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 マリオンはとりあえずジェームズを置いてスコットとネルが過ごしている部屋に行ってみたが、彼らは不在だった。女中に聞いてみれば、二人は軽食を持って庭に向かったのだと告げた。たしかに今は庭で食べるのならば気候としてギリギリだろう。鮮やかな紅葉が美しいが、空気は徐々に鋭く冷たくなっている。

 マリオンも一枚軽く羽織ると、庭園に出てみた。庭園は広いが昼食を取るのならば、マリオンにもお気に入りの場所がある。少しだけ小高く作られた場所にある東屋だ。向かう途中でもう二人の姿は見えた。


「やあ」

 マリオンが声をかけると、スコットはにこやかに片手を上げ、ネルは少し不機嫌そうに唇を尖らせた。

「邪魔をするよ」

 東屋で二人はパンにハムや野菜を挟んだ軽食をお茶と共に楽しんでいたようだった。

「スコット、昨日怪我をしたと聞いたが」

「違うよ、怪我しそうになった、の間違いだよ」

 スコットは明るく言う。

「ああ、弾けた破片で少し怪我をしたけどね」

 少しだよ、と念を押してスコットは手の甲を見せた。かすかに朱色の線が残っていた。


「このお城、手入れだけは行き届いていたと思っていたけど、違うのね」

 ネルはつっけんどんに不平をもらした。

「すまない。客人に怪我をさせるなんて、お招きした立場として申し訳ない」

「何いっているんだい、マリオン。僕らが勝手に転がり込んでいるんだよ。そんなことより君も座りなよ。一緒にお茶を飲もう」

 ネルはあまり楽しそうな顔をしなかったが、昨日の話を聞きたかったマリオンはとりあえず、二人と向かい合う形でベンチに座った。


「スコット、昨日はいったいなにがあったんだい?」

「別にたいしたことじゃないさ。ネル宛ての手紙が無いか、女中頭に聞きに行ったんだ」

「ネル宛ての手紙?」

「ほら、君はここ数日忙しそうで書斎の書類も高く積まれているぐらいだろう。もしかしたら手紙が埋もれてしまっているんじゃないかって心配して。実はここしばらく、ネルは毎日手紙が着ていないか気にしていたんだ」

「……いったいなんの手紙なんだ?」

 それは特に深い意味のないマリオンにとっては素朴な質問だった。しかしネルはその言葉にさっと耳を赤くする。激昂に近い勢いで彼女はマリオンに言った。


「あなたには関係ないでしょ」

「まあそうなんだが……」

「僕らの友人からの手紙を待っているんだ」

 ネルにかまわずスコットはとくにこだわりもなく説明した。

「ここでの生活は楽しいけれど、いつまでもここにいるというわけにも行かないからね。国内外の友人になにか仕事や生活の当てが無いか聞いているんだ。残念だけど、まだ返事は来ていないよ」

「そんなこと……」

 マリオンは二人の顔をそれぞれ眺めた。

「別にここに居ていいのに。もしただ居るのが苦痛だというのなら、なにかユリゼラで仕事を見つけてこようじゃないか。よければスコットには当家の仕事を手伝ってもらっても……」


「結構よ!」

 ネルが怒鳴ってベンチから立ち上がった。

「あたしは絵を描きたいの。もっと素晴らしいものを見て学びたい、自分のものとしたい。ここには今あたしが求めるものは無いの」

「ネル」

 スコットがめずらしく険しい顔になった。立ち上がった彼女の腕をつかむ。

「マリオンは善意で僕達をここに置いてくれている。君にも不満があると言うのはわかるけど、それはマリオンのせいじゃない。甲斐性の無い僕のせいだ」

 いつもどおり穏やかな口調ではあるが、厳しい言い方であった。ネルはぎゅっと唇を噛んだ。

 ネルは、多くを失ったのだ、とマリオンも今更ながら気が付く。彼女の絵画は首都ではそれなりに売れ始めていたという。社交界では彼女に肖像画を頼む者も出始めていた。それを全て放り出してスコットの手を取ったということの重みがマリオンにも想像がつく。


