表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/23

13

 マリオンとジェームズがようやく古城にいけるようになったのは、マリオンの風邪が治って十日後のことだった。ヘンリエッタがずっと禁止していて古城はおろか馬に乗ることも許さなかったのだ。

 その日は朝から珍しく暖かい日だった。早い時間に二人は馬に乗って出発した。


「明日行こう明日行こうで、随分先延ばしになってしまったな」

「私もこの城に来てからもう一ヶ月以上になるんですよ」

 特に急ぐことも無く、二人はのんびりと景色を見ながら馬を進める。

「もうそんなになるのか。毎日退屈だろう」


「そんなこともないですよ。城内の料理人と仲良くなって、都会で流行っている菓子を作ってもらったり、庭師と一緒に剪定を手伝いをしたり。この城の昔の話も聞きました。ああ、ヘンリエッタ様とカード遊びはまだやってますよ。お互いに上達しています。多分社交界で今ヘンリエッタ様より強い人はそうはいないんじゃないでしょうか」

「スコットやエドガーとは遊ばないのか?年もそれなりに近いのに」

「なんだか二人には遠巻きにされているようです」


 特に傷ついた様子もなく快活に語るジェームズだが、なんとなくマリオンもその先を深く聞けなかった。スコットはやはり彼がシナバーということで敬遠しているのだろうし、エドガーは何が気に入らないのかわからないが終始喧嘩腰だ。


「配給血は問題ないか?ここは田舎だからちゃんと入手で来ているか心配だ」

「問題ないですよ。しかしヘンリエッタ様は肝が据わっていますね。私の配給血を見ても全然動じません」

「本当の上流階級というものはそういうものかもしれないな」


 マリオンは空気の暖かさの中に一片の氷の匂いをかぎとる。多分こんな陽気は今日だけだろう。明日か雪が降ってもおかしくない。今日もあまり遅くならずに帰ったほうがいいだろう。

 二人が古城に到着したのは昼前だった。切り立った渓谷の上にあるとはいえ、一応道も整備されており、それほど難しいことではなかった。城門前に馬を止め、二人は入り口に向かった。そこで待っていた管理を任されているのだという老人に声をかけてから城に入る。


 古城は今の城と比べれば、小さく、そして作りもかなり異なっている。ただ、使われている床石や板、それに異国風のタイルで彩られた壁の美しさは変わらない。

 大きく回りこみ、奥まった場所まで行かないと、主人や家族の私室として使われていた部屋に行き着けないことや、いざとなれば領民が篭城する場所となるダンスホールなど、戦乱の時代のために作られたのだとわかる造りが面白いと二人は語り合う。


「ここはダイニングですか」

 長細い部屋に古びた木のテーブルが置いてあった。固い木で出来ているようで古く黒ずんではいるがその分重厚である。

「祖父の代までは夏にここに近隣の親しい人間を招いてパーティを開くこともあったらしい。花火なども上がって大変華やかだったようだ」

「またやればいいじゃないですか。楽しそうだ」

「……まだ、そこまで親しくなっていないから」

 マリオンは静かに言った。


 礼儀として付き合っている人々はいる。領主として円滑にしておかなければならない人間関係もあるからだ。だが親しくなったなと感じとれることはまだない。そもそも年が近いエドガーとすらうまく話が出来ないのだ。

 パーティを開けば当然来てくれるだろうが、本当に喜んできてくれるのかが不安なのだ。


「親しくなれますよ」

「そうかな」

「私とだってもうかなり親しくなれたと思いますが?」

「君は花婿候補だからな」

 マリオンは苦笑いした。しかし大真面目にジェームズが続ける。

「でも私だって人間ですし、あなたがまだうまく関係を作れないでいる人々も人間です。同じことですよ」

 励ましてくれるジェームズの気持ちは嬉しい。それになんと言葉を返そうか考えていたマリオンだが、返事を待たずしてジェームズは別の話をしてきたのだった。


「これはあのステンドグラスと同じ絵ですね」

 一番奥まった壁に一枚の大きな絵がかかっていた。それはアギラとヴェルディが描かれたものだ。構図も酷似している。


「いや、どちらかといえば、この絵を真似てステンドグラスが作られたのだろうな」

「そういえば、あの古い本にも載っていましたね」

 ダイニングテーブルの位置的に、この絵画を背に主人である公爵が食事をしていたのだろうと思い至る。その頃は家族や親族も多かったのだろう。今はたった一人マリオンしかいなくなってしまったユリゼラ公爵家の過去を考えた。


 その間にもジェームズはおもしろそうにダイニングを見てまわっている。端にある階段は地下の厨房へと繋がるものだ。ダイニングは一階だがかなり奥まった場所にある。

「厨房を見るか?」

「ああ、でも先に屋上に行ってみませんか。そろそろ昼食にしてもよろしいのではと思いまして。それなら風景の美しい場所がいいかなと思います」

 ジェームズは、今日持たされた昼食を掲げた。蔓草で編まれたかごの中に、料理人の自慢のパンやハムが入っているのだ。


「そうだな。じゃあこちらの階段をあがろう」

 一直線に向かうことはできず、二階から三階へはまた別の位置にある階段を探すことになりながらも二人は屋上に上った。戦乱の時代に敵の侵入を防ぐためのこういったわずらわしい造りなのだ。今とは確かに違う。


