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「あまり愉快ではないものを見せてしまったようだな。お詫びする」

「詫びなどいりませんよ。料理はおいしそうですね。温かいうちに早速頂いてよろしいですか?」

 ジェームズはカトラリーを手にした。つられてマリオンもその銀食器に触れる。見事な先祖代々の品は少し曇っていた。


「彼は、少々気難しい人のようですね」

「多分私のことが気に入らないのだ」

「なにか理由でも?」

「おそらく何もかも」


 料理自体には問題は無いことにマリオンはほっとする。メインの料理は冬を迎える準備で良く太った鹿肉のロースト。かけているものは夏の間に仕込んでおいたらしいベリーのジャムを使った甘酸っぱいソースだ。食前酒代わりだった血の杯を干してしまったジェームズは赤ワインを合間に飲んでいる。


「最初に会った時から喧嘩腰だった。ああ、いや、本当に最初、紹介された時は礼儀正しい親切な青年だったのだが、なぜかわたしが貴族の子弟学校に通っていた時の話をしてから急に不機嫌になって。多分わたしが女だというのにそのような教育機関にいたのが気に入らなかったのだろう」

「それにしても、一応自分が信頼関係を築くべき相手ですのに」

「祖父が死んで空白の一年間があって、昨年わたしが帰ってきたのだが、その間ギャレット家が領内を良く管理してくれた。とてもありがたいのだが、おかげで彼の協力がないとわたしは今のところ右も左もわからないのだよ」


 歴史のありようから公爵スクライバー家と伯爵ギャレット家の関係は深い。統一王のおかげで建国した大アルビオン連合王国だが、各地それぞれの事情がある。

 旧ユリゼラ王家はもともと統一王寄りであり、連合に加わるのは最も早かったが、それでも他国は他国であった。国境を越えれば、大国スヴェントヴィト帝国も控えている要所である。

 ユリゼラ王家は公爵スクライバー家として連合王国内に生き延びたが、統一王からギャレット伯爵家がお目付け役として遣されたのだ。その際ユリゼラ領は一部ギャレット家に『譲渡』されている。


「王国誕生当時は、両家はいがみ合っていただろうがね。名目上は国境をスクライバー家とギャレット家でお守り申し上げる、またギャレット家は歴史ある旧ユリゼラ王家を尊重いたす、と言うことだったはず。だがギャレットもユリゼラ王家の統一王への忠心は疑っていただろうし、ユリゼラ王家にいたっては領地を毟り取られて相当面白くなかっただろう。その時代に比べれば今はましだ」

 一応それなりの友好的な関係を築けたのは幸運だった。ともかくそんな事情もあり、ギャレット家の権力は大きい。

 その辺の歴史を教えてくれたのは誰だったろうか。

 気が付いたら知っていたが、一人で学んだわけではない。だが、あまりにも詰め込んできた知識が多く、それは思い出せなかった。


「アルビオン地方が小国でもめていては、周辺の大国には勝てないとして、アーソニアの王が統一に乗り出したわけですが、大アルビオン連合王国が誕生してからも、いくつか内紛はありましたよね。まあ一番最後までもめていたのはルヴァリスなのでユリゼラはまだ平和な方でしたが……」

「辺境伯としてギャレット家があるのに、旧ユリゼラ王家が長い間、辺境公などと称して駄々を捏ねていたのも、失った領地の恨みだろう。最初は馬鹿にされていたようなのに、今は意外とこの呼び名が受け入れられていて驚くよ。まあ統一王の懸念通り、ユリゼラだけでは近隣諸国には太刀打ちできなかったから、結果としては正しい統一だったとわたしは思う」


 苦笑いのマリオンは肉を一切れ口に放り込む。

 ふと遠い遠い十数年前を思い出した。こんなものが存在することすら知らなかったあの貧しい時代を。

 両親はおろか身内の顔一つ知らないまま孤児院で育って、それが突然ユリゼラ公爵の孫だと知らされて、あっという間に状況は一変した。貴族として恥じない礼儀といずれ公爵となるに必要な教育。

