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 夕食をご一緒に、とヘンリエッタに告げたが、彼女は一連の出来事に頭痛がすると自分の客間で休むことにしてしまった。スコットもネルと二人で取ると言う。

 着替えたマリオンはジェームズと二人だけの夕食に一体何を話すべきかと思案しながらダイニングに向かった。


 階段を下りる途中で着慣れないドレスの裾を踏んで転がり落ちそうになる。近頃都で流行の、ハイウエストにゆったりとした袖の濃い緑を基調としたドレスだ。ヘンリエッタが土産に持ってきてくれた。久しぶりのコルセットが息苦しく不快だ。

 男装、というほどでもないが、この城に着てからマリオンは日中着ていた乗馬服を例とするように活動的な衣類を好んで着ていた。年頃の女性として恥ずかしくない服装をするときは、この近辺の有力者と会うときぐらいだ。


「しかしヘンリエッタがいる間は少々気を使わなければなるまい」

 マリオンはそっとため息をついた。

 多分、マリオンの普段の気楽な服装を知ったらヘンリエッタは間違いなく目を吊り上げて怒る。


 ダイニングとして使われているのは、客間と並び、南側に面した中央の部屋だ。入ってみれば暖炉は充分に火が入り、秋の夜でも暖かい空気が部屋を満たしていた。そしてジェームズはもう部屋にいて、窓際で美しいクリスタルのグラスを手にしていた。


 その中に入っているものの正体を悟ってマリオンは、ふと彼の病を強く思い起こした。

 彼が手にした高級ガラスの杯は赤い血で満たされていたのだ。

「それは政府からの配給血というものだな」

 マリオンが彼に声をかけると、彼は卑屈さも尊大さもなく、ただ自然に頷く。


「ええ。こちらでも手に入るかとは思いましたが、念のため持参しました。最近容器が瓶から缶になって、扱いが楽になりました。グラスだけはお借りしましたが、あまりにも立派なガラスで気が引けます」

「気にすることは無い。グラスは何か飲み物を飲むためのものであって飾りではない」

 入ってきた女中に、マリオンは自身の水を頼んだ。


「シナバーも別に血液だけで生きるわけではないと聞く。普通に食事は取れるのだろう?」

「はい。我々は、人間に必要なものの他に血がないと生きていけないということであり、その点では普通の人間より不自由であると言えますね」

「しかし、その代償として強大な力を得られるというわけだ。現代ならばそう悪くない取引では無いか?」

 過去、人間に迫害され闘争を繰り返した過去と比較すれば、現代はシナバーにとってだいぶ生きやすくなっているはずだ。人権は認められ、必要な人血も配給される。唯一の責務は国家が危機的状況に陥った時の徴集義務だが、もともと死に難いことを考えれば無理な要求と言えるかどうか。


「そうですね。別に私はそれほど落胆や混乱しているわけではないのです」

「……先ほど」

 マリオンはゆっくりと彼に近づいた。近づけば小柄なマリオンは大柄なジェームズの顔は見上げなければならない。

「スコットに、婚約者候補と名乗ったな」

「ええ」

「来た時点では、そのつもりは無いように思えたが?」


 ジェームズはすぐには答えずグラスの中の赤い血を一口飲みくだした。不気味といえば不気味な光景なのだが、マリオンは目を離せない。彼らに対してよく使われる罵り言葉「吸血鬼」や「化け物」、そういうにはあまりにもジェームズの瞳が穏やかで理知的だからだろう。


