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「あのね、わたくしが言うのもどうなのかしらと思うのだけど、あなたが謝る必要は無いのでは?」

 穏やかな田園風景が車窓を流れていくのをジェームズ・ベルティはぼんやりと眺めていた。降り注ぐ秋の光を受け止める風景は、すでに収穫も終わり枯れ草色ばかりの少々つまらない光景である。


 彼の乗る蒸気機関車が向かっているのは大アルビオン連合王国の一角を成すユリゼラ地方である。周囲の殆どを海洋と山脈に囲まれた北の辺境と呼ばれる地域であった。まだ晩秋であるが遠からず雪が降り、真冬ともなれば雪嵐が吹き荒れる厳しい地だ。一方で海産物に山の獣達と、食料に関してはその地の厳しさに反して豊かであった。

 蒸気機関車はまもなくユリゼラ城のある駅に辿り着こうとしていた。


 その、二人だけしかいない一等客室。ジェームズに言葉をかけたのはとても四十歳間近で二人の子供がいるとは思えない若々しい外見を誇る美しい女性だ。

 ジェームズの返事を待ちながら食堂車から持ってきたらしい色とりどりの果実が乗った皿を差し出した彼女はヘンリエッタ・イングラム。現女王陛下の弟の細君である。つまり大公夫人という実にやんごとない身分の方であり、常識的にはしがない男爵家三男坊である自分は話すこともままならない相手であるということはジェームズも自覚するところである。


「本来ならば、私がどれほど頭を下げても知り合うことさえ出来ないような方ですよ。マリオン・スクライバー公爵は。まさか母があんな行動にでるとは思いませんでした」

 ジェームズの返事は彼女の好奇心を満足させなかったようだ。彼女は柳眉をひそめた。

「でもねえ……マリオンはいろいろといわくつきだから……」

 それからはっとしたように付け足す。

「わたくしの知る限り、とても心根がまっすぐで誠実な娘ではありますよ、もちろん」


 ジェームズが今まで縁もなかった大公夫人と共に辺境ユリゼラに向かっているのにはもちろん理由がある。

 六ヶ月前の聖ヴァレリー大聖堂で起きた新郎駆け落ち事件である。

 その後はもちろん……大騒動になった。


 ユリゼラ公爵マリオン・スクライバーは古くからの許婚であったスコット・アシュトンと結婚するはずだったのだが、彼は大聖堂から逃げ出し、以降見つかっていない。真っ青になったのはアシュトン家のほうである。

 アシュトンは子爵、……資産家の貴族とはいえ公爵スクライバー家とはかなりの差がある。アシュトン家がスクライバー家と親族になるなどかの一家にしてみれば奇跡に等しい幸運であった。それを花婿当人が完膚なきまでにぶち壊したのだ。


「……やはり、公爵は傷ついておられますか?」

 ジェームズは今までどう尋ねていいものかわからなかった花嫁の現状を問う言葉を口に載せてみた。

「あれからずっと領地に引きこもり、殆ど城から出てこないとも噂を聞きました。まあその反応は当然と思いますが」

「どうでしょう。わたくしも手紙のやり取りばかりで会うのはあの結婚式以来なの」

 ヘンリエッタはか細いため息をついた。


「都会での彼女の噂はひどいものね。逃げられたのはマリオンなのに、まるでマリオンに非があるように騒ぎ立てられて」

「そうですね」


 ジェームズは耳にした口さがない噂を思い出した。もちろんお互い言葉にはしなかったがヘンリエッタも聞き及んだそれを不愉快な気持ちで思い出しているのだろう。

 貧民の出自。贋物の女公爵。あの若さで公爵。先代公爵は騙されていた。女の癖に学門とは生意気。そんなだから花婿に逃げられた。後見人の大公まで言いくるめて。花婿の駆け落ち相手にも劣る色気のなさ。

 よくもまあここまで無責任に罵倒できるものだと、噂についてジェームズは呆れて果てていた。


「こんなことなら、先代の遺言なんて無視すればよかったわ。彼女を公爵になど据えるべきではなかったのです。養子を取ってそれを公爵としてマリオンを妻とすれば高貴な血の面目も保たれたのですから。夫のやりようにはわたくしは正直同意しかねますのよ」

