第八話目だけれど、暴風雪閣下のムーブがまったく予想できません!
どくん、どくんと胸が高鳴る。今日は、お守り代わりの“エール”の首飾りはかけていない。以前、デュワリエ公爵になぜ触っているのかと、指摘されたからだ。
初対面の相手、しかもデュワリエ公爵に空気も読まずに“エール”について語り倒してしまうなんて、確実に私の黒歴史だろう。思い出しただけでも、ぶるっと身震いする。
「どうぞ、中へ」
「え、ええ」
早く入れと急かされたので、瞬時に意識をミラベルからアナベルへと入れ替える。
私はアナベル・ド・モンテスパン。アメルン伯爵家の暴君、アナベル・ド・モンテスパン。……これでよし。
背筋を極限までピンを伸ばし、胸を張り、堂々とした足取りで赤の貴賓室へ足を踏み入れる。
そこには、腕組みして長椅子に腰掛ける、“暴風雪閣下”の姿が。
すでに、暴風雪が部屋中に吹き荒れていた。
ここで物怖じしてはいけない。相手が誰であろうとアナベルは、平然と声をかけるのだ。
「ごきげんよう、デュワリエ公爵」
「ええ。久しぶりですね」
まったく温度のない言葉に、ぶるりと身震いしてしまう。扇を広げ、盾のように構えながら、一歩、一歩と接近する。
「失礼」
そう断ってから、優雅に腰掛ける。ここまでの行動は、百点満点中一億点くらいだろう。完璧なアナベルだ。
だが、問題はここから。彼をメロメロにするには、駆け引きできるまで親密にならなければならないだろう。
そこまでの道が、険しい気もするけれど。“エール”の首飾りを手にするため、頑張らなければ。
広げていた扇を、手のひらに叩きつけるようにしてたたんだ。パチン! と、音が鳴り響く。これは、相手に威圧感をかけるアナベルの必殺技である。今までたくさんの人々を戦々恐々とさせてきた。
しかし、デュワリエ公爵は平然と私を見つめている。どうやら、本家ほど迫力はなかったようだ。
「今日は、あの首飾りをかけていないのですね」
「はい?」
なぜ、首飾りについて指摘するのか。今日身に付けているのは、アナベルが母親から譲り受けたという、サファイアの首飾りだ。驚くなかれ。彼女がこの首飾りを贈られたのは、六歳の誕生日。自慢されて羨ましくなった私は、母に「私もサファイアの首飾りがほしい」とねだったものだ。しかし、母は悲しそうな表情で言った。「私は馬をねだったので、首飾りはもらえなかったのよ」と。膝から頽れた日の記憶は、今でも鮮明に思い出せる。その馬は母の持参品にもなり、三十年も生きたらしい。大往生である。
馬が死んだ翌年に私が生まれたので、「ミラベルはわたくしのお馬さんの生まれ変わりよ!」とかなんとか言っていたが、私からしたら「馬の生まれ変わりって微妙」である。
どうせならば、亡国の姫君とか、光の一族の巫女とか、ロマンチックな人の生まれ変わりがよかった。
馬の話はさておいて。
デュワリエ公爵は顎に手を当て、考え事をしている。おかげで、私もサファイアの首飾りと馬についての記憶を遡ってしまった。
というか、呼び出しておいて謝罪もなく、人の装身具について触れるのはどうなのか。
三分くらい、押し黙っていた。いい加減にしてほしいので、こちらから声をかける。
「デュワリエ公爵、いかがなさいましたか?」
「あ、いや――その首飾りが、似合っていないと思いまして」
直球に、指摘してくれる。似合わないのは当たり前だろう。なんせ、これはアナベルの母親が十八歳の社交界デビューの年にあつらえた品だから。二十年も前の首飾りが、今風のドレスに合うわけがない。
ではなぜ、これを着けてきたのか。デュワリエ公爵との面会に集中するためである。
羨ましいことに、アナベルが所有する装身具のほとんどが“エール”の品なのだ。
アナベルは普段、装身具を貸すときは何も言わないのに、今回だけは「大事に扱ってよね」と注意してきた。きっと、彼女にとって大切な物なのだろう。
そんな品を「似合っていない」と断言され、ムッとしてしまった。