「ここにしばらく居残る理由付け、というのはいかがでしょう」

「残りたいほど興味深いことが?」

「自分を裏切った相手を手助けしている公爵は、大変面白いと思いますよ」

「……なるほど」

 マリオンは顔を上げてジェームズの視線を受け止めた。


「この顛末を見たいということか」

「そうですね」

「いいだろう。ユリゼラの秋を楽しむといい。だが帰るつもりなら雪が降る前のほうがいい。脱線が直ったら早く帰るべきだ。積雪によって汽車は容易く止まる」

 そのマリオンの返事にジェームズのほうが一瞬ぽかんとした。

「私をここに置くんですか?」

「だって居残りたいんだろう?」

「好奇心なのに?」

「なんでもいい。ユリゼラは華やかな首都からは遠いものだ。暇には事欠かない。来客ばかりが楽しみだ」

 ジェームズはマリオンを上から下まで眺めた。無遠慮といっていいのにあまり悪い気はしない。


「あなたちょっと危機感なさすぎじゃないですかね?」

 呆れすぎたようで、ジェームズの口調は少しくだけてきた。

「大丈夫だ。会いたいと言ったのは確かにわたしだが、ヘンリエッタが連れてきたという事は当然イングラム大公が関わっている。あの人が寄越したならそれほど妙な人物では無いだろう。花婿候補殿も」

 さあ、食事をしようじゃないか、とマリオンは席を指し示す。巨大なテーブルの端に二席が設けられている。


「ああ、申し遅れましたが」

 席に向かって歩きながらもジェームズはマリオンから目を離さない。

「見違えますね、ドレスを着ると」

「ドレスに着られていると、だろう」

 マリオンは賞賛をさらりと受け流した。


 ……一瞬、いつもより返事が遅れたかもしれないが。

 数名の花婿志願と今までに顔を合わせたが、皆とってつけたようにマリオンの外見を賞賛することを忘れない。しかし今まで褒められたこともないマリオンには己の外見に対する自己評価が定まっていない。だから聞き流すことにしている。我ながら可愛げにかけるかもしれないが、そんなものは学校では教えてくれなかった。そもそも学校では四面楚歌だったのだ。


 イングラム大公という後ろ盾があるにしても、実祖父から見捨てられたような、素性のしれない女公爵など。もし自分が、男で、両親に育てられていたらきっと違うのだろうが、そんな差別は考えても仕方の無いことだ。

 ……もともと孤児で、祖父は自分を愛しておらず、歴史上も数少ない女公爵であることが仕方のない事実であるように。


 二人が席に着き、女中がマリオンのグラスに水を注いだときだった。誰かが乱暴に部屋の扉を開けた。さあっと廊下の冷たい空気が入ってくる。

「こんな時間にめずらしい。どうしたというんだ、エドガー」

 入ってきたのは、マリオンよりいくらか年上の青年だった。マリオンに似た、しかし少し濃いユリゼラ地方特有の金髪に、深い藍色の目をしている。しかしその瞳がマリオンに向けられた時、宿しているのは苛立ちの置き火だった。


「得体の知れない男が来ていると聞いた」

 ぶしつけにジェームズを見る。マリオンへの態度も妥当なのかと問われているようなジェームズの無言にマリオン自身が肩身が狭い。


「ジェームズ、こちらは古くからスクライバー家とゆかりのある伯爵ギャレット家の御子息だ。エドガーという。といってもお父上の体調が優れないので実質彼がもう後をついで、スクライバー家を助けてくれているのだ。エドガー、こちらはジェームズ・ベルティ。客人だ」

 エドガーが自分に向ける目は馴染んだ険しさがあることをマリオンは身に染みて知っている。貴族の子弟が通う学校で、向けられていたものと似ている。

 お前は違う、というあの非難。


 マリオンは表情こそ変えなかったが、しくじったなと思っていた。あまり彼と話したくはなかったのだ。エドガーはユリゼラ地方の旧家の跡継ぎだ。マリオンなどというぽっとでの、しかも先代からの引継ぎもろくにない公爵よりもよほど信頼があるといえよう。彼とは親しくしなければならないと言う事はマリオンもわかっているし、だからこそ屋敷に来てもらって仕事を手伝ったりしてもらっているのだが、相手の攻撃的な態度がどうしても苦手であった。確かに嫌われても仕方ない状況だが、それを納得できるほどマリオンも達観していない。彼の口調は敵対的な人間ばかりだった学生時代を思い出して憂鬱になる。


