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「フウト様は肉料理がお好きと聞いて、ご用意いたしましたデーメー牛のステーキでございます」
ほう。疲れた体に初めて食べさせる料理がステーキとな。が、それはそれでアリかもしれない。そもそも疲れていたのは体ではなくて心だったのだから。
しかしながら、あの神様とやらはどれだけの情報を伝えたのだろうか。僕の料理の好みまで知らせたとなると、末恐ろしい。想像するのも嫌だ。
話を戻して、早速いただくとしよう。冷めてしまっては美味さも半減してしまう。
見るからに、肉汁が溢れてきそうなステーキである。何ならもうすでに肉汁がこぼれているのだ。いったいどういう調理をしたらこのような料理が出来上がるのだろうか。もはや作品といっても差し支えない。
ナイフが何の抵抗もなくすんなり入ってく。この分厚さでこの柔らかさとはいったいどういうことなのだろうか。しかも口に入れると溶けてしまうではないか。脂を食べているわけではないのだが、これは脂を食べているといっていい。食感というものが一切なく、かといってしつこくない。なるほど斯様な料理ならば僕に出しても不思議ではない。熱の時のゼリーよりもはるかに飲みやすいのだから。歯の存在を全くといって必要としない料理だった。
「もともと食感は柔らかいお肉なのですが、特殊な調理法を用いまして、限界まで柔らかくしてお出ししました」
なるほど。特殊な調理法はどんなものか想像すらできないが、恐らく魔法を使ったものだろう。異世界万歳である。いやはや、これでは異世界に飛ばされた人たちが元の世界に帰りたくないのも頷ける。僕でさえぐらつくほどなのだから。
大したものを食べてこなかった僕にこれ以上の食レポを求められても仕方がない。肉が好きなのは家で魚ばっかり食卓に並ぶからで、絶対的に好きなわけではないのだ。別に肉にたいして並々ならぬこだわりがあるわけではないし、食レポというなら魚のほうがもっとできる。食べてきた量が違うのだから。
お腹も少々膨れてきたところで、風呂を頂くとしよう。食事の感謝を言ってから再び話しかける。
「何度もお願いして申し訳ないのですが、温泉に案内していただいけませんか?イーリス様から聞いているとは思いますが、何分温泉好きなもので」
「はぁ。そのようなことは聞いておりませんが、温泉でしたらご案内します」
僕の食の好みは知らせておいて、何故これは知らせてないのだろうか?いまいち基準が分からない。が、まずは温泉だ。嫌な汗もかいていたことだし。
「では、お願いします」といって、今度はメアリーさんに連れられて僕は部屋を後にする。アンさんは恐らく僕の部屋を掃除してくれるだろうし、あとでお礼を言っておかねば。
温泉はとても幻想的だった。上を見上げると、空が見える。今は日も出ていて星は見えないが、夜になると満点の星空が見られることだろう。後で、夜になったらまた入ってもいいかもしれない。
ここでみんなはメイドさんの乱入というお決まりなイベントを期待するのだろうが、その点僕は抜かりない。脱衣所に入る前に着替えはもらったし、体を流さなくても大丈夫とも言った。念には念を入れて自分で部屋に帰れるから、あとは大丈夫ですとも言った。メアリーさんは多少不満げな様子だったが。
しかしながら、何やら脱衣所から物音が聞こえる。僕以外に入る人はいないはずだが。
そうこうしているうちに、風呂場と脱衣所を隔てるドアが開かれた。入ってきたのはメイドさん...ではなくてなんとあの王様だった。
「やあやあ勇者殿。儂も仕事が一段落したのでな君がここにいると聞いて、やってきたのだ。男同士裸の付き合いと行こうか!」
何とも気さくな王様だ。ほかの作品の王様は悪人側で書かれていることも多いようだし、まずは王様ガチャに勝利したといったところだろう。ひとまず安心した。
「王様ともあろうお方が、なんともフレンドリーなんですね。意外でした。」
「国の頭たるものとして、親しみやすさというのは大事だろう。勿論、公私は分けるがな」
なるほど。僕が転移した時も率先して頭を下げていたことだし、リーダーとしての自覚にあふれているのだろう。日本の上司像とは大違いだ。この調子なら親友二人連れてきてもいいのではないか?今の時点では元の世界よりこちらの世界のほうが住みやすそうだ。
「それは分かりましたが、何故私のところへ?」
「なあに、これから君にはこの世界を救ってもらうのだ。国の頭として会いに来るのは普通だろう。まあ温泉でというのは多少異質ではあるがな。しかし君の世界では裸の付き合いというのがあるらしいではないか。この国にも似たような文化はあるのでな、別に不都合はなかろう」
それは伝えていたのか。本当にどこで線引きをしているのだろうか?今度会う機会があったら詳しく問い詰めるとしよう。
「はぁ。それは意外でした。そんな文化は自分の国だけだと思ってましたから。それで王様、私はこれから何をすればよいのでしょうか?」
「そんな堅苦しくせんでよい。ヴァシーとでも呼んでも構わないのだぞ?ヴァシーは儂の愛称だがな」
「では、ヴァシーさんで。それで私は何を?」
「それなのだが、この国にはギルドという言うなれば、有志による自治組織があってな、もう知ってると思うがこの国を残して他の国はすべて魔族の支配下となっておる。それでも支配されていないのはそのギルドの存在のおかげだ。王国にも騎士団なるものがあるが、それだけでは奴等を食い止めるには力が足りない。そこで君に頼みたいのがギルドとの協力の締結だ」
「普通王国とギルドというのは協力関係にあるのではないですか?ギルドも王国内の組織ですし」
「恥ずかしい話だが、先代の国王がギルドと大喧嘩してな、そっれきり険悪な中になってしまったのだ。今のギルド長はその当時の副長の立場だったのだが、これも拍車をかけておる。そこで君にはギルドの組織を中から変えてもらいたい。勿論こちらは君への協力は惜しまないし、ギルドへの働きかけも続けていくつもりだ。望みは薄いがね」
「僕みたいな新人が変えることなどできるのでしょうか?そんなことができるのはよほどのベテランか強い力がないとできないと思いますが」
「変えてもらわなければ困る。幸いにしてギルドは実力社会だ。君はイーリス様のお墨付きであるし、それに君にはどうやら他の才能もあるらしい。詳しくは知らないがな」
「君にはこれから王国騎士団長と魔導士団団長から訓練を受けてもらう。あらかた戦闘になれたら、ギルドに入って実戦経験を積んでもらおう。とりあえずひと月はゆっくりする暇はないと思ってくれて構わない。もっとも休息は十分とってもらうがな。では話したいことも話せたことだし儂はここで失礼する。つかの間の休みを享受したまえ。訓練は三日後からだ」といってヴァシレウスは風呂場を後にする。王様のわりにはやけに筋骨隆々だった。きっと若かりし頃は前線で指揮を執っていたのだろう。
先程親友二人を連れてきてもいいのではないかと言ったが、前言撤回だ。こんな面倒ごとに彼らを巻き込みたくはない。
三日後から訓練だと言ったが、それまでにヴァシーの言うことでも聞いて休みを享受してもいいけれども、少なからずこの国 この世界の置かれている状況を把握したほうがいいだろう。それに魔法も。
ああでもないこうでもないと思案しているうちに日が傾いてしまった。思ったより長くの時間が経過したようだった。
空を見上げると生憎、満天の星空とはいかなかった。雲で覆われていたのだ。そのなかで一つの星だけが雲を免れていたものの、その光は見落としてしまうほどに弱々しい。
僕は一抹の不安を抱えながら風呂場を後にするのだった。
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