなくて、ごめん」
・
「千年、経ってないんですか?」
目覚めたばかりの体はうまく動かなかった。当然だろう。私はスリープ状態に入り、長い間機能を止めていたのだ。でもそれは当初からの予定通りだった。千年、私はスリープに入る予定だったのだ。
「どういうことですか」
私は画面を眺めていた。計器はこの宇宙船が順調に太陽系外に向けて航行を続けていることを示している。だがそこに記されているのは、私が眠りについてからせいぜい百年後にしか過ぎない日付だった。
私たちは千年の眠りにつくはずだった。途中で一度も目覚めるつもりはなかった。その必要もないはずだったからだ。私たちの目的地はとても遠い。百年程度ではたどり着けない。
「よくわかんない」
カレンはあっさりと言う。今はもう涙を拭い、けろりとした顔をしている。だが少し痩せたようにも見える。
「どういうことですか」
私は頭を押さえる。何が起きているのか、理解が追いつかない。
まさか主人から目覚めてすぐ、殺されそうになるとは思わなかった。いや、そもそも私が目覚めたのは恐らく、自衛機能が働いたためだ。向けられた刃を危険なものであると私は判断したのだ。私はアンドロイドだが、自分の身を守る必要がある。
自衛機能が働いたということはつまり、カレンは本気で私を殺そうとしていたのだ。
――だけど、なぜ?
カレンに私を殺す動機などあるはずがない。私たちは、愛し合っているのだから。
私より少し先んじてカレンは冷凍睡眠から起きたらしかった。なぜなのかはわからない。本当はカレンも千年起きないはずだった。
カレンは「突然前触れもなく目が覚めた」とだけ言っていた。
人間である彼女が睡眠に入るには、私がスリープ状態に入るのとは桁違いの手間と時間がかかる。
幸い、今のカレンは地球を出たときとほとんど同じ容姿だ。この百年ほどの冷凍睡眠装置の働きは問題がなかったようだ。
だが今も彼女の体は少しずつ衰弱していっているはずだった。いわゆる加齢だ。彼女にとっては一分一秒が貴重だった。だからできれば、今すぐ再び冷凍睡眠に入ってほしかった。何しろ私たちは千年先の、楽園にたどり着かなければいけないのだ。
「カレン、なぜ私を殺そうとしたのですか」
私は彼女を――主人であるカレンを愛していた。そして彼女も同じ気持ちであるはずだった。
本来なら私たちはずっと異なる立場だけれど、様をつけて呼ばないでくれと言われていた。私とあなたは対等なのだから、と。
私は彼女のために存在している。でもそれは、一般的な主人と使用人という枠を超えてのことだった。
人と機械であるとか、女同士であるといったことは、私たちの間では問題にならなかった。
だが、社会の側は違った。私たち……特に人間であるカレンに対するバッシングはひどかった。両親が亡くなった後、彼女は莫大な財産を受け継いだ。孤独な美しい億万長者である彼女は有名人だった。人間を愛さない、男を愛さない、そんな女は生きている価値がないと叩かれた。私と彼女との関係を、誰もまともに認めてはくれなかった。
だから私たちは一緒に地球を離れた。折しも、太陽系外惑星であるプロキシマ・ケンタウリbのテラフォーミングが始まり、「楽園」として移住が喧伝されている時期だった。プロキシマ・ケンタウリbは、プロキシマ・ケンタウリという恒星の周りをめぐる惑星だ。太陽系外の惑星だが、生物の生存に適した星として昔から注目されてきた。実際に探査船が調べたところ、地球外生命体はいまだ見つかっていないが、居住地とすることは十分に可能だという。
新天地には、まだほとんど人間もアンドロイドもいない。だから、差別も上下関係もない。あなたの楽園であることを約束する……広告ではそのようにうたわれていた。
――ねぇ、これよくない?
