後編
そんな俺が、電車の中で見かけた女性。知り合いでも何でもない、全くの他人。
なぜか彼女に、俺は心を奪われてしまった。
艶のある黒髪がよく似合う、どちらかといえば地味目な顔立ち。大学生というより会社勤めという雰囲気だが、ほとんど化粧はしていないように見える。薄化粧だからこそ、唇に引いたルージュが余計に目立っており、むしゃぶりつきたくなるような色気を発していた。
飾り気のないクリーム色のブラウスも、紺一色のロングスカートも、普通の人には「地味で特徴もない」という感想を抱かせるかもしれない。だが俺には、慎ましやかで清楚という印象を与えていた。
少しうつむき加減で、両手を膝の上に重ねている。その手つきも、どこか優雅に思えた。特別きれいな手というわけではないが、あの手に触れたり撫で回されたりする彼氏が羨ましい、と俺は感じてしまった。
本当に、俺は彼女に見とれていたのだと思う。なにしろ「次の停車駅は……」というアナウンスが聞こえてきた時、ようやく俺は、降りるべき駅を過ぎていることに気づいたのだから。
乗り過ごした俺は、仕方なく、次の駅で列車を降りる。
ちょうど彼女も同じ駅で席を立ったのは、嬉しい驚きだった。
「……!」
自然と、彼女の後ろからついて行く形になる。だが、車内から出た時点で、お別れだろう。俺は反対側のホームから、同じ路線の逆方向に乗るのだから。
そう思ったのだが……。
俺の足は、考えに従わなかった。つい、そのまま彼女の背中を追ってしまったのだ。
少し距離をおいて、彼女と俺は、一緒に階段を上る。改札を出るのかと思いきや、彼女はトイレに向かうので、俺もそちらへ。
しかし。
ここで、本日何度目かの驚愕に見舞われる。
なんと彼女は、女子トイレではなく、男子トイレに入って行くのだ!
「……なんで?」
思わず呟きながら、立ちすくむ俺。
トイレから少しだけ離れた位置で、しばらく硬直していたのだが……。
その場で固まっていたことが、見張っているような形になったらしい。
俺が我に返ったのは、ちょうど彼女がトイレから出てくるタイミングだったのだから。
いや。
正確には、もう彼女は『彼女』ではなかった。
彼女の面影を残した、若い男に生まれ変わっていたのだ。
服装も髪の長さも異なるが、この俺が見とれてしまうほど、心を奪われた相手だ。見間違えるはずはなかった。
「女神だと思ったのに、ただの女装だったのか……」
呆然とする俺。
何よりも驚いたのは、男だとわかっても、まだ彼女を魅力的で美しいと感じることだった。
まるで、新しい性癖に目覚めたような気分だ。
ある意味、恐ろしいくらいだった。
(「電車の中の女神様」完)