価値
「…大学も失敗、就職も失敗、どうしろってんだよ」
目の前には断崖絶壁、下には打ち寄せる波が白く飛沫を上げている。
「俺だって、努力はしてきた! それで、それでこれが現実かよ!」
思い起こせば失敗ばかりだった。高校受験では第1志望には通らず第2志望で妥協し、その後も失敗続き
今の今まで何を成功していたのかすら頭に浮かばない程だ。
「何でだよ! ちくしょうが!」
既に辺りは夕暮れの帳に閉ざされていて人はいない。だからこそこうして思い切り自分の激情を、やるせなさを吐露しているのだ。
「ふざけんな!、何で、何で俺が受かんねぇんだよ!」
今日だって就職の面接に行っていたのだ。8月だというのにわざわざスーツまで着て。知り合いも、おそらく世の中の大学生はこの時期には就活など終えている。だというのに自分はまだそんなことをしていたのだ。
しかも面接では自分以外に茶髪の男が一人応募者として並んでいた。
この男になら勝てると、こんなやつには負けるわけがないと。そんなことを考えながら余裕を保っていた心は面接が始まってすぐにおられた。
部屋にやってきた面接官は自分の横に座る男と同じ髪色、しかも幾分鮮やかだ。
呆気にとられ一瞬挨拶が遅れてしまい、気を取り直してと思っているうちに隣の男と話始めていた。
その話も聞けば、どうやら二人は知り合いの様で自分の事などほぼ気に留めていなかった。
形だけの面接と言えばまだ言葉面は良いが、自分はただただ添え物だったのだ。
面接官も適当な言葉をこちらに向けてくるもののそれに返せば面倒くさそうに跳ねるような動きで手元の紙にペンを動かす。
ああ、これはだめだと考えたのは正しかったらしく、もはや聞く気のなくなった隣の男と面接官の話を適当に聞き流していたところで君は不合格ねと言われた。予想通りだった。
その場では何とか怒りを堪えた、というよりあきれ返っていたのかもしれない。
だがその会社の入るビルのエレベータを降り、帰宅するために乗っていた電車に向かう道すがらでだんだんと怒りがわいてきた。
そんな会社に応募していた自分に、時間を無駄にしてしまったことに、そして何より上手くいかないこと全てに。
最初は水泡のように浮かんでは消えるような怒りだったが、気づけばドロドロと粘性を帯びて心の中で煮えたぎっていた。
そこまでいけばもう抑えられない、頭がおかしくなりそうだとわけもわからず電車に飛び乗りただここに向かっていた。
その道中の記憶はあまりない。自分がスーツであることもその他色々と荷物を持っているのが不思議なぐらいだ。
そうしてやってきたこの場所でひたすら叫び続けていた。
「くそが、くそが、くそがっ!」
いや、声だけではない。叫びが喉を焼いているのさえも煩わしくて鞄も足元に叩きつけている。土にまみれ埃を立てる姿を見ながらも一向にいらいらは収まらない。
あんまりにイライラしてきてもういいやと、鞄を思い切り海に投げ捨てた。
オレンジ色の光の中に黒い棒が動いていくのが見える。
まぶしいなと思っているうちにぼちゃっと音がして海に沈んだらしい。いやそれも違う、どうやら軽いものだったのだろう海を漂っている。
その姿を見ながら余計に腹が立つ。沈めてやるつもりだったのだ、それがなぜ海に浮いていやがると、一瞬だけ鎮静化したように見えた
腹の底の火は勢いを増した。
だがそれを収めるような手立てはない。目につくもの全てが煩わしくて全部が火にくべてやりたいものだった。
財布も、携帯も己の衣服も、何もかもが。
「これも、これもっ、これも! 全部いらない!」
いくつかは叩きつけながら、いくつかは放り投げながらして全部が海に落ちていく。
身に着けていたものも殆どを捨てたくらいになって少しだけ深呼吸をしてみようかという気になった。
「あいつも、あいつも、誰もかも、みんな死ねばいいんだ」
息を吐きだした後で己の口から放たれるのは呪詛の言葉。怒りはまだ尽きないがガサガサになった声は静かにされど恨みを吐き出す方が良い感じだ。
「そうだ、皆死ねばいいんだ。 くたばっちまえ、ちくしょう」
止まらない言葉、語彙なんかすぐに尽きて同じ言葉を繰り返す。気が付けばオレンジだった空も闇に染まっていた。
ただ波の音が聞こえる。それ以外に何もない。ただ音と腹が立つような暑さだけだ。
それを感じていると不思議なほどに心がすぅっと醒めていくのを感じる。
「ははっ、俺、何してんだろ…」
漸く自分がしていることしてしまったことがわかってきた。