私は本来なら、カレンをいさめるべき立場だったのだろう。
――誇大広告に決まっています。
実際、新天地への移住は大きなリスクであり、賭けだった。一時期は火星への移住がブームになったこともあるが、同時にひどい詐欺も横行し、火星内での紛争も起きたと聞く。そもそも、そこに住むのが人間である限り、差別や上下関係がないなんてことはありえない。
――もう少し、調べてみましょうか。
私は結局のところ、誘惑に負けたのだ。私の愛しいカレンが、私と住むためにあらゆる可能性を考えてくれている。そのことが嬉しかった。そして、私自身も新天地への移住という可能性を探り始めた。
綿密に考えても、新天地への移住が実現できる可能性は高くなかった。あまりに長距離の移動になるので無事にたどり着ける保証はないし、着いたからといってすぐに地球のような暮らしができるわけではない。テラフォーミングなんて言っても、実際にはかろうじて居住空間を切り開けている程度のようだった。
だが、不可能ではなかった。
――ゼロじゃないんでしょ。じゃあ、賭けよう。レダ、一緒に行こう。
私はカレンのことが好きだった。そして私を好きだというだけの理由で迫害される世の中に、彼女がうんざりしていると知っていた。
楽園なんてない。私の知能はそう判断している。
――本当に、いいんですか。
――いいよ。私、レダと行きたい。一緒に幸せになりたい。
「なぜこの船に乗ったのか、カレンもご存じですよね」
宇宙船を用立てて、目的地までの航行経路を組む一連の過程には、膨大な手間と費用がかかった。千年かかる航行にの乗客はもちろん私たちだけだ。それでも私たちは、この道を選んだ。
「わかってる。でも、バカげてたかな、って。全部やめるなら、私がちゃんと手を汚すべきかなって思ったの」
彼女はにこにこと笑っている。
「やめたいんですか? 地球に戻りたいと?」
違和感があった。どこからどう見ても、彼女は私の主人であるカレンだ。つややかな長い黒髪、外出を嫌ってどの季節でも白い肌。アーモンド型の目と黒い瞳。少し痩せたようではあるが、これといって冷凍睡眠の副作用もないように見えた。
「地球はそりゃあ、嫌だけど」
カレンの表情が陰る。
「わかりません。なら、どうしたいのですか」
プロキシマ・ケンタウリbまでは四.二光年がかかる。光の速さで移動する術を、人類はまだ見つけていない。テレポートなんてもってのほかだ。
莫大な金があれば、あるいはもっと早くにたどり着けるのかもしれない。だけどカレンの相続した財産をすべてなげうっても、私たちが選べたのは各駅列車の旅だった。だけど新幹線でなくても深夜バスでだって、時間をかければ目的地にはたどり着ける。千年をかければ、私たちはその星にたどり着けるはずだった。
「カレン、私は、死にたくありません」
私は彼女と新天地で生きたいのだ。心中をするつもりはない。
「そう、じゃああなたの気持ちを尊重しようかな」
あっさりとカレンは言う。彼女の意図が読めなかった。彼女はもう私を好きではなくなったのだろうか。だから私を殺して、何か新たな目的地に向かおうとしているのか。
だが、そんな都合のいい目的地があるだろうか。既に船はプロキシマ・ケンタウリbに向けて進んでしまっている。航路を変えても、膨大な時間がかかるだろう。
「そもそも、あなたはなぜ目覚めたんですか、機械の不調ですか? なるべく早く再睡眠に入らないと」
そう、カレンの気が変わったと考えるのも無理がある。
そもそも彼女は千年目覚めない予定だったのだ。途中で心変わりができるわけがない。千年後になって、というのならわかる。あるいは睡眠に入る前にもう翻意していたのなら、そもそも彼女は冷凍睡眠に入らなかったはずだ。まず彼女が目覚めてしまったこと、それ自体がおかしいのだ。
「でも、もうちょっと宇宙旅行を楽しみたいんだよ」
カレンはのらくらと明言を避ける。
地球で暮らしていた頃から、カレンは気まぐれな少女ではあった。中国系財閥の娘に産まれた彼女は、小さいころから何不自由なく過ごしてきた。美しく優秀な彼女に少しエキセントリックなところがあっても、誰も不満など言えはしなかっただろう。
もし私との関係がなければ、誰かに後ろ指をさされることもなかったはずだ。
だけど思春期を迎えても、成人しても、彼女は誰も愛さなかった。私以外には。
恵まれた環境に生まれた少女。金が彼女を歪ませた、あるいはアンドロイドの陰謀だ、様々な言葉が飛び交った。金持ちで孤独で美しい彼女は、暇つぶしに人々が罵倒するスケープゴートとしては格好の存在だった。
親類たちにとっては都合がいいことだったかもしれない。彼らはカレンが結婚し、その財産が男に奪われることを警戒していたから。
「レダは眠ってもいいよ。私に殺されないといいけどね」
いたずらっぽく笑って彼女は言った。その表情は、地上で見たのと寸分の違いもなくて、私は言葉が出てこなかった。
・
たまに考えることがある。
そう、私は「考える」。だけどいつから、私は私なのだろう?