 屋上のひやりとする風はやはりここが山の上なのだと痛感させられる。

 手すりから外を見てみればユリゼラの領地が遠くまで見えた。

 眼下に深い渓谷、そして顔を上げて振り返ればその先にはなだらかに広がる丘陵地帯が見える。草原には爽やかな風が時折吹きぬけ、晩秋に残った草木の葉を光らせていた。

 美しいと思う。


 都会の貴族は皆、あんな寒々しい辺境、というが、マリオンはこの光景が好きだった。孤児院にいた時も、修道院にいた時も、学校内にいた時も、いつだってここは自分のいるべき場所では無いような気がしていた。

 初めてユリゼラの大地を見たときに、やっと深呼吸ができたようにすら思えたのだった。

 大アルビオン連合王国として統一された際、隣国との境界になる領地が統一王の手により召し上げられた。そして彼の腹心に下賜されたことに激怒し、今なおそれを恨みに思い、辺境公爵などと名乗って失われた領地を惜しむ過去のスクライバー家の人々の思いも少し分かった気がしたくらいだ。


 だからマリオンにとってはここは大切な場所だ。

 まわりは得体の知れない女公爵と思っているだろうが、周りが思う以上にわたしはこの地を愛しているのだ。

 でもどうやってこの地に馴染んだらいいのかわからない。

「どうやったらわたしはここの人間になれるのだろう」


 マリオンはふっとため息をつくように言った。ジェームズにこんな話をするつもりはなかったはずなのに。

「そもそもわたしはこの地に縁ある血縁とは話したこともないし、顔を見たこともないんだ」

「どういうことですか」

 マリオンは輝くユリゼラの大地をぼんやり見ていた。

 自分の記憶にある幼少の風景とはだいぶ違う美しい場所。


 ……暗く汚くて雑然とした首都こそが故郷なのだろうか。本来自分はあの場所で埋もれていくだけの存在だったのではないか?


「わたしの母親はユリゼラの中でも貧しい生まれだったらしい。母親についてはわたしや父と同じ金の瞳と髪を持っていたということ以外、なにもわからないんだ。ともかく父親と出会って恋に落ちて、わたしを身ごもって、でも公には妻となれなかった」

「それはあなたのお爺様……先代ユリゼラ公爵の反対が?」


 ジェームズの質問は実に要点を得ていた。物静かな男だがおそらく聡明なのだろう。軍にいた時の経歴も調べて知っている。国境の警備にいたが大した騒乱はなかった。軍内でおきた小さないざこざを解決したりとそれなりに有能だったようだ。


「そう、祖父は二人の結婚は認めなかった。身分違いという理由だったらしい。居場所を失った母は首都に逃げた。ひどく貧しい中でわたしを産んでそのまま産褥で死んだ」

「お父上は」

「父は病弱だったようだな。あとで知ったことだがわたしが三つの時には病気で死んでいる。彼が何を考えていたのかもわからないままだ。母やわたしを捜したのかどうか……ともかくわたしの歴史は孤児院にいる二歳の時からだ」


 ジェームズは次の言葉を捜しているようだった。顔を見てみれば彼はマリオンと同じように緑豊かなユリゼラの大地を眺めていた。マリオンの視線にすぐに気が付き、彼はまっすぐにマリオンを見つめてきた。


「ではあなたを探していたのはお爺様?」

「違う」

 マリオンの険しい口調の否定にジェームズは口をつぐんだ。二人の沈黙は少しだけ長く続いた。それを断ち切るのは自分だろうと思ったが、マリオンが次の言葉を口から出すには時間が必要だった。


「父が死んで、次期ユリゼラ公爵の話になったとき、ようやく祖父はわたしの存在を明かしたんだ。実は孫がいるはずだと。イングラム大公が祖父から依頼を受けてわたしを探してくれた。彼が親代わりとなって教育を施してくれた。まるで童話みたいな話じゃないか。孤児院の娘が実は公爵でした、なんて」


「そのわりにはめでたしめでたしという顔をしていませんね」

 マリオンは思わず彼の顔をまじまじと見てしまった。

「……けっこう聞きにくいことをはっきり聞くのだな」

「聞いて欲しそうでしたから」


 悪びれない彼を睨もうか考えてからマリオンはそのまま話を続けることにした。

 スコットはいい友人だが、彼が今考えるべき事はネルと自分のことだ。ヘンリエッタもイングラム大公も世話をかけたぶんだけ、今に不満があるなど言えない。エドガーは論外だ。……悩みを誰に話したらいいのかもわからなかった。


「最低限の行儀を修道院で身につけた後、貴族の子弟が通う学校に放り込まれたということは以前話したとおりだ」

「女性が入るなど例外的措置ですね。家督は長子相続が基本ですから、女性当主もいますが大体は婿を取り、彼が家を仕切ることが多い。手腕を発揮した女性領主もいますが学校に通うことはなかった。子弟学校に入れたのもイングラム大公の力が大きかったのでは」

