第六話目だけれど、悪魔に囁かれてしまいます
一時間くらい、手紙を裏、表とひっくり返し続けていた。
宛名のアナベルも、差出人のデュワリエ公爵も、どちらも恐ろしい。むしろ、ふたりはお似合いなのでは? と思うくらいに。
ただ、こうもしていられないだろう。手紙は三日前に届いた。一刻も早く読み、返信しないと怒りの大暴風雪が巻き起こってしまうかもしれない。
「ヒイイイイイ……!」
悲鳴を上げながら、手紙を開封する。ガクブルと震えつつ、便せんを広げた。
宛名と差出人と同じく、便せんには美しい文字が書き綴られていた。
その内容は――。
「は!?」
思わず、我が目を疑う。
デュワリエ公爵は夜会の晩、私を泣かせてしまった件に対して、深く詫びるという丁寧な謝罪文を送ってきたようだ。
なぜ? という疑問が、次々と浮かんでくる。
手紙はそれだけではなかった。後日、会って直接謝りたいと。
「いやいやいやいや!! ないないないないありえない!!」
デュワリエ公爵の手紙の前で叫んでしまう。それほど、衝撃的な申し出だったのだ。
すぐさま棚からペンとインク、便せんを用意し、アナベル風の文字で書き綴る。
お手紙が大変嬉しかったこと。わざわざ謝罪していただき、申し訳なく感じたこと。それから、お忙しいだろうから、直接の謝罪は必要ないこと。
三十回くらい手紙を読み直し、失礼な点がないか確認する。
父の部屋に移動し、アメルン伯爵家の家紋印を借りた。手紙に蝋燭を垂らし、家紋を押し当てて封じる。執事に頼み、速達で出すようお願いしてきた。
これで夕方には、デュワリエ公爵のもとへ手紙が届くだろう。
安堵の息を吐きながら廊下を歩いていたら、鋭い声で呼び止められる。
「ちょっとミラベル!」
「アナベル!?」
なんと、帰ったかと思っていたアナベルが、まだ我が家にいたのだ。
「え、ど、どうしたの?」
「べ、別に、ベルトルトとちょっとお茶をしていただけよ」
「お兄様と? へ、へえ……」
ちょっとと言っていたが、あれから二時間半は経っているだろう。妹の私でさえ、兄と二時間も一緒にいられない。馬の話ばかりするので、退屈だからだ。
「お兄様と、なんの話をしていたの?」
「な、なんでもいいでしょう? それよりも、なんなの、この手紙は?」
アナベルが私の前にビシッと出したのは、先ほど執事に出すように頼んでおいた手紙だ。
「なんで、それをアナベルが持っているの?」
「念のために、内容に間違いがないか、確認したのよ」
「酷い! 封をした手紙を勝手に開けるなんて」
「酷くないわよ。分家の家紋なんかで送ったら、偽物だと思われるでしょう?」
「へ?」
アメルン伯爵家の家紋は、白孔雀が羽を広げたものである。本家と分家では、微妙に異なる模様になっているらしい。
「本家は羽根が十枚、分家は八枚しかないの」
「へー、そうなんだ」
「あなた、今まで知らなかったのね」
「まあ、はい」
アナベルが指摘してくれなかったら、分家の家紋で手紙を出してしまうところだった。
「問題は手紙だけではないのよ。中身よ、中身!」
「中身、というと?」
「とぼけないでちょうだい! 何が、直接の謝罪は不要です、よ。あなた、わたくしとの約束は忘れたの? デュワリエ公爵をメロメロにして、“エール”の胸飾りを受け取るのでしょう?」
「そ、そうだった!」
「一回でも多く会っておかないと、好きになってもらえないじゃない!」
デュワリエ公爵があまりにも恐ろしいばかりに、本来の目的を忘れていたのだ。
「でも、アナベル。デュワリエ公爵に好きになってもらうのなんて、絶対、死んでも無理よ」
「あら、どうして?」
「だって、デュワリエ公爵は、人間に興味はありません、みたいな冷徹な人なんだよ?」
「これから、あなたがあの手、この手を使って惚れさせるのでしょう?」
「ど、どうやって!?」
「それは、ご自分で考えなさいな」
「そんな!」
この契約は、あまりにも危険が高すぎる。もしもバレたりしたら、アメルン伯爵家は破滅の道を歩む結果となるだろう。
「アナベル、家が没落してもいいの?」
「それも、いいかもしれないわね」
「はあ!?」
没落してもいいなんて、信じられない。正気かと、問いかけたくなる。
「どうして、没落してもいいだなんて……?」
「だって、飽き飽きしているの。今の、慌ただしいばかりで不自由な生活に」
だからこそ、アナベルは暇な私に身代わりを頼むのだろう。
日向を歩くのも、大変だと言いたいのだろうか。私としては、羨ましい限りだが。
「いいわ。ミラベル。もうひとつ、“エール”のジュエリーを、付けてあげる。誕生日に、お父様がわたくしに買ってくれるって言っていたから」
「へ?」
「しかも、新作よ?」
「し、新作が、発表されたの?」
「あなたが引きこもっている間にね」
「う、嘘!」
「本当よ。ほら、これをごらんなさいな」
アナベルはデザイン画が描かれたリーフレットを差し出す。そこに描かれていたのは、“エール”で販売されている“エレガント・リリィ”シリーズの新作のデザイン画が、描かれていた。
「やだ。すごく……きれい! 新作って、“エレガント・リリィ”なのね! すごく久しぶりじゃない!」
現在、“エール”で販売されているのは、社交界に出る女性向けに作られた“ピュア・ローズ”シリーズと、社交界デビューから一、二年経った女性向けに作られた“エレガント・リリィ”シリーズがある。
“エレガント・リリィ”は、ここ最近新作が出ていなかったのだ。満を持しての、新作発表だったことだろう。
「発売は