私が作られたのは労働のためだ。型番も正確にとなえることができる。私はカスタマイズされているとはいえ量産型であり、双子のような兄弟姉妹も世の中にはたくさん流通している。
人型のアンドロイドの普及は長らく人類の夢とされていた。当初、精巧な人型アンドロイドの用途は性的な愛玩だった。じきに違法になったが、それでもアンドロイドを愛する人間は後を絶たなかった。それが技術の進歩をけん引した。
私は違法な存在では無い。だけど心ない隣人がカレンを告発した。
人間と人外で、しかも女同士で交わるなど無意味で非生産的だと。
私は彼女の八歳の誕生日に彼女に与えられた。彼女の両親が二人とも事故で亡くなったのは、その一年後だった。幸い彼女の両親が残した遺産は膨大だったから、ひっそりと生活を続けることはできただろう。誰からも身を隠して、屋敷の中で私たち二人だけで暮らし続けることも。
でも、カレンはそんな生活を望まなかった。
――新しい惑星で、堂々と暮らそう。手を取って、一緒に。
真正面から罵倒を受ける必要はない、と言いながら彼女は背を向けなかった。
写真を何枚となく取られ、ネット上で様々なうわさの対象にされるとわかっていたのに、それでも彼女は公式な場には必ず姿を現した。背中の見えるドレスを着て、ピンヒールを履いた彼女は美しかった。
そう、私の主人であるカレンはいつだって、気高かった。
だから私は彼女に惹かれ、愛したのだ。それは決して、プリセットされた機能ではない。両親が亡くなったことによるショックで泣きはらしていた彼女の髪を撫でた。金持ちだからと言って仲間外れにしてくる同級生に呪詛を吐く彼女の前で頷き続けた。私はずっと彼女のそばにいた。これからもそうだ。
彼女に恋人ができたことはない。寄ってくる人間は男女問わずひきを切らなかったけれど、それでもその誰をも彼女はそばに置かなかった。
私たちは最初からずっと一緒だった。そう、その関係の中にベッドの中でのことが加わっただけ。
それだけなのに、どうして迫害されなければならないのだろう。どのような法令や条文を読んでも、私たちの関係が責められるべきものだとは記載されていない。
私は窓から外を眺めてみる。真っ暗な宇宙がどこまでも続いている。たまたまなのか、星は見えなかった。
航行は順調だ。
カレンの唯一の趣味は旅行だった。両親が存命だった頃、よく旅行に行っていた影響もあるのかもしれない。私は特段、地球に思い入れもなかったけれど、カレンは地上の様々な景色を愛していた。
「インドの朝はね、夜の底の方が白くぼんやり光り始めて、そしてお祈りの声が響いてくるの」
そんな風に、彼女は旅先の光景を対して描写してくれた。
「タイの川は雨季だったから茶色く濁って白く泡立ってた、アルハンブラ宮殿の精緻な彫刻はいつまでも見てられたな。ああ、ヴェネチアで飲んだコーヒーは美味しかったし、おじさんがおごってくれたの。サハラ砂漠で一夜を明かしたときの空の星は、本当に数え切れないほどだった」
もちろん、私は検索すればすぐにその土地の一番美しいシーンをとらえた映像にたどり着くことができる。でも、彼女の言葉で時に迷いながら丁寧に綴られる情景を、私は愛していた。アンドロイドを扱う法律は国によって異なる。カレンは私を連れて行きたがったけれど、どうしてもそれは叶わなかった。だからそのどこも私は行ったことがなかったし、今後も行くことはない。
でも、カレンの言葉で語られる風景を、私はまるで見たことがあるかのように想像できた。
だけどこの船で目覚めてからのカレンは、地球の話をまったくしない。
「カレン、お腹は減っていますか」
「大丈夫ー」
彼女はモニタに向かったまま、振り向かないで答える。
宇宙船の中でカレンは、気がつくといつもコンピュータをいじっていた。もともと彼女は勉強嫌いだったけれど、移住を考え始めてからは熱心に勉強をしていた。
私もメインコンピュータに接続すればだいたいの航行情報はわかるし、それを彼女に伝えることもできる。だけど、カレンは自らそれらを把握したがっているようだった。何か私に知られたくない作業でもあるのではないかと不安になる。だけど、怪しい兆候は見られなかった。
「カレン……やっぱり、もう一度眠りについてください」
こうしている間にも、彼女の寿命は減り続けている。砂時計の砂がこぼれ落ちていくかのように。
彼女が何をしたがっているのか、私にはわからない。このまま航行しても、彼女の寿命は目的地に着く前に尽きてしまう。
「ねぇ、レダ、キスして」
私は彼女のそばに近寄る。地球の法律は、もう通用しない。
椅子に座ったままの彼女の背後から覗き込むようにして、逆さまにキスをした。私たちにとって、約百年ぶりのキスのはずだった。
「ふふ」
嬉しそうに彼女は笑う。それとも、彼女こそが本当は死にたいのだろうか。私に死を望むか尋ねるのは、遠回しにそう訴えているのか。でも、笑う彼女から希死念慮のようなものは感じられない。