「……失礼ながら噂はどこまで本当なのでしょう」

 ジェームズの言葉にヘンリエッタは凄みのある美貌で睨みつけた。


「ユリゼラに戻るまでにいろいろ運命の遍歴はありましたが、マリオンは間違いなく先代公爵の正当な孫です。その能力もあります」

 その剣幕にジェームズは自身の滑った口を反省した。

「そうですね、運命の遍歴というのならば私の方も変わっていますからね」


 そしてジェームズは手元のガラスの杯を持上げた。それを見てもヘンリエッタは嫌そうな顔を見せず、全てを承知したと微笑みすら浮かべて見せた。大体の人間は初見であれば多少なりとも気味悪がるのに。確かに大公夫人だけあって大した肝の据わり方だとジェームズは感心する。

 ヘンリエッタの社会奉仕は多岐にわたる。女性の社会進出や貧民への慈善事業が多いが、それでも頑固な人間や悪意と言っていい人の感情と関わることもあるのだろう。そういった修羅場を乗り越えての魅力ある表情を持つ女性であった。

 ヘンリエッタの微笑みにジェームズは感謝を示す。

「寛容頂き大変ありがたく思います」


 ジェームズ・ベルティは半年前まで軍人であった。

 もともと貴族といってもその隅っこにかろうじてぶら下がっているようなささやかな男爵家である。資産も大してなく、一応長兄が家督は継いだものの争いになるようなことはなにもなかった。ただ、己の食いぶちは自分で何とかしなければならないというしみったれた状況にあることは間違いない。二番目の兄は官僚になった。一人いる姉は何とか無事にそれなりの男に嫁いだ。


 しかしジェームズが身を立てようにもその頃にはベルティ家は四人目の子供を大学に行かせる資金はなかったわけである。とはいえ特に特技もないジェームズには学門くらいしか身を立てる術がない。幸い体格にも恵まれていたので、彼は士官学校に進むことにした。ここならば軍に進むことによって学費は免除されるし、一応貴族であるからそこそこの出世は見込める。いずれ所帯を持つことも可能だろう。


 母親は可愛がっていた末息子が戦争に関わる可能性を案じていい顔はしなかったが、ジェームズは時間をかけて言葉を尽くしなんとか説得し、彼自身の進路を決めた。無事、仕官学校をでて軍に入り、五年目。将来が見えていたはずのジェームズの人生はいきなり予想もしなかったことでつまずいた。


「それにしてもどうしてイングラム大公はユリゼラ先代公爵と親交が?」

「わたくしの夫はマリオンのお爺様と親しく、そして彼女のお父様の名付け親でありましたから。今もお二人とも亡くなられてしまい、夫も寂しがっております。だからこそ二人の血縁であるマリオンの後見人として責任を感じているでしょう」


 ジェームズはヘンリエッタの衰えぬ容色を見つめた。マリオンの祖父と親しいと言う彼女の夫ハワード。かなり年の差のある夫婦だということに思い至った。ヘンリエッタも確かかなり上位の貴族の出身であり、政略結婚であろうということは容易くわかる。まあ珍しい話ではない。そもそも今回のマリオンとスコットの結婚も、亡くなった先代公爵の遺言だというのだ。もう十年も前に決まっていたということであればたまたま二人は親しくなったという幸運な結果があったにしろ、間違いなく政略結婚であろう。

 それにジェームズ自身も。


 と、ふいに汽車は速度を落とし始めた。

「おや、もうユリゼラに?」

「ユリゼラの領内には入っていると思うけど駅には着いていないはずよ」

 ギリギリと金属の擦れる重い音を立てて汽車はゆっくりと、しかし確実に駅では無い場所に停車したのだった。ヘンリエッタと顔を見合わせてから、ジェームズは汽車の窓を開けた。冷たい空気がすっと頬を斬り付ける。

「ああ、木が倒れています。きっと線路にかかっているんですね」

 ジェームズと同じように窓から顔を出してヘンリエッタも前方に目を凝らしたが良く見えないようだった。


「そうなの?」

「先ほど車掌と話しましたが昨日は嵐だったそうですよ。そのためでしょう。しかしあれでは線路を完全に塞いでいますから進めませんね」

 ジェームズは迷う事無く立ち上がった。一等客室の扉を開けて通路に出る。

「ちょっと何とかしてきます」

 ジェームズの言葉にヘンリエッタは彼の頭の先から爪先まで眺め、それから言った。

「服は汚さないように気をつけたほうがいいわ」

「承知しました。一張羅ですからね」


 にっこり笑ってそう返すとジェームズは通路を歩き始めた。急に汽車が止まったことで車内はあちこちから人が顔を出し、右往左往して騒然としていた。扉は閉まっているので車外には出られないようだが、三等客車では通路の両側に並ぶ座席の窓から人々は顔を出して先の様子を伺っていた。