「その通り。しかし八年間は長かった」


 マリオンはうんざりするような八年間の生活を思い出す。修道院に住み、昼は学校に通う生活はどこにも拠りどころがなかったような気がする。ときどきくるヘンリエッタと唯一の友人であるスコットが救いだった。


「どうして祖父がそこまでしてわたしを公爵として育てるようにしたのかはわからないんだ。だってそこまで大事なら、生きている間に会いに来たっていいようなものじゃないか。でも存命中の彼は、わたしを無視し続けた。わたしの存在は知っていたのに、周囲に存在を明らかにするのもぎりぎりだったし、会いに来ることもなかった。後のことを引き受けさせられたイングラム大公は本当に大変だったと思うよ」

 一気に喋った後マリオンは一度口を閉じた。


「孤児の目の前に突然華々しい道が現れたって、それがわたしのものという実感がない。わたしは貴族の血筋とわかって、十数年間、戸惑っているだけだ」

「……あなたの血筋がそうさせた、という言葉では納得されないでしょうね」

「血筋なんて見たことない。両親は肖像画すら残っていない。祖父の肖像画はまだ若い頃のものでぴんとこない。両親の思いも祖父の思惑もわからないなんて、自分の立ち位置がわからなくて不安なばかりだ。実はユリゼラ城に来たときからずっと、祖父や父の私物が残っていないか探している。日記とか手紙とか、なんでもいいんだ。でもそういったものは見つからない」


 ジェームズはマリオンの言葉を真剣に聞いているようだった。

「父が本当は母を愛していなかったとか、祖父も別にわたしは家督のための道具としか思っていなかったとか、そういうことでもいいんだ。ただわたしのことをどう考えていたのかわからないよりはましだ」

「お父上は確か芸術の才能があるとネルは言っていましたね」

「らしいな。彼の作品は実は城内には幾つかある。でも風景画は何も語ったりしてくれないからな」


 祖父の手紙や日記もあることはあるのだ。だがそれは領内の業務にまつわることが端的に記されているばかりで彼の人となりを知るには至らない。イングラム大公もヘンリエッタもいい人間だ。だとすれば祖父も人格者だったのだろうか?

 ……孫を無視しても?

 愛されていたのであれば、と願うにはマリオンはもう子供ではない。でも。


「……生きていても、人は嘘をつきます」

 ややあってジェームズは短く言った。

「それは嘘をつこうと思って嘘をつくのではなく、無意識無自覚であることも多いのでしょう。先代様が無言を貫いたのはそういった欺瞞を恐れていたからかもしれません」

 そういえば、ジェームズが何かを真摯に語ることも初めてだとマリオンは気が付く。


 今の話は一般論で片付けるにはあまりにも実感を伴った口調だった。彼もまたなにか苦しい思いを感じることもあったのか。

 両親がそろった普通の家庭で生まれ育ち、裕福ではないが貧困でもなく生きてきた。軍に所属することも不本意というほどでもなかったようだ。彼にはなにも悩みなどないのだろうと考えていた自分に気がつき、マリオンはかすかに衝撃を受けていた。

 悩み、苦しいのは自分だけかと思っていたが、それもまた他者を見下す視線の一つではなかったろうか。そんな考えで周囲に認めてもらいたいなど、不遜極まりない。


 マリオンが自分の甘さに息を潜めていた時、ふいに思いがけないことが起きた。

 横に並んで手すりに身をもたれさせていたジェームズが、ふいにマリオンが肩にかけたケープに手を伸ばしてきたのだった。その裾を手繰り寄せて、最も裾に口づける。それからその手を離すとケープは衣擦れの音を立てて、また足元に向かって裾を落とした。口づけだが、色っぽさのかけらも無い、ただ尊重だけの動作。


 マリオンは対応に窮して固まる。

 やがて彼は手を止め、視線は遠くに向けながら言った。

「何か今、私にも大変な過去があったのではとか、自分ばかりが辛いと思っていたとか、考えて一人で落ち込んでませんか?」

「べ、ベルティ」

「たとえ私の人生が気楽でも壮絶であっても、これまでのあなたの人生の比較対象にはならないんですよ」


 ……少々わかりにくいが、これは慰められているのだろうか。

「あなたはあなたの苦悩だけ抱えればいいのです」

 ジェームズという人間はいつも同じ態度で飄々としていて、少々言葉を交わしたくらいでは彼が何を考えているかはわからない。しかし彼自身が他人を良く見て考えている事は今の発言でわかった。

「……そういってもらえると助かる」

「どういたしまして」


 きっと世渡りがうまいタイプではないのだろうとは思った。思慮深く誠実で女性には優しいがが、あまり周囲に合わせるということをしない。彼と馬が合わない人間もいるだろう。もしかすると彼が軍を辞めるに当たり、人間関係もその理由にあったのかもしれない。でもジェームズはあまりそういったことをマリオンには話さないだろう、まだ。

 ……話してもらえるに足る信頼を得たいな、時間はかかっても。

 マリオンは遠いユリゼラの地平を見ながら考えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