カレンが自ら死のうとするなんて考えられない。私たちは、一緒に幸せになるために地球を出たのだ。途中で命尽きて二人で宇宙ゴミになるのもそれはそれでロマンチックかもしれないけれど、カレンがそんなことを望むとは思えなかった。
「いつもさ、見られないようにこっそりしてたよね、キス」
カレンの両親の死は突然だった。
彼女はたった一人になってしまった。寄ってきたのは財産を目当てにしたハゲタカのような親類ばかりで、カレンは傷ついて泣いてばかりいた。
〝ずっと一緒にいてくれる?〟
〝はい〟
〝私が主人だからそう言うんでしょ?〟
〝私には自律的思考が許されています〟
〝でも、自分を捨ててくれ、なんて言えないんでしょう?〟
〝「三原則」を破るようなことはできません〟
それは有名なSF小説に出典を持つ文言だった。考えられた当初、もちろんそれはフィクションだった。だがロボット工学者はみんなSF小説が好きで、むしろそれをなぞるように製品を開発し、三原則は後に本当に搭載されることになった。利用者である人間の理解が得られやすい利点もあったのだと思う。こういう機能がついているので主人である人間は安全だ、そんな風に喧伝されるとアンドロイドへの抵抗感は減った。
〝ほら、やっぱりそうじゃない。私がキスしてって言ったらするんでしょう〟
〝いいえ。今はしません〟
〝どうして?〟
きょとんとした目で、カレンは私を見返してきた。
〝今、キスをすると第一条に反して、あなたを傷つけてしまいますから〟
カレンの頬がかっと赤くなるのを私は見た。かわいい、と思う気持ちがどこから生まれてくるものなのか私は知らない。
「私」はいつ生まれたのだろう。この、感情に似たものは。
スイッチを入れられた瞬間だろうか。あるいは、主人としてカレンを紹介されたときだろうか。
〝じゃあ……私を傷つけないって確信できたら、そのときキスして〟
私の肌はTPE(熱可塑性エラストマー)により柔らかく滑らかに作られている。でも、カレンのそれとは違う。もっときめが細やかで、そして時には肌荒れもする。彼女の唇は柔らかくて、鼻の横にあるそばかすまでもが愛おしかった。私の頬は、何の跡もなくつるんとしているばかりだから。
「レダ、地球はどうなってるのかな」
「通信を行いますか?」
「知りたくない。聞いてみただけ」
地球を出発した時点で、探知を避けるために一切の連絡は絶っていた。わざわざ地球のニュースを知っても意味がないだろうと判断したからでもある。
「地球か……どうなんだろ」
遠くに思いをはせるようにカレンは口にする。
「知ってる? 地球の自転は少しずつ遅くなってるんだよ。海と海の底との摩擦で。だから、地球の一日は少しずつ長くなってく」
「カレン」
「海が地球を遅くしてる」
遠くに目をやって彼女は言う。今、彼女は何を考えているのだろう。私にはわからなかった。
「そのまま止まっちゃえばいいのに」
両親が死に、遺産を相続してからカレンは周囲に怯え続けていた。実際、億万長者となった十代の少女を搾取してやろうという輩に世の中は満ちていた。彼女の味方は、私だけだった。
「カレン。どうして、あなたは私に死にたいのかと聞くのですか」
「ねぇレダ、ホットココアを淹れて」
かつて地上でしたのと同じように、カレンは私にねだる。それを拒否する権限は私にはなかった。
カレンは私の想像もつかないことを何か考えている。私の脳はそれなりの計算量をこなせるが、人間のような発想やひらめきは苦手だ。
八歳からずっと私は彼女のそばにいた。彼女は私と一緒に大きくなった。
私はココアパウダーを取り出し、水を温め始める。簡易キッチンに思ったより砂糖が少なく、私は備品庫に向かった。
私たちは旅程のほとんどすべてを寝て過ごす予定だった。だが、何があるかわからないから、食料は特に多めに積んだ。その数量のチェックは自動で行われていたし、極端な数の変化はないはずだった。だが、入り口に置いてあった砂糖を手に取ったとき、何か違和感があった。
過去の記録と齟齬があるのだろうか。私は食糧庫を奥の方にまで進んでいく。このあたりの箱には、水や米、パンなどのすぐに食べられる非常用食料が入っているはずだ。私はそのうちのひとつの箱を開く。
空っぽだった。
本当なら、空になった箱はたたんで避けておくことになっている。たまたま片付け忘れたのだろうか。だが、隣の箱を覗き込むとそれもやっぱり空だった。
「そんな……」
まさかと思った。だけど開ける箱開ける箱、すべてが空だった。結局、食糧庫の入り口の方に置いてある数箱以外は、すべて空になっていた。
一体誰が、なぜ。出発時に積み込まれていたことはちゃんと確認している。誰かが捨てたのか。あるいはひっそり盗んだ密航者がいるのだろうか。
だが、船内に熱反応があればシステムが反応するはずだ。この船に私とカレン以外はいないことは明らかだった。