 様々なものを与えられたが、でも。

 マリオンは時折よぎるいつもの寂しさを振りはらった。


「君もわたしの素性は聞いているのだろう」

「ええまあ。あとヴァレリー大聖堂での大騒ぎも。別にそれは驚きませんがさすがにその逃げた花婿と奪った女を匿っていることには驚きました」

「スコットは大事な友人だからね」

 ジェームズがどうして?という顔をしていることに気が付く。


「……貴族の子弟が通うことで有名な中等学校で教育を受けたが、まあ実に伝統的な機関でね。本来は寄宿学校だがわたしは別格で修道院からの通学を許してもらったのだが、だからこそ馴染むことが出来なかった」

「しかし女性である以上、まさか寄宿舎にいるわけにもいかないでしょう」

「でも同窓の彼らにとってはわたしは闖入者だったわけだ。学門自体は非常に有意義だったが、楽しい学校生活とは程遠かった。たまの休日にスコットと会って話すことが楽しかったのだ。彼が支えてくれたといってもいい」

「それならばなおのこと、彼と一緒になりたかったのでは?」


 このジェームズ・ベルティという青年は。

 マリオンはテーブルナフキンで唇を拭うことで一瞬の会話の間を得た。

 礼儀正しいがなかなか容赦なく聞いてくる。もちろん話したくないと断ってもいいのだが、彼が都会に戻ってスコットとネルのことを言いふらし、アシュトン家の連中ともめるのも嫌だ。理解してもらえるものならばその方が有意義だろう。


 マリオンはそんな算段を立てる。学校に通っていた頃は、なるべく女性らしさを見せないように、かといって雑な女に見られて評価をさげるのも避けたかった。だからなるべく簡潔な会話をするようにしていたが、それは話し方だけでなく考え方にも及んでしまったようだ。感情的な思考はいまひとつ苦手だ。

 今も本当は、ジェームズには「好きだった人には幸せになって欲しいのよ」といって涙の一つもこぼしたほうが説得力があるかもしれない。

 言わないけど。そういう感じじゃなかった……。


「わたしと彼の婚姻は祖父が段取りしたものだ。とはいえそう強引なものでもないだろう。スコットのアシュトン家は名家で資産も充実、そしてスコットは三男。なにより我々は気があった。ユリゼラ地方と孫娘の幸福を考えた最良の選択と思われる。しかし……彼がそれに否と言うのなら、面白いなと思ったんだ。わたしも一口乗ろうとね」

 マリオンは淡々と、かなり本心に近いことを口にした。

「意味がわからないのですが」


「祖父は、わたしを見つけ、修道院に放り込み、教育を施し、次期公爵とし、結婚相手まで見つけた。でもそこにはわたしの意志は何一つ介在しない。そしてわたしは……」

 言いかけてマリオンは言葉を切った。微笑みなおして言い換える。

「老練な人間が考えた自慢の人生予定図に、ちょっと否を唱えてみたかったんだ。だからスコットが逃げた時、なんだか面白くなってきたなと本心では思っていた。ああ、でも嘘泣きはしたよ、一応建前もあるし。アシュトン家も恐縮していて、金で決着もつけた」


 多分マリオンが今言いたかった言葉が別にあることはジェームズは気が付いているだろう。でも何が言いたかったのかはさすがにわかるまい。それを聞いてくるだろうかと考えていたが、ジェームズが口にしたのは別のことだ。

「ではスコットはあくまで友人であると」

「実は秘密の話だが」

 マリオンはしゃあしゃあと答える。


「なんとわたしはまだ恋もしたことがない」

 マリオンのふざけた言葉にジェームズは一瞬あっけに取られたが、次の瞬間には神妙な様子で聞いてくる。


「学校にはこの国選りすぐりの貴族の子弟がいたのでは?」

「すべての同窓生と縁があったわけではないが、少なくともわたしに関わってくる連中は、からかってくるか馬鹿にしてくるかしかなかった。そういう頭の悪い連中にどう恋をすれば?」

