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「盗賊どもはどうなった」

「無事引き渡しましたよ。町の警察の牢は満杯です」

 その夜遅く、ジェームズは一人、エドガーの部屋を訪れていた。エドガーは自分の家に帰るといったのだが、マリオンがどうかここで傷が治るまで療養していって欲しいと懇願したのだった。

 彼の怪我は自分を庇ったものとしてマリオンが責任を感じているのだろうとジェームズも容易に察することができる。


 しかしそもそもうまく立ち回れなかったこいつに責任があるとうっすら考えているが、まあそんなことは表には出さない。

 彼の部屋は三階の、さほど大きくないがその分居心地の良さを感じるいい部屋だった。ベッドの質も良さそうだ。先ほどまで女中が一人付いていたが彼女にも出て行ってもらって今は二人だけだ。

「そうか。いろいろすまなかった」

 エドガーの態度は軟化している。ならばこちらもわだかまりを残さないのが大人というものである。


「どういたしまして」

 エドガーに呼びつけられたのは今日の始末を伝えるためだ。別にスコットでもよかったと思うが、彼は今ネルのそばにいる。


 自分たちが出かけている間にもう一つ事件があったのだ。その件については無かったことにしようとマリオンからの指示があったからエドガーには言うつもりは無い。そのマリオンは今ヘンリエッタと夜のお茶を飲んでいるはずだ。かつての恋する少女と現代の恋愛にうとい少女は一体なんの話をしているのやら。


 エドガーは目をあわさないでジェームズに言った。

「お前を公爵家に迎えることには今でも反対だ」

 エドガーの腹立たしい……正直言ってむかつく発言だが、彼の率直さは受け入れようと思う。

「でしょうね」

「でも俺は、きっと誰がマリオンの花婿になってもきっと気に入らないんだ」

 ジェームズはその言葉をしばらく思案した。これは牽制なのだろうか。


「……今日、あなたが撃たれたとき、あなたはなにか言いましたね。学生時代のことでマリオン様に何かわだかまりがあると」

 エドガーは頷いた。


「……俺はマリオンの三つ年上だ。同時期に同じ学校に居たんだよ。でも本当はもっと前から彼女を知っていた。イングラム大公の屋敷で、父親に連れられて彼女に挨拶したことがあるんだ。父親とイングラム大公は長くユリゼラの将来について、先代の言葉も含めて話し合っていた。でも俺達子供はそんなものつまらない。だから俺とマリオンはずっと庭で遊んでいたんだ。楽しかった。マリオンは可愛かったし」

 ジェームズは近くにあった椅子を引っ張った。長くなりそうな話に腰掛ける。


「また会おうね、とマリオンは言ったのに。学校で会った時にも、公爵としてここに来た時も、あいつは俺のことなんて全く覚えていなかったんだ。昔遊んだのに!同じ学校にいたのに!いっぱいスクライバーとギャレットの関係を話して、でも俺達は仲良くしようって言ったのに!」

「……まさかそれに腹を立てて……?」

「スコットスコットスコット!って」

「バカか……」

 ジェームズのさっぱり隠すつもりのない呟きに、エドガーはきっと睨みつけた。


「俺は……!」

「あ、いいです。わかりました。もう結構。というか面倒な男だな」

 ジェームズはため息をつく。最後の一言は一応小声だ。それが聞こえたわけでもないだろうがエドガーが噛み付いてくる。


「お前こそ、一体どういうつもりでいるんだ?」

「……私の事はいいんです」

「俺も一つ正直に言った。お前も一つくらい正直に話せ」

「マリオン様のことは好きですよ」

 あっけらかんと放たれた言葉にエドガーは唖然とする。


「おま……」

「ですが、結婚なんてしません」

「どうしてだ。マリオンはお前でいいと乗り気のようだ」

「……あのですね。私が軍をやめたことが、ただ母に乞われたからだとでも思いますか?母の心使いは嬉しいですが、私ももういい年した大人です。自分の仕事くらい自分で決めます。借金だって自分で返します」