「スコットのせいじゃない」

 ネルはスコットの手を乱暴に振り払った。

「あたしに甲斐性がないせいよ!」


 そして東屋を乱暴な足取りででると、そのまま庭園を歩み去ってしまった。彼女の背中は怒りで満ちて見えた。

「追わなくてよいのか?」

 マリオンには隠しきれなかった二人の関係を心配する言葉に、スコットは苦笑いの顔で言った。

「彼女だって自分が悪いと気が付いていると思うよ。今の件については。まあなかなか謝らないだろうけど。だから後でまた二人で話をしておく」

「そうか……難しい方だ」


「でも悪い子じゃないんだ」

 スコットはふいに沈んだ声で言う。両親にも誰にも認められないまま飛び出してきてしまったその親不孝を思っているのだろう。ただ、それだけではない。

「悪い子じゃないと誰も言ってくれなかったのか?」

 マリオンの指摘を彼は待っていたようだった。

「そうだね。まあもともと愛想のいい子じゃないから、彼女を見て、あの子は気が強すぎるとか、わがままだとか言われるのならまだ理解できるんだ。でも周りの人間は皆、身分が違う、それだけだ」

「駆け落ちを後悔しているのか?」

「いいや」

 スコットは静かに首を横にふる。静かな動作だったか確かにそこに後悔は見つからなかった。


「後悔があるとすれば、早く心を決めて事前にもう少し準備しておけば、君に迷惑をかけることはなかったなあということだ。結婚式のことも、この現状も。とにかく僕に意気地が無かった、本当に情けない」

 スコットはそんな風に自分を責めている。

 でもそれが彼の生来の優しさからであるということもマリオンは知っている。そうでなければマリオンの味方であることもなかっただろう。

「両方とも気にすることは無い。結婚式は社交界に愉快な話題を提供することができたし、現状は暇な冬に話し相手が出来てよかったと感謝しているよ」

「話し相手ならいろいろいるんじゃないのか?」

「気楽に話し合える相手というのはなかなかいない。今は大公夫人もスコットもいるから楽しいよ」

 マリオンのあっさりした謝辞に、スコットもまた短くありがとうと返した。


「スコット、君は隣国マリアンヌ共和国の言語だって話せるだろう。通訳や翻訳なんかの仕事はどうだろう」

「問題ない……んだけど、まあ僕自身が今、悪い意味での有名人だからなあ……」

 雇うほうも気が進まない、ということか。マリオンはとりあえず重い話題を変える事にした。

「もう一杯お茶はどうだろう?」

「頂くよ」

 朱色の……冬の前、最後の色彩に彩られた庭を見ながら二人はポットからお茶を注いだ。ポットはティーコゼに包まれているがさすがに冷めつつある。


「ねえマリオン」

 やがてスコットは意を決したかのように口を開いた。

「彼は一体どんなだろう」

 彼、が指すものは一人だ。

「ジェームズ・ベルティのことか」

 スコットは頷く。視線は庭に向いたままマリオンを見ない。

「彼は、シナバーなんだろう?」

「そうだが」

「危険じゃないのかい?」

 スコットの言葉にマリオンは意味がつかめず、言葉につまった。何も言わないのを、マリオンの苦悩ととったのか、スコットは話を続ける。


「確かに彼らは今となっては大アルビオン連合王国の礎だ。長い間小競り合いを繰り返していた四つの国を纏め上げたのは、統一王とその仲間。彼らはシナバーだったという。彼らの圧倒的な力が無ければ国は存在しなかった。でもそもそも彼らは不治の病による異形じゃないか」

 異形、というものがスコットの言葉の本質を示していないという事はなんとなくマリオンにもわかる。本当は彼はこうはっきりと言いたいのだろう。 

 化け物、と。


「彼らは人の血が必要なんだよ」

「今は彼らが必要とする人血については、売買血と製薬会社により国家が供給を補償している。人を襲うような原始的な荒業をする必要は無いだろう」

「でも彼らは僕達には想像もつかない存在だ。マリオン、僕は君を心配しているんだ。僕にそんな資格は無いと知っているけど、でも君が素性の知れない相手と結婚するのは気が進まないよ」

「素性が知れなくは無いよ。彼は一応男爵家の人間だ」

 スコットがどれほどの親切心をもってマリオンにそう伝えているのか、彼の善良さを知っているがゆえに、マリオンは困惑する。どう対応するべきか悩むのだ。


 シナバーが国内で微妙な立場であるというのはマリオンも知っている。彼らは有事の際には国の盾として戦場に出ることが強制されているが、だからこそ国も責任を持って彼らを養う。統一王による教育もあって、シナバーは今ではむやみな差別に曝される事は少なくなっているはずだ。だが人々の心にある恐怖は完全に拭い去られたわけでは無い。