そう考えれば可能性は二つだ。システム自体が乗っ取られていて、本当は密航者が隠れているか……それか、カレンが食べたかだ。
カレンがわざわざハッチを開け、食料を捨てたとは考えにくい。彼女がそうする目的も思い浮かばない。食料が減った一番わかりやすい理由は、食べたということだ。
カレンは私の数日前に目覚めたと言っていた。
でも、実際にはもっとずっと前から目覚めていたのかもしれない。だからこれらの食料を食べる必要があった。彼女は人間だから。
私はキッチンに戻ってココアを入れ、何食わぬ顔で彼女に差し出した。カレンはあれらの空箱を、隠そうともしていないように思える。
「カレン、ココアができました」
「ありがとう!」
カレンは嬉しそうに私を見つめる。
私は聞けなかった。もっと前、数日から数週間前に目覚めていたのだとしたら、その間、カレンは何をしていたのだろう。
私は過去の室内管理システムのログをざっと眺めてみたが、特に変わったことが起きている様子はない。監視カメラの映像にも何も変化はなかった。
だが、カレンは最近自分でシステムをいじっている。データをあらかじめ操作しておくとも、管理者権限を持つ彼女なら容易だ。でもカレンがそこまでしないといけないのはどうしてなのだろう。
「やっぱりレダに淹れてもらうのが一番おいしい」
粉を溶かすだけなのだから、誰が作っても同じものができる。でも、私はそう言わなかった。笑う彼女があまりにもかわいらしかったから。
カレンは数年前、二十歳の誕生日を迎えた。彼女は私に、もう一度キスをするように言った。
私はその命令に抗わなかった。
カレンはその三ヶ月後、自分を抱くようにと言った。その意味がわからないほど、私はポンコツではなかった。私たちは隙間なく抱き合い、お互いを愛し合った。
私に性感の機能はない。性器もない。
だけど、彼女を抱きしめているときに確かに何かを感じた。彼女に触れられると気持ちがいい、と思った。
それは私が人間の文化を理解しているために起こる錯覚だったのかもしれない。
自分をまるで人間かのように思う、滑稽なことだったのかもしれない。
それでも私は彼女を愛した。愛していると、認識した。
〝ずうっと一緒にいてね、大好き〟
カレンは積極的に私を求めた。跡継ぎの必要性などを話して、人間のパートナーを見つけるべきだと話したこともある。だが、カレンはまったく迷うことなく私を選んだ。
「ありがとう、ココアをいれてくれて」
湯気の向こうでカレンが微笑む。私はどうしたらいいのかわからない。
「どういたしまして」
わかるのはただ、彼女を愛しているということだけだ。
・
何かが変だった。だけど私はその原因を探り、カレンに突きつけることはできなかった。食糧庫の食料は、少しずつさらに減っていった。当然だろう。カレンは起きている限り、食料を取らなければいけない。
カレンは地球の風景についての話を相変わらずしなかった。そのくせ、たまに辛かった思い出ばかり口にした。
「『自分に都合のいいことしか言わない機械に惚れるなんて、究極的なうぬぼれだよね』」
「カレン?」
「地球で言われて嫌だった言葉リスト」
カレンはくすりと笑って言う。
「『子供みたい。人間と関係するのが怖いんでしょ』」
カレンは笑っている。
私が目覚めてから一週間が経とうとしていた。このままでは手遅れになる。カレンを早く再睡眠に入らせなければいけない。
私たちの楽園はまだ何万光年も遠い先にあるのだ。早めに睡眠に入らなければたどり着けないまま、彼女は死ぬことになる。
「確かに人間は複雑で、計算が難しい。……私たちの家、今頃は粉々になったんだよね」
カレンは遠い目をして言う。出発する前、カレンは長年忌み嫌っていた自宅を爆破処分した。業者が欲しがっていたのは土地だけであり、上物はいらないと言われていたからだ。
「夕暮れ時かな。あの家の窓から空が暮れていくのが見えるのが好きだった。裏の川の音がして」
懐かしそうにカレンは目を細める。
「……カレン」
やっと彼女が地球の風景を肯定的に話してくれたけれど、それでも私はほっとできない。
このまま彼女と過ごし続けても、彼女の寿命は減っていく。
私が何と言っても、彼女は再睡眠に入ろうとしなかった。残された時間は長くない。このまま見てみない振りをして航行を続けることは、不可能だった。
「カレン、私に何を隠しているのですか」
ずっとどこか、違和感があった。何かがおかしい。だけど私はその原因にアクセスできない。データベースをいくら開いても、異常がないと示されるだけ。
「なんにも」
彼女はいつも通りの目で私を見つめる。
このままでは埒があかない。だから私は一歩踏み込むことにした。
「あなたは、いつから起きているのですか」
