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ジェームズと顔を合わせたのは五日後だった。
「やあ」
マリオンはちょうど外出から帰ってきたところだった。ヘンリエッタの視線が厳しいので女公爵として相応しい身なりである。深まる秋の木の葉のような赤い生地に、けして下品にならぬようにあしらわれた山吹色の糸の刺繍。それにたっぷりとひだが取られた濃い茶色のドレスコートを羽織っての馬車での外出であった。
馬で行けば早いし楽なのに!と内心叫んでいるが、ずっと今まで姉のように細やかに世話してくれたヘンリエッタに逆らうのは苦手だ。
ジェームズを見て、一瞬、この人誰だろうと思う程度にはマリオンは疲れていたし寝不足だった。
「……もしや私のことを忘れてました?」
「…………!……い、いやいや、そんなわけはない。客人を放置してしまったことを反省していただけだ、すまない」
マリオンは間抜けな眼鏡のつるをもじもじと弄りながら答える。
「そうですか、どうぞおかまいなく。今日はこれからの予定は?」
「ああ、ギャレット家に招かれている。あの脱線騒ぎで延期してしまった食事会があるのだ」
「うーん」
ジェームズはめずらしく言葉に詰まってマリオンを眺めた。
「余計なお世話かと思いますが、顔色悪いですよ?」
「少々寝不足なだけだ。それに脱線の件は一応片がついた。今日帰ってくれば後は良く眠れる」
それに行かなければ行かないで、またエドガーから何か言われるというのも気鬱だ。今日済ませられるのならば、それで終わらせたい。
「まあ、マリオン」
ヘンリエッタが中央の螺旋階段を下りてきた。相変わらずの優美な姿である。これに比べればマリオンのお出かけ貴族風などとってつけた感が拭えない。
「ああ、ヘンリエッタ。五日間もお一人にしてしまって申し訳ありませんでした」
「大丈夫。ジェームズがカードゲームや乗馬に付き合ってくれて、とても楽しかったわ」
マリオンは頭を抱えそうになった。客人に客人を世話させてしまった!
「私こそ、こんな美しい方と一緒にいられてそれだけでも光栄です」
マリオンだったら硬直してしまうようなジェームズも言葉もヘンリエッタは当然のように受け止める。
「まあ、わたくしは夫も子供もいるのにそんな嬉しい言葉を頂いてしまったわ」
「ご主人のイングラム大公は羨ましい限りです」
この男、地位は男爵だが、自分よりよほど出来る……!
マリオンはジェームズの社交術に感心するべきかどうか悩みながら、とりあえず書斎に向かおうとした。時間はちょうどおやつ時だ。三人でお茶でも飲もうかと考える。しかし開きかけたマリオンの口はジェームズの言葉によって遮られた。
「ところでヘンリエッタ様、マリオン様ですが、すこしお顔の色が優れないように見えるのです」
「そうね、わたくし一昨日夜更かしをしてしまったのだけど、マリオンの書斎の明りはまだ灯っていたわ。ねえあなた毎日そんな遅くまで仕事しているの?」
「えー、あー、たまたま……」
よくもヘンリエッタにこんな話題を振ったな、とマリオンはジェームズを睨みつけたが、彼は怯む様子も良心がとがめる様子もない。
「それなのに今日はこれからギャレット家で晩餐だそうです。私はマリオン様の健康が心配ですよ」
「まあマリオン、そんなに疲れた顔で晩餐に?だめよ」
ヘンリエッタはマリオンの頬にその白く滑らかな手を触れた。
「どんな晩餐会なの?領内の大事な問題を話すのかしら?」
「いえ、これは月に一度の恒例のようなもので。ですから特に難しい事ではなく、行って食事をしてくるだけです。大丈夫ですよ」
「それならわたくしが行っても大丈夫ね」
「へ?」
おもわずとぼけた返事を返してしまった。
「ああ、それはいい考えです。それにあちらギャレット家としても大公夫人が来てくれるなんてめったにない機会です。光栄だと思います」
ジェームズが待ってましたとばかりにヘンリエッタを援護する。
「わたくしも夫にユリゼラの近況を報告しようと思っていましたからちょうどいい機会です。では今日は私がギャレット家に行きましょう。マリオン、準備をしますから女中を借りますよ。大丈夫、ドレスは沢山持参したの」
「へ、ヘンリエッタ」
もともと社交的な女性である。マリオンにはそれなりに楽しんでいたと気を使ったが、やはりこの城の中だけでは退屈していたのだろう。どこかうきうきとした弾む後姿でヘンリエッタは自室に戻っていく。
「……勝手なことを」
彼女の後姿を見送ってからマリオンはぼやいた。
「私は何もしていませんよ。大公夫人がお気遣いなされただけです。よかったですね」
……柔らかい物腰だが、実に押しの強い男である。
マリオンがそんな感想を抱いた時、ジェームズがひょいとマリオンに腕を伸ばしてきた。なんだろうとそれを見守った瞬間にはジェームズに抱きかかえられていた。
「ジェームズ・ベルティ!」
「寝室と書斎、どちらがよろしいですか。お連れします」
「下ろせ!」
「なんかふらふらしていますから、階段でも踏み外したらと心配です」
「重い荷物をもったジェームズごと落ちそうで怖いわ!」
「私はシナバーですよ。あなたなど、小鳥のようなものです」
言うそばからジェームズは抱きかかえたまま歩き始める。どうやら最上階の寝室に向かうらしい。
「よく眠られたほうがいい。睡眠不足は万病のもとです」
マリオンは下ろせ、ともう一度言ってみたがそれが最初よりはるかに勢いを失っていることに自分で気が付いたのだった。