「こちらは、母から譲り受けた品ですの。そのように似合っていないなどと言われると、少々不快ですわ」
「それは失礼しました。しかし――」
以降は声に出さず、じっと凝視するばかりだ。
なんというか、デュワリエ公爵は変わっている。普通、似合っている以外の言葉は、他人に対して直接かけない。
早く面会の時間を終わってくれ。願いが通じたのか、デュワリエ公爵はスッと立ち上がった。
私もつられて立ち上がる。どうやら、お開きのようだ。
収穫はゼロだが、今の私は機嫌がすこぶる悪い。このまま、帰ったほうがいいだろう。
「では、お忙しいようですので、わたくしはこれで」
「別に、忙しくはないのですが」
「ならばなぜ、お立ちになったのです?」
「あなたに似合う、首飾りを贈ろうと思いまして。店の者を呼んだほうが早いのか、直接行ったほうが早いのか、考えていたところです」
「は?」
最初から最後まで、ワケがわからない発言をしてくれる。
「なぜ、わたくしに首飾りを贈ろうと思いましたの?」
「以前会ったときに、失礼を働いたでしょう? その詫びに」
「なっ!」
カーッと、顔が熱くなっていくのを感じる。
「詫びの品など、必要ありませんわ。一言、謝るだけでよいのです」
さあ、謝れと、胸を張る。しかし、デュワリエ公爵は首を横に振って拒否した。
「あなたは泣くほど、衝撃を受けたのでしょう? 言葉だけで謝罪の気持ちを表すなど、到底難しいかと」
「いいえ、お言葉だけで、十分ですわ」
どうせ、デュワリエ公爵に首飾りを買ってもらっても、私の物にならない。それなのに、買ってもらうのは不毛だろう。
「その、似合わない首飾りを身に着けているのは、よくないかと」
「放っておいていただける? 別に、夜会に着けていったわけではないでしょう?」
本日の面会はあくまで私的なもの。公的な場所に着けていくつもりはまったくない。
きっと、自分の婚約者が、時代に合わない装身具を身に着けているのは気に食わないのだろう。だから、「買ってやる」と尊大な様子で言うのだ。
「気分が悪いです。本日は、帰らせていただきます」
そう宣言し、ドレスの裾を持って会釈する。あとは、回れ右をして帰るだけだ。
一歩踏み出した瞬間、暴風雪閣下は思いがけない行動に移す。
「待ってください」
私の腕を掴んだだけではなく、ぐっと腰を抱いて引き寄せた。
「きゃあ!」
普段は「うぎゃ!」とか「ぎゃあ!」とか、淑女としてどうなのかという濁声しか出ない。今日はアナベルになりきっているからか、きれいな悲鳴が口から飛び出てきた。
「な、何をなさいますの!?」
未婚の女性に触れるなど、あってはならないこと。たとえ、婚約者であってもだ。
抗議しようと思った次の瞬間、首回りにあった重さが、スッと引いていく。
「これは、あまりにも古すぎる」
顔を上げると、デュワリエ公爵がサファイアの首飾りを手にしていたのだ。
いつの間に、取り外したのか。見間違いかと思って首に触れたが、何もなかった。
今度は胸元辺りまで、熱を発しているような気がした。湯上がりのように、体が火照っている。怒りと羞恥心が、同時に襲いかかってきたのだ。
服を脱いだわけではないのに、首飾りを取られただけでこんなに恥ずかしいなんて。
装身具も服の一部なのだと、ヒシヒシ痛感してしまった。
「か、返してくださいませ!」
「新しい首飾りを買ったら、お返しします」
「いいえ、必要ありません」
先ほどから、拘束から逃れようとジタバタしているのに、ビクリとも動かない。
どうしてこのような状態になったのか。
視界の端にサファイアの首飾りがあったので取ろうとしたが、サッと避けられてしまう。そしてそのまま、デュワリエ公爵のズボンのポケットに入れられてしまった。あの辺りをまさぐるのは、いささか難しい。なんて場所に入れてくれたのか。
「行きましょう」
簡潔にそう言って、デュワリエ公爵は私を軽々と抱き上げる。
「は!?」
お姫様抱っこのような状態で、私は連れ去られてしまった。