彼女はいつも、私の想像を超える人だった。この旅を提案してきたことからしてそうだ。彼女は、私を捨てればいつだって幸せに暮らせたはずだった。だけど、私を捨てることは幸せなんかじゃない、と言った。
あの食料の減り具合からして、カレンは私に告げたのよりもっと以前から目覚めているはずだ。
そして彼女は再睡眠に入らなかった。
入らず、私を殺そうと思い詰めていた。そこから導かれる結論は一つだ。
「この船は……プロキシマ・ケンタウリbになんて、向かってないんですね」
システムは順調な航行が行われていると示し続けている。だが管理者権限を持っているのはカレンだ。私は直接に計器を触っているわけではないから、いくらでも騙せるだろう。もし、カレンがその気なら。
カレンは主人であり、私はその道具だ。カレンが私を騙すことは容易だ。だけど、そんなことをする意味がわからなかった。
「私は、あなたを殺さないといけない」
カレンの声は静かだった。
カレンが指を小さく振るとざっとモニタが暗くなる。そして、太陽系内のまったく見当はずれの位置が示された。今まで、私に対してもまったく誤った位置情報を与えていたのだろう。だがこの新たな表示こそがダミーという可能性もある。
「あなたは私より耐用年数がずっと長いから」
「だからカレン、あなたは早く冷凍睡眠に……」
「うまく千年を耐えられたとしても、どこにもたどり着かない。そもそも、私たちは騙されていたのよ。この船は千年かけても太陽系を出られないくらい遅い。私の冷凍睡眠装置も、ちゃちなものだった」
じっと、カレンの黒い目が私を見ていた。
「それなら私が、何とか修理を……」
「そんなことできないってわかってるくせに」
目的地に飛ばない宇宙船、機能の低い冷凍睡眠装置……。カレンが金持ちであることは有名だった。そして、彼女の私への愛も。
だから騙されたのだ。実際、楽園を望む彼女を話に乗せるのは、詐欺師にとっては簡単すぎることだっただろう。私たちはあまりにも追い詰められていて、孤独だったから。
「私たちはどこにもたどり着けない」
私たちは千年先の惑星で、二人きりでいつまでも幸せに暮らすつもりだった。
――でも本当は、私は彼女をいさめるべきだったのだ。
楽園なんて、どこにもあるはずがない。カレンに近づいてくるのが金目当ての詐欺師ばかりだと、私は知っていたはずだった。おそらくカレン自身も。
それなのに私は旅に出る彼女を止められなかった。二人で幸せに暮らせる、という妄想に酔ったのだ。
「だから……私を殺そうとしたのですか」
船は目的地にたどり着かない。冷凍睡眠装置の機能が低ければ、どこかの時点でカレンは死ぬ。そして私はただ、休眠状態のまま千年後を待ち続ける。
そして未来がどうなるか。私はやっと、カレンの思考に追いつく。
私は自らの死を選ぶことができない。
そういう仕様だからだ。三原則にもそのことが明記されている。だがカレンはせいぜい数百年も保たずに死ぬ。そうなったら、私はこのどこにもたどり着かない船の中に、たったひとり取り残される。目覚めても誰も守る相手がいないまま、たった一人。
「そうだよ」
そうなったとして、私にはどうにもできない。カレンの後を追うこともできず、そのまま航行を続けるしかない。行き先が間違っていても、どこにもたどり着けないことがわかっていても。
カレンと一緒にいることが目的なのに、カレンがいなくなっても、私はそうするしかない。
「自分の死期を悟ってからすぐ、あなたを殺すなんてこと、うまくいくとは思えない。そんなのきっと間に合わない。私は今も歳をとっている。おばあさまは心筋梗塞で死んだし、お父様は成人病だった。私だっていつ死ぬか……! だからあなたを殺して自殺するのが、一番確実だと思った」
カレンの目は黒い。私はその色をじっと覗き込む。
もう隠していることはないだろうか。勝手に一人で抱え込んでいないだろうか。
「カレン。長く、生きて下さい」
「こんなとこで?」
「私がいます」
こんなこと、気休めにもならないのかもしれなかった。でも、私を殺して自殺するなんて結末が、彼女の終わりであっていいとは思えなかった。
「私は……私は構いません。カレンのことを思いながら、百年でも千年でも一人で旅をします」
「どこにも着かないよ。ほら、よく見なよ」
カレンが示した宇宙図は絶望的なものだった。どこにも人が住める惑星は近くにない。詐欺師たちは、助けを呼ばれるのを嫌ったのかもしれない。
「それならば、地球に戻りましょう。まだきっと間に合うはずです」
それが可能であるかもわからなかった。だが、カレンはあっさりと言った。
「嫌だし、無理だよ」
「戻れれば、きっとどうにかできます。もう一度、改めて新しい土地に向かうことだって」
「私はうんざり。地球には絶対に帰りたくない」
「カレン!」
私の存在意義は彼女だけだ。そして彼女の望みは何でも叶えてやりたい。
私は彼女の頬に触れた。それからそっと、彼女の体を抱きしめる。