 人よりもはるかに強靭で、人の血を啜って生きる者。

 ……それはたしかに怖いだろう。

 スコットの忠告も理解できる。だがマリオンはそれがスコットの口から発せられたということに寂しさを感じるのだ。


 最下層の人間だから、というひとくくりの評価でネルを貶められてきたことを悲しむスコット、その彼がシナバーというくくりでジェームズを避ける。もちろん彼はジェームズにも他のシナバーにも無礼な態度はとらないんだろう。あくまでも友人であるマリオンの身近にいるということで不安になっているだけだ。

 他者への理解。理想と現実は、結局別物だ。

 スコットにそれを指摘するのは気が引けた。他人を非難できるほど自分が優れているという自信はマリオンには無い。そもそもスコットはマリオンを気遣ってこの発言なのだ。その相手を傷つけるのは本意ではない。


「……ジェームズが果たしてどんな人物なのかはわたしにもまだわからないな」

 マリオンは言葉を選ぶ。

「でもシナバーだから彼はひどい人間だとするのは短絡的だ」

「……それはわかるけど、でも血だよ?」

「我々だって獣の肉を食べる」

「だって同じ人間相手じゃないか」

「スコットはわたしがシナバーになってもそういうのかい?悲しいな」

「マリオンはシナバーでは無いじゃないか」

「あれは病だ。いつ罹患してもおかしくない」

「……マリオンはマリオンだ」


 スコットの言葉は、予想していた以上に嬉しいものだった。彼も差別発言をすることもあるが、それでも個人としてマリオンを見てくれるのならば『シナバー』もやがてジェームズとしてみてくれるのでは無いかと安堵する。

「ありがとう。ではジェームズにもそう言えるようにぜひ彼と親しくなってくれ」

「……どうかな。彼もまた気難しそうだけど」

 自信なさそうな顔をしているスコットにマリオンは笑ってしまった。

「そろそろ寒くなってきたし、城に戻ろうか。ネルにも話をしなければならないのだろう?」

「ああ、そうだね」

 二人は強くなり始めた風にかたかたと音を立て始めた東屋を出た。短い夏の間は美しい緑の迷路を作り出す庭園も今は終わり際の紅葉以外は枯れ枝ばかりだ。庭園を歩き始める。


「あれ、これはなんだろう」

 しばらく戻ったところでスコットはふと足をとめた。マリオンも彼の視線を辿って釘付けになった。

 庭園の一部にひどく足跡のついた場所があったのだ。

「……庭師?」

「今は手入れらしい手入れも無い。手入れがあったとしてもこれほどに人はいない」

 数十人が庭園を走り回ったと思われるほどに芝生は踏み荒らされていた。特に深い考えも無く二人はその足跡を辿り始めた。庭園をぬけたところで城の敷地外の森に向かっていることがおおよその靴の方向からわかった。それではと引き返して一体どこから来たものだろうと思ったのだが、やがて雑草が深く生い茂っているところまで来てしまい、その先はわからなくなってしまった。


「……なんだろうね」

「城内の人間ではなさそうだ。あまり気持ちのよい話ではないから用心することにしよう」

 誰か予想も付かない多数の人間が城の近くをうろうろしているというのは不気味な話である。

「もしかしたらヴェルディの王杓を狙っているんじゃないかな」

 スコットの言葉は半笑いだった。それがマリオンを安心させるためなのかはわからなかったがマリオンもつい笑ってしまう。

「皆、ヒマだな。あんなものは伝説だ」

 ……そう。マリオン自身もヒマだったのかもしれない。


「でもあったらいいね。観光の目玉にならないか?」

「博物室でもこの城内に作ろうか?しかしそれしか人を呼べるようなものがないな。ネルが絵の一枚でも描いてくれればいいが」

「まだまだそこまでの作品は作れない、といって遠慮するだろうよ」

「彼女にもそんな謙遜が?」

 スコットは静かに微笑んだ。

「他には見せないだろうけど、ネルもああ見えて自分の芸術の才能が本物かどうか苦しんでいる時はある。だから僕は彼女の力になりたい」

「そうか」


 恋に落ちる事はなかった。だがスコットは素晴らしい人間だと思う。

 だから幸せになってくれるようにと願うのだ。

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