 人を掻き分け行き着いた先頭車両でジェームズは車掌をつかまえた。その車両だけ扉が開いていて、機関士や運転士、それに何人かの物見高い客達が出入りして線路を囲んでいる。一等客車……個室の客ということで車掌も覚えていたらしい。今までジェームズが余りうけたことのない丁重な態度で事情を説明される。


「右側が丘になっているでしょう。昨日の嵐であの上にあった大木が一本倒れたんだそうです。今朝はまだ丘の上にあったそうなんですが、そのまま滑り落ちてしまったという連絡を先ほど受けまして。安全に停車できたのは良かったのですが、線路上に落ちてしまった大木をどかすまでは汽車を動かすことも難しいですね。困りました」


「どうやってどかすつもりで?」

「近くの村の者が牛馬を出してくれるそうです。それで引かせてみるしかないですね」

「それは……時間がかかりそうな話だ」

 車掌は申し訳なさそうに肩をすくめた。

「皆様には車中で一泊して頂く事になるかもしれません」

「……気が進まないなあ、それは。どうだろう、私があれをどかしてみてもいいかな」

 ジェームズの言葉に車掌は浮かんだ疑問を隠すことなく目を見開いた。


「それは無理でしょう。あなたはそりゃ体格も恵まれていて力もありそうですが、さすがに大人が三人で手を回さなければ囲めないような大木ですよ。押してもひいてもだめでしょう」

 ジェームズは車掌の忠告に微笑を返すと開いていた扉から外の様子を伺った。車掌の言う昨日の嵐は嘘のように晴れ空は清々しい青だが、地面はぬかるんでいるようだった。見上げてみれば丘から先頭車両まで太い一線を描くように雑草が薙ぎ倒されていて、大木が滑り落ちてきた跡なのだろうということは理解できた。ジェームズが列車を降りてみると、確かにそこには折れた……というよりも根から抜けたような巨木が完全に線路を塞いでいた。


「重そうですね」

「そうですよ」

 一緒に降りてきた車掌が呆れた口調で言った。

「まあ土砂崩れよりはマシですが。でもどけるのは大変です。男衆が一体何人集まったらどかすことが出来るのか。ああでも、彼らがいれば一人で出来るかもしれませんね」

 車掌は自分を納得させるように頷きながら言う。


「ほら、あのシナバーって連中」


 言ったとたんに、目の前にいる男が何者なのか察したようだった。車掌は一度息を止めるように言葉を切ってから彼に尋ねる。

「あなた、もしかして」


 ジェームズは愛想の良い笑顔を浮かべた。体格はいいが人相は少々悪い、というか強面である事は重々理解している。それゆえ感じのいい笑顔は得意なのだ。

「略式でも正式名称で呼んでいただき嬉しいですよ。多くの人々は皆、少々偏見を持って吸血鬼、と呼びますからね」

 先ほどまでいた一等客室においてきたガラスの杯を思い出す。ヘンリエッタに掲げたその杯に入っていたものは、政府から供給された人血であるのだ。

 それこそがジェームズが軍を辞めるきっかけとなった理由だ。

 ジェームズは一張羅である新調の上着を脱いだ。そのまま車掌に手渡し、自分は大木に近寄っていった。


 吸血鬼、という呼び名を使われると大抵『彼ら』は怒る。

 大アルビオン連合王国。ここで、過去吸血鬼と呼ばれ、迫害と闘争の歴史を渡ってきた存在は特発性銀朱球増殖飢餓症候群…………通称シナバーと呼ばれる稀少な疾患として認知されている。そしてジェームズも罹患者の一人である。


 シナバーは、魑魅魍魎のたぐいでもなく人間ではないというわけでもなく、もちろん呪いだなんてこともなく、ただ純粋に疾患である。おそらく数千人に一人の割合で発病している。そこに遺伝的要因は無く、今のところ他人への感染も認められない。残念ながら治ることは無い。


 かつてシナバーによって死亡させられた人間達は、別に彼らに血を吸われことで死んだのではなく、その際の限界以上の失血や傷口からの不運な感染によって死亡したと今では結論付けられている。シナバーが吸血する時の噛み傷は不思議とすぐに塞がるのだ。