「あなたは、地球が好きだったじゃないですか。ギリシアの海を、カンボジアの湖を、アメリカの山を、美しい景色のことをいつも語ってくれた」
カレンの表情は乾いたままだった。もし燃料が千年分に満たなくても、戻ることならできる。それしか選択肢はない。
「ロマンチックかもね、考えてみたら。宇宙の果てで私たちは二人ぼっち」
確かに、私たちはあの地球の息苦しい空気から逃げたかった。
「私は、戻らない。戻りたくないよ」
どうして、愛し合っているだけで後ろ指を差されないといけないのだろう。私と彼女の種族が異なるというだけで、どうして。
そして非難されるのはいつもカレンの側だった。彼女が人間だったから。財産と自由意志を持つとされている側だったから。今だって、選択を迫られて苦しいのは彼女だ。私には、彼女の後を追って死ぬ選択肢が許されていない。
――どうして、私は私なのだろう。
「だからあなたを殺してあげるのが、愛なんだと思う」
カレンは泣いていた。
私はその頬を滑り落ちていく涙に打たれる。私のこの感情は、どこから来るのだろう。
彼女が私の主人だから。
初めて見た人間だから。
それは妥当な理由なようで、やっぱり足りない。
彼女の存在、そのすべてが私の存在意義だった。そしてその望みを少しでも叶えることが。私は手を伸ばし、彼女の涙をぬぐう。
「それならば、進みましょう。きっと、どこかにたどり着けるかもしれない」
「このまま航行を続けても居住可能な惑星に行き当たる可能性はないよ」
そんなことは私もよくわかっていた。広大な宇宙に情の入り込む余地はない。むやみに進んでもどこかで宇宙ゴミになるだけだ。
「ですが、ゼロではありません」
かつてカレンは、私に夢を語った。愛する人と、どこかで静かに幸せに暮らす。たったそれだけのささやかな夢を。
彼女はあれほど地球を愛していたのに。
地球の社会は、彼女を愛さなかった。
「この船の中だって、快適ではないですか。どこまでも、行けるところまで行きましょう」
わかっていた。もとから余裕のある航路だったわけではない。そもそも太陽系外への脱出などというものが、おとぎ話だったのだ。それでも信じたいと思ってしまった。私はもしかしたらどこかで、失敗してもいいと思っていたのだろうか?
それでもよかったのかもしれない。私にはカレンだけだ。地球などより彼女のほうがずっと大事だ。
「私を殺さないで下さい。私は、あなたとの思い出だけを胸に、千年でも一万年でも、きっと過ごしていける」
彼女といる一時間が、一日が、百年が大事だ。
永遠じゃなくていい。
私にはそれだけでいい。たとえその先に待っているのが一人で過ごす、この銀河と同じようなただ膨大な真っ暗闇なのだとしても構わない。私はいつまでだって孤独な航行を続けるだろう。
〝キスして〟
あの時の彼女を、あらゆる瞬間を私は忘れない。きっとそのために、私は生まれてきたのだ。
「キスして」
私は彼女の唇を塞ぐ。涙で潮の味がした。行ったこともない地球の海に、私は思いを馳せた。
・ ・ ・
君は地球を知らない。
長距離船の中で生まれた子どもだからだ。宇宙ベイビーだと一時期話題にもなったのだけれど、君はそのことも知らない。まともな教育を受ける機会もなかったのだ。でも、君は自分の生き方は知っている。宇宙はどこもかしこも君の庭だ。
その日、君は古い一艘の宇宙船に行き会った。お宝を求めて乗り込んだのだが、見つかったのは白骨化した地球人の女だけだった。
「しけてやんの」
その他に、特に高価なものはなさそうだった。特に財産は積んでいないちっぽけな船だ。君は記録を確認し始める。その船は見当外れの方向に航行しており、一体何のために出発したのかもよくわからなかった。
食料庫にはまだ食べ物が残っているため、飢えて死んだわけでもないようだ。地球人の女の身なりは悪くなさそうだったし、投げやりな家出のようなものだったのだろうか。
「何なんだろうなー」
君は退屈まぎれに独り言を言う。宇宙ゴミを漁って生きている君は、ずっと前から一人だった。両親に捨てられ、宇宙船のメインコンピュータとの対話で言語を覚えた。一部界隈では、宇宙の幽霊などとも呼ばれているけれど君はやっぱり、そのことも知らない。
「まぁ、一応確認しとくか」
君は手早く機器を接続し、監視カメラの映像を確かめていく。以前、事件の起きたらしい船の財産をまるっと頂いたら、警察にこっぴどく叱られたからだ。
それから君はちゃんと確認をするようにしている。この船が、事件ではなく事故で漂っていたものであり、現在の所有者は誰もいないのだと確認しなければいけない。
退屈な仕事だった。遭難した船に起きた事件なんて、ろくなことじゃない。
仲間割れ、予期せぬ機材トラブル……広い宇宙の中では死は特別なことでもない。
これまで見つけた船たちは、居場所がない君の貴重な財産になった。売り払えば思った以上に高価なものが見つかることもあった。