 多分今も、得体の知れない男と相対しているマリオンを案じてきたのではない。ユリゼラ地方に妙な者が入らないようにとわざわざ顔を見に来たのだ。スコットとネルの時もそうだった。王国、そしてスクライバー家とユリゼラ地方には厚い忠義だが、それは別にマリオンのものではない。


「エドガーもよければ座りたまえ。夕食を出そうか?」

「いや、いらない」

 だが、エドガーはとりあえずマリオンを中央に、ジェームズと向かいあう形でテーブルに付いた。マリオンの目配せで、女中が赤ワインを一杯彼に出した。


「あまり勝手なことをするのはいかがなものだろう、公爵」

 エドガーは冷ややかに言った。

「先ほどから得体が知れないとか、勝手とか、いささか厳しすぎる発言ではないだろうか、エドガー。彼は一応わたしの客なのだが」


 マリオンは落ち着いて話す。ジェームズを見てみれば彼も今のところは内面を表に出す様子は無い。内心はどうあれそれはありがたかった。マリオンは公爵とはいえ、この地方で頼りになる人物はまだ無く、ギャレット家の支援が無ければこの地でやっていくのはなかなか難しい立場なのだ。エドガーの発言のひとつひとつを叩きのめすことが出来ないのはストレスだが、しかしやむを得ない。


「先代様の言うとおり、スコットと結婚していればこんな面倒なことにはなかったのにな」

「しかたないだろう。人間誰しも心がある。他人を思い通りにはできない」

「女公爵自身の魅力不足では?今日も実にまぬけな眼鏡だ」


 いつかそうなるだろうと思っていたが……ついにこいつ喧嘩売ってきた。

 マリオンは冷たい水の入ったグラスを手にした。飲んでもいいし、こいつにぶっかけてもいい。とその澄んだ水を見て思う。


「魅力不足とは思いませんけどね」

 今まで黙って二人の会話を見守っていたジェームズが、のんびりとした調子で口を開いた。

「昼間の乗馬服も悪くないですが、ドレス姿は見違えましたよ。あまりにも美しいから眼鏡くらいはあったほうがいい。ないとこちらが気後れします」

 その言葉は極めて自然に、堂々と、裏のない調子で語られたのだが、あまりの言葉にマリオンは……そして何故かエドガーまでもがぽかんと口を開けてしまった。

 ……さっきドレス姿を褒められた時も一瞬思ったのだが。

 本心からの言葉、としか聞こえない。


「どうしました、お二方」

 二人の沈黙の原因が自分のあるとは思っていないのか、ジェームズは変わらない様子でグラスの血を舐めた。

「……ジェームズ。あなたは女性の扱いに慣れているのか?」

 ためらいや照れの無い……なによりエドガーに対する遠慮が皆無の賞賛に……つまりまったく空気を読まないジェームズの発言に、マリオンはおそるおそるその問いを口にした。

「そんなわけ無いですよ。社交界ではいつだって壁の花でしたから」

 にっこりとジェームズは笑いかけてくる。


 と、乱暴にエドガーが立ち上がった。

「とにかく!」

 そしてマリオンだけではなくジェームズまで睨みつける。

「俺は絶対に、そんな奴は認めない」


 そして足早に部屋を出て行ってしまった。乱暴に扉が閉まった後、二人が会話を再開させる前に、再びその扉は開かれた。入ってきたのは女中達で、てきぱきと料理の皿を並べていく。温かな料理を揃えた後、彼女達はまた静かに立ち去っていった。二年前、祖父が死んでから一度この城は最低限の人間を残して閉めてあったのだ。マリオンがここに住むことになって改めて働くものを雇ったという経緯がある。

 居残っていた者、先代で働いていて再び戻った者、ヘンリエッタの紹介で新たに雇った者、それぞれ三分の一ずつくらいであろうか。しかし祖父の時代に比べればいる人間は格段に少ない。だからまだ不慣れなことや行き届かないことが多く城内の手入れの完全とは言いがたい。三種類の状況で雇われている者達も、まだお互いに馴染んでおらず人間関係もマリオンの悩みのタネだ。

 しかしまあ、今現れたエドガー・ギャレットほど攻撃的な人間も早々居ない。

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