 ジェームズはいつもどおり怒りも悲しみも見せないが、その瞳に宿るやりきれなさにエドガーも気が付いたようだった。


「軍で何かあったのか?」

「……あの盗賊が使っていた、役立たずの銃があるでしょう」

 ジェームズは珍しく歯切れが悪い。

「あれが軍に導入されたんです。現場からしてみればなんだこりゃですよ。当然上司に返品交換を申し出ましたが黙殺された」

「上司と業者が癒着でもしていたか」

「御明察」


 その時のことを思い出してジェームズは憂鬱になる。シナバーとしてけして許されないことをしてしまったのだ。さすがにその詳細をエドガーに言う気分にはなれない。

 しかたなく上司を飛び越し上層部に申し出た。それ自体は明らかに犯罪であったため、上司は処罰され銃は交換となったのだ。あんな銃を使っていては、命に関わるわけだから勝敗を考えれば交換は必須である。だが事態は思ったより込み入っていて、ジェームズの部下の中にも上司から口止め料をもらっていて、ジェームズを非難するものが出始めた。

 守ったつもりだったが非難される。

 最終的にその上司を殴り飛ばしてしまったのだ。


 軍の上官に反抗するのもただでさえ軍規違反だがそこにジェームズはシナバーとしての罰則が課される。シナバーが一般人に暴力をふるった場合、罰はより重くなるのだ。事情が事情だったがために、その事件は握りつぶされることになったが、さすがに軍には留まれなかった。

 だから本当は今日も、状況がちょっと変われば面倒くさいことになったのだ。ただエドガーが撃たれていたことで、正当防衛という面目が立ったということと、村の警官にマリオンがうまく手を回したことで有耶無耶にできただけだ。


「まあその癒着事件のごたごたでやめざるを得なかったわけです」

 かいつまんで説明すると、エドガーも明らかにその間に何かあったはずだろうという視線で見るがジェームズはとぼけた。

「私が軍をやめて借金持ちであることと、マリオン様が良い配偶者を見つける事は同じに並べてはいけないんです」


 それでも救われた。

 マリオンは守れば、裏表なくありがとうと言ってくれる。そして守ろうとした相手に好意を向けてくれる。自分が公爵としてこの地位にあるのは自分が楽をするためでは無いと、貴族の建前をちゃんと本音として信じている。だから周囲の心ある人間は彼女を守りたくなるのだろう。

 彼女の素直さは人を救う。

 ちょっと危なっかしいと思うが、まあその辺りはエドガーがうまく支えてくれるだろう。


「私もそろそろ帰ります。仕事を見つけないと」

「結婚しなくたって、ここに居てマリオンの身を守るという手段もあるだろう」

 ジェームズはさすがに冷ややかな目でエドガーを見た。

「あなたと違って私はとても素直なんですよ」

「どういう意味だ?」


 ジェームズは椅子から立ち上がった。その質問には答えないで部屋を出て行こうとする。片思いの相手が別の相手と結ばれる光景なんて見ないほうがいい。


 扉の前で一度だけ振り返った。

 エドガーが一言言えばいいのにと思うことはある。それがジェームズにとって良いか悪いかはわからないが、エドガーは素直な人間ではないからきっとマリオンには言わないだろう。


 マリオン、あんたを危険に曝したくなかったから、俺とジェームズで片をつけたかったんだ。


 その一言でだいぶいろいろ変わるのに。

「誰かに忠告するのは苦手なんですが、一つだけ」

 エドガーは寝たままであったが彼の目を見ている。

「好きな相手には優しくするという、その単純なことを君は身につけたほうがいい」

 そして反論疑問を拒絶する気満々で扉を乱暴に開けてでていった。



 翌日の昼食はいつにない光景があった。

 同じ城にいてもほとんど顔を揃えることのなかった面々が同じテーブルに着いたのだった。ジェームズとスコットが、そしてヘンリエッタとネルが向かい合うなど、マリオンもさすがに緊張が拭えない。しかも自分の目の前には片腕を三角帯で吊ったエドガーがそれでも礼儀正しさを失わずパンをちぎって口に放り込んでいるのだ。