彼らに血を吸われてもその人間がシナバーになるわけではない。一方で今まで一度もシナバー患者の出ていない一族の間にもふいにその患者がでることも調査済みである。発病に至る経緯は今なお不明ではあった。

 現状で人々は、シナバーだって、別にむやみやたらと恐れるべきものではないのかな?という認識には至っていた。


 とはいえ、それは別に自然に人々の間に発生した寛容の精神ではない。

 三百年前、大陸の三分の一を占めるアルビオン地方の覇権を巡って小国家がいくつも争っていた。長きに渡って続いた血生臭い戦争を終わらせた統一王がシナバー患者であった。

 彼は周囲のシナバー患者を率いて、四つの国を大アルビオン連合王国として平定し、その際にシナバー患者への理解と共存を民に啓蒙したのだった。


 続く戦乱にうんざりしていた庶民にとって、統一王と彼が率いるシナバー達は英雄である。むやみやたらと襲われさえしなければ受け入れることはやぶさかではないという素地はでき始めていた。統一王は犯罪者の血を配給することによって一般人への被害を極小とした。それは今も保存血の配給という形で制度を存続している。


 そして統一王の聡明であった点は、別にシナバーによる立国を目指したわけではないという点だ。しく人として平和に生きる権利を求め、そして与えただけにすぎない。シナバー者が一般人を支配する王国であれば十年と持たなかったであろう。王国は現在は王制から議会制へと変容したが、シナバーへの寛容は今も息づいている。彼らがいなければ大アルビオン連合王国は誕生しなかったという意識があるからであろう。


 大アルビオン連合王国誕生の礎、シナバー。


 シナバーは一般人と見た目は変わらない。発病しても以前の容姿を保ち、別に不老不死でもない。昼も平気で出歩ける。昼間のピクニックや海水浴が好きな者もいる。にんにくやら鏡やら神の印に弱いわけでもない。銀の弾丸は致命傷にはならない。吸血した相手を支配なんてできない。少しだけ人より夜目が利くが、霧とか蝙蝠に変身できるわけでもない。顔色は悪いかもしれないが、棺桶で眠らなくても元気いっぱいであるし、普通の食事も必要だ。

 シナバーが一般人と違うのは、定期的に他人の血液がなければ生きていけないことと、尋常では無い運動能力と回復力だけだ。


 だがそれはジェームズが軍を辞めることの原因となった。

 もともと士官学校出身の軍人である。有事となれば戦場からは逃げられない。それはもちろんジェームズも受け入れていたことであるが、シナバーを発症したことで事情は少し変わってきた。

 常人とは比較にならない頑健な身体能力を持つシナバーは、国家に危機が訪れた際には否を許されず戦闘活動に入ることが強制されている。そのために国家は彼らの食料である血液の安定供給を行っているのだ。


 もちろんジェームズもその例外ではなく、たとえ出世して将の地位を得ていたとしても最も厳しい前線で戦うことになるであろうという事は確定した。ジェームズ自身は仕方あるまいと諦めがてら納得したが、状況を飲み込めなかったものが一人いた。ジェームズの母親である。


 いまや身長は男性平均よりはるかに高く、うかつに相手を見下ろせば怯えさせてしまうほど体格の良い青年となったジェームズであるが、母親からしてみれば年取って生まれた幼いころは病弱だった可愛い末っ子のままである。彼女はジェームズが軍に在ることにもともとあまりいい顔はしていなかったが、シナバーとなったことで寝込んでしまったのだった。


 ただの軍人程度ならまだしも、もっとも危険な場所で愛息子が戦うことになる、という事実は彼女にとって耐え難かったようだ。そもそも軍人である以上シナバーであろうがなかろうが危険度は変わらない……むしろシナバーという頑丈な体を手に入れたことで、逆に死亡確率は下がるのではないかとジェームズはのん気に考えている……のだが、そう説明したところで老いた母親の気持ちは安らぐことはなかった。


 また、それとは別にジェームズも軍に居辛くなる事件が起こってしまった。

 とはいえジェームズは士官学校に学費という借金があるわけで、そう簡単にじゃあ軍を辞めますとはいかない。

 それは母親も重々承知していることであり、どうにもならないことであったのだが、どうしても息子を戦地に送りたくない母親は考えた。

 そしてちょうどその頃、大貴族スクライバーの婚礼での花婿駆け落ち事件が、大アルビオン連合王国の貴族界を揺るがしたのだった。

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