殆ど何も残ってはいない。帰るにしても財布に携帯もない。そもそも今の時間がわからない、終電の心配以前に時計がない。
冷静になればわけのわからないぐらいに何もない状態だった。
「あー、これどうしようか、どうっすっかなぁ。 いっそ死んでみるか? 何だったんだろうな、俺って。 俺の価値って何なんだよ」
自分の言葉が胸に刺さる。
自分の価値などあるのだろうか。少なくともこれまであった人間はそんなものを認めていないだろう。
折れた鉛筆の芯、路傍の石、そんな物どもと同等なんじゃないだろうか。
そんなことを考えているうちに頬に涙が伝う。
止まらないそれにただただ嗚咽を続ける。
「何で何だよ、ちくしょう…、 俺に価値があったっていいじゃんかよ…」
涙が鼻に詰まって変な響きがする。
だがそれももう気にならない。ただ鬱屈した思いが流れ出す。
涙は止まらない。けれど先に言葉が出なくなった。
代わりにただ目の前の海を見つめる。
よく見れば月明かりが照らして、波の動きが藍色に染まって見えている。
「もう、死んでもいいかぁ…」
自然と口に出た言葉は驚くほど、いや、それも違うずっと望んでたように心に広がっていく。
「いっかぁ、もう」
目を背けてただけでずっとそれを望んでたんだろう。決意というよりただ朝食をとるかというぐらいの気持ちでやることは決まった。
幸いにして目の前には海、それも断崖絶壁付きだ。それに時間もおそらく遅いだろう、今更助けなんて呼ぶ人間もいやしない。
決行には絶好の機会だ。
そう思えば動きは早かった。
立ち上がって、眼下の海を見つめる。
これで己はさよならするのだ、こんなゴミみたいな自分に、なんの価値もない自分に、自分の価値を認めないやつらに。
一度だけ瞬き。そして目を閉じてゆっくりと頭を落としていく。
腰のあたりまで落ちれば体全体が曲がって、重力に引かれていく。
足先に感じていた土の感触も消えた。
落ちていく、落ちていく。
衝撃と冷たさ。そして体中にまとわりつく水。
呼吸もできなくなって、ただただ苦しい中に思い出したのは最後に見たやけに明るい月だった。
まぶしさを感じて目を開ける。
ただただ白い空間。
ここはどこだろうか、体の感覚もはっきりとしている。
自分は何故こんなところにいるのだろう。
記憶を探ってみれば海に飛び込んだのだと思い出せた。
するとここは死後の世界だろうか、それにしては随分と色々あるらしい。
回りを見れば様々な器具が並んでいる。自分もベッドに寝ているし服も着ている。
死後の世界というのは意外と親切なのだろうか。
体を横たえたままぼんやりとしていたら、突然壁が動いた。
真横に避けるように両開きでスライドしていった。
そしてそこから現れたのは異形、人間の様でありながら人間ではないものだった。
目に鼻と口はそれらしきものがある。しかし灰の肌にどことなくぬめりのような質感が見て取れた。
それは自分に近づいてくる。黒目が無いからこちらを見ているのかはわからないが、間違いなくそうだと感じる。
ゾクゾクと鳥肌が立つ。触れなくとも全身が粟立っている。それが近づくごとにその粟立ちがより強くなる。
ベッドのすぐ近くまで来たところでそれは歩みを止める。
それは近くで見れば随分と大きく、見上げるほどの大きさだ。
ゆっくりと顎のあたりが動いていく、緩慢な動作さえ気持ち悪い。
だがそれでも目はそらせない、それを見ない方が怖いのだ。
ゆっくりと開いた口はまるで穴の様で黒い世界が広がっていた。
そしてそこから言葉がやってきた。
「初めまして、地球の少年」
ザリザリとヒューヒューと不気味な音を立てながら放たれた音は耳慣れたそれ。
聞き流そうと思っていたのにもかかわらず意識が強制的にそちらに向かう。
「丁度海に飛び込んだところを我々が捕獲した」
やはり、というべきか目の前のこれは地球の生物ではないらしい。
その思考をよそに言葉は続く。
「君を捕獲して治療している間に、地球のヒトという種は滅んだ。 多くの種を巻き添えにしてね」
何を言っているのだ、これは。言葉はわかっても頭が受け付けない。
それでもこれはこちらの理解など求めていないようで一方的に言葉を放ってくる。
「確か核と言われるものだったか。 我我にとっては古い技術だが一つの支配種族を亡ぼすには十分だ」
聞きたくない。耳を手で覆いたい。でも体が動かない。底なしのようなその穴が音を出してくる。
「君は唯一のヒトの生き残りだ。 生きていることが、君の、価値だ」
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