 どうせいつもどおり、みな勝手に食事をするだろうと、声をかけたら何故か全員来てしまって声をかけたマリオンのほうが慌てている。

 弾む会話というものは無いし、どちらかといえば皆気まずいようなのだが、なぜか席を立つものはいなかった。


「わたくしは」

 ヘンリエッタは上品に口元を拭ってから切り出した。

「近々、夫が迎えに来るので、一緒に帰ろうと思います」

 マリオンにも初耳だった。

「そうなのですか?わたしはとても寂しい」

「そうね。わたくしもよ。でも真冬になる前に帰らないと。子供達のことも心配だし。脱線事故による不都合も解消されたでしょう」

「そうですね」

「マリオンも一緒に来てもいいのよ。ここは冬を過ごすには寒すぎるもの。首都にもユリゼラ公爵の町屋敷があるじゃない」

「……ええ、でもまだわたしもこの場所から離れるわけにはいかないのです」


 まだ公爵の地位についたばかりで、ユリゼラのことを何も知らない。

 マリオンに慰めるような微笑を贈ったあと、ヘンリエッタはネルとスコットを見た。


「あなた方はどうなさるおつもり?」

「まだ決めてない」

 スコットが口を開くより早くネルがそっけなく返した。

「まだ決まらないというべきかもしれませんが」

 一応礼儀正しく言葉を返すのはスコットだ。ただ自虐があるのが痛々しい。

 そうなの、と呟くと、ヘンリエッタは新しく注がれたお茶を見つめた。ややあって彼女はまるで独り言のように、切り出した。


「イングラムには、お抱えの肖像画家がいるの。でもかなりの年配で、あと数年後には筆を取れなくなりそうなのよね。新しい才能を発掘するのも、貴族としての使命だと考えているわ」

 俯き加減で卵料理をつついていたネルが、ヘンリエッタの発言をいぶかしむように顔を上げた。その二人が正面から視線を合わす。


「ネル・ダーシーの才能は確かに素晴らしいようね。ただまだ荒削りで洗練されていないわ」

「わるかったね」

「隣国のマリアンヌ共和国の芸術についてはご存知かしら」

「知っているよ。誰だってこの時代ならあの国で留学の一つもしたいと思っている」

「あらそれならちょうどいいわ。留学していらっしゃい。でも、あなたマリアンヌの言語は不慣れでしょう、スコットもついていったらどうかしら。その分もまとめてイングラムが留学費用を出すわ」

「……は?」

 突然の話に全員の手が止まる。


 あまりにも恵まれた話だった。そこに先日の一件の謝罪があるのは明らかだ。

「あたしは、あんなことであんたに恩を売ったつもりは無い!」

 短気なネルが早速怒鳴る。

「わたくしも恩を買ったつもりは無いわ。買ったのはただ、あなたの絵の才能だけよ。だから正直に言えば、何も結果を出さないで戻ってくる事は許さない。マリアンヌ共和国が国を挙げて開催している美術展で上位入賞くらいしないとね。それは自信がないのかしら?」


 ヘンリエッタは微笑みながら挑んでいた。ネルのつかんだ幸せに対する挑戦なのかもしれない。でも挑戦させてくれるだけ、彼女は公平なのだろうとマリオンは考える。そしてヘンリエッタはネルとのその勝負にきっと負けたいのだ。ネルが愛する人と社会的な栄光の両方をつかむ姿を見たいのだろう。