「なるほど、道理ですね」

 なにやらジェームズは頷いている。

「では同窓生の方々は損をしましたね。こんな魅力的な方に恋される機会を自分でドブに捨てた」


 またか!とマリオンは慌てる。

 こんな流暢な、しかも本心みたいな褒め言葉は初めてだ。


 ややあってマリオンはおそるおそる尋ねた。

「……ジェームズ・ベルティ。君はたとえばマリオン・スクライバー、ユリゼラ公爵をたらしこんで、この公爵領を国家に押収するとかそういった密命を帯びた政府の秘密機関の人間とかそういう存在ではないのか?」

「それだけ有能ならさっさと士官学校への借金を返してますよ」

「いやもしやそれも作戦」

「普通の女性は借金背負った男を魅力的とは感じないでしょうね」

 疑いをかけられたのになぜかジェームズは上機嫌だ。笑いをこらえ切れない顔で言葉を返す。


「本当にあなたは面白い人だ。汽車が通るまでここに滞在させてもらってもいいですか?楽しいです」

「それはかまわないが。君も変わった人だな」

「そう言われます」

 どういう風の吹き回しだろうとマリオンは思ったが、それでもジェームズと話すのはそう悪い気はしなかった。多分、領民ではないからだろうと思う。なんだかんだいって、彼がこの領地や公爵位、その財産に興味は無いのは間違いなさそうだ。


 本当にここへは母の無礼を詫びにきて、そのまま帰るつもりだったのを、列車の不通という偶然が重なった。帰る手段は無くもないが……なにかの好奇心でしばらくここに留まることにしたようだ。それならそれで別にいい。

 マリオンも公爵として少しずつ人々を招くことになれければなるまいと考えていたところなのでいい練習になると考える。


「そういえば」

 ジェームズは思い出したように言った。

「ここに来る時、列車から城を見ました。険しい渓谷のがけっぷちに」

「ああ、あれこそが、三百年前、戦乱時代のユリゼラ城だ。当時はアーソニアに面して領地を守るべき要所でありいざとなれば篭城などもあったから、あんなところにあるんだ。こちらの城のほうがそもそも狩猟用別荘だったんだ」

「今も誰か住んでいるのですか」

「いない。管理人はいるが住める状態ではない。でもいくつか芸術品があるし、山の上からの景観は素晴らしいものだから、興味があれば散歩がてら行ってみるのもいいだろう」


「行ってみたいものです」

「そうか、ならば近日中にご案内しよう。早いほうがいいのだが、明日は少々仕事があって忙しい」

「まだお暇な時にでも」

「わたしも始終お相手できるわけではないが、この城には図書室もあるし、まだ城内の庭園も見られるだろう。ヘンリエッタと適当に時間をつぶしてくれ」

 ネルはジェームズに興味を持たないだろうし、スコットはネルの相手をしている。エドガーがまさかジェームズをもてなすとも思えない。まだ雪の降る前でよかったが、今の季節はあまり見るべきところも無いのが残念だった。



 しかし、二人が古城に向かう日はなかなか訪れないという状況に陥ってしまった。線路脱線の件は様々な手続きを用いて早急に修理しなければならないのだが、その手続きに思いもよらず手こずったためである。

 首都の行政と縁のあるユリゼラ有力者に会いに行ったり、様々な場所に手紙を送ったりとマリオンは書類製作のために書斎にこもるか、さもなくば、近隣の屋敷を回る生活となっていた。


 大アルビオン連合王国が誕生して三百年。その間王族による統治は段階的に民主化され、いまはきちんと議会が存在している。だからユリゼラも統治自体は大アルビオン連合王国のものである。それでも公爵家ともなれば貴族社会の中では上には王族だけしかいない上位階級であり、自身の領内が不便なく生活できる状態であるように心を配らなければならない。それが莫大な領地と引き換えの明文化無き義務であるとマリオンは学んだし、考えている。

 マリオンはエドガーを呼び、彼の助力を得て、早急な復旧のために尽力を尽くしていた。


 エドガーはあの調子であるがゆえに、マリオンは日々げっそりしていたが。

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