この船にもそうしたものを期待していたのだが、どうやら何もないようだ。
地球人の女はどうやら、トラブルで冷凍睡眠から早期に目覚めてしまい、死んだようだった。
目的地はプロキシマ・ケンタウリbだとされていた。もう何百年前のことだが、居住対象として有力な地球外惑星とされていた時期がある。現実には今に至ってもテラフォーミングなど進んでいない。無事に目的地についていても彼女を迎えるものは何もなかっただろう。
「ばっかで……」
乗客は女一人と、一体のアンドロイドのようだった。そのアンドロイドもこの船の中にあるのかもしれない。相当な骨董品だろうが、売れるパーツがあればいいなと君は考える。
女は百年も経たずに死んだようだった。まぁ人間の寿命としては妥当なところだろう。
「何やってんだろ、こいつ……」
ログを見るとアンドロイドは女の死後も、その後も淡々と生活を続けているようだった。女の死体を冷凍睡眠装置にうつし、簡易キットで植物を育て始めた。
主人が死んだのだからさっさとスリープに入ればいいものを。
君はアンドロイドが最後にどこにいるのかを確認したくて早送りを続ける。植物を育てる試みは何度も失敗しているようだった。だけどアンドロイドには時間だけはたくさんあった。どうせどこにもたどり着かずに宇宙ゴミになる運命なのだ。
そのうちに、アンドロイドは植物を育てることを諦めた。女の死体はすでに白骨化していたけれど、冷凍睡眠装置は起動したままだった。
植物に失敗してから、しばらく何もしないまま数年が過ぎた。やっと電源が切れたのだろうか。かと思うとまた動き出した。
今度はずっとコンピュータをいじっている。生き延びる方法を探しているのかと思ったけれど、じきに違うとわかった。
映像を作ろうとしているのだ。その頃には地球との交信も不可能になり、完全に船は孤立していた。だから、アンドロイドはろくな素材もない状態で、何か映像を作り出そうとしていた。
君はよく知らない。人間でない存在が、創作意欲など持つものなのかどうか。そもそもそのアンドロイドが作ろうとしているのが作品なのかどうかも。
君は映像を早送りし続ける。植物と同じように、映像制作も失敗ばかりだった。だけどそれでもアンドロイドは諦めない。機械だから当たり前であるとは言えた。人間が生前に、こうしろと言っていたのだろうか。だがそれにしたってこのアンドロイドにはセンスがない。ノイズにまみれたつまらないドラッグのような映像が続く。
そしてそのまま百年が経ち、二百年が経つ。
「よくやるな……」
アンドロイドはただ映像だけを熱心に作り続けていた。何やら作っているのは町の風景らしい。あまりに非効率なことにも見える。どこかから映像を手に入れればそれで済むはずのことだからだ。もっとも、地球との交信も途絶していたようなので、そうもいかないからなのだろうけれど。
アンドロイドは根気強く作業を続けていた。雑踏の人混みを再現した映像では、一人一人の人間のCGを作り、それを丁寧に並べていった。
時折スリープには入っているようだったが、アンドロイドはそれでも生活といえる暮らしを続けていた。わざわざ地球でのそれのような、二十四時間をベースにした生活時間を区切っているのだ。眠りも食事も必要もないというのに。
まるで、つまらない農村での老人の生活を見るかのようだった。船の手入れ、掃除、映像の編集。決められた日課をこなしながら、アンドロイドはたったひとりで動き続ける。一体何がしたいのか。そのように、事前に主人から命令されていたのだろうか。
「あー、早く終われよ」
そして千年が経った。
君は気がつくと、うとうとしかけていたようだ。はっとして顔を上げると、モニタ一面にいくつもの風景がうつっていた。
君はそのいくつかに見覚えがある気もする。だけどわからない。君は宇宙船の中で生まれたから知らない。
埃っぽい町に響く祈りの声、澄んだ湖の日暮れ、巨大な川を走るぼろ船、教会に響くオルガンの音。火葬場からのぼる煙、複雑に色を変えるオーロラ、西日を反射して輝くビル街の窓。風に揺れる公園のブランコ、どこまでも茂る黄金の稲、轟音とともに空を彩る火の花。
「なんだ、これ……」
君は知らない。風景は移り変わり、一つとして同じものはない。
それは彼女が好きだった、地球の風景だ。アンドロイドが長い時間をかけて作り出したCGの、偽物の風景。とても本物には敵わないけれど、長い年月をかけて作っただけあって見られるものにはなっていると思う。
暇に任せた手すさびだ。でも、彼女の手向けぐらいにはなってくれると思いたい。
「誰だっ」
君は気配を感じて振り返る。とっさに銃を構えて、それに向かって引き金を引く。君にとっては自然な行動だ。油断をしたら殺される、殺される前にやる、それが君のモットーだから。
そう、そして君は初めて、私の声を聞くのだ。
「ありがとう」
私を殺す君は。