「……へー……上位入賞でいいんだ。金賞じゃなくて。もちろんやってみせるよ」

 ネルも不敵に微笑んだ。

 数年留学して、賞を取って帰ってくる。その頃には駆け落ち事件など、罪として騒がれなくなっているだろう。むしろ彼女の箔となる可能性もある。ただ。


「ああ、でもマリオンが結婚してからじゃないと。マリオンが幸せになっていれば、僕達の面目もたつかと。マリオン、早く幸せな結婚をしておくれ」

 スコットにさらりと言われて驚く。なぜか不思議なのは、ジェームズとエドガーまで落ち着かない顔をしたことだ。


「スコットは向こうでどうするのだ?」

「そうだなあ。なにもしないのも気が引ける。ネルに言葉を教えつつ、向こうの情報でも書き送るよ。あちらのほうが芸術や女性の服装の流行については最先端だし。新聞社にでも送れば買ってくれるだろう」

「まあ素敵ね。あちらによい品物があったら社交界に情報が流れる前に送ってちょうだい」

「承知しました、ヘンリエッタ様」

 スコットは嬉しそうにしっかりと頷いた。彼も彼でネルのためだけに存在するという生き方は息苦しかったのだろう。


 マリオンはひそかに安堵した。スコットとネルの先行きがとても不安だったからだ。イングラムが後ろ盾となれば、マリアンヌ共和国から帰ってくる頃には二人のかつての派手な駆け落ち事件は笑い話として、もしかしたら英雄譚として語られるかもしれない。取られた側の自分はまあ「金で夫を買おうとした悪女」扱いかもしれないが悪い噂の一つが増えたところでどうということもない。


 確かにスコットの言うように自分が幸せになっていれば、文句なしなのかもしれないが全ての物事は完璧に終わるように、などと願うほど自分は夢見がちでもない。

 どういう風の吹き回しか、あの怪我をしてからエドガーの態度が軟化した。優しいというほどでもないが今までなら必ずついてきた悪態がなくなったのだ。それだけでもだいぶ仕事はやりやすい。

 不便な怪我した手でパンを食べようとしているエドガーのパンをちぎって口の中に放り込んでやりたいと思うほ程度にはこの状況を歓迎している。


 だから、これでいいのだ。

 マリオンはにこやかに、女中に皆にお茶を追加するように頼んだ。



 ヘンリエッタが迎えにきたイングラム大公……夫であるハワードと一緒に帰ったのは数日後のことだった。

 それからしばらくして、ネルとスコットもマリアンヌ共和国に旅立っていった。おそらく先に帰っていったヘンリエッタが多くの手続きを行ってくれたのであろう。二人は城を旅立つ際、すでにマリアンヌ共和国への汽車の切符を手にしていた。

「いつか、必ずあなたの肖像画を描くわ」

 ネルは相変わらず愛想のないつっけんどんな口調で最後にマリオンに告げた。

「そうしたら、ホールの一番いい場所に飾るのよ。きっと城一番の素晴らしい作品になるから!」

 などと付け足しもしたくらいだ。


 それが彼女なりの感謝と謝罪であることはマリオンにはわかった。ネルは直接は謝らなかったが、それはもう別にいいように思う。そもそも自分は別に彼女に謝って欲しかったわけではないのだ。

 友人と言い切れるほどではないかもしれないが、彼女とはある程度の信頼関係を築けたのだろう。自分とは全く違った人間、でもむやみに拒絶しあうことだけが結果でなくてよかったと思う。

 だから今更駆け落ちを非難したり、態度をなじったり、謝罪を求めるなんて意味が無い。


「スコットはわたしの大事な友人だ。必ず幸せにしてくれたまえ」

 マリオンは貴婦人然とした穏やかな微笑でそれだけ告げた。

「もし彼が不幸なら、今度はわたしが彼をさらいに行くよ」

 ネルはにやっと楽しそうに皮肉っぽい笑顔を浮かべただけで、慌てたのはスコットのほうだった。

 旅の無事を祈るマリオンの前から二人も去った。

 やがて怪我の治ったエドガーも自宅に戻り。


 ユリゼラ城の客はついに一人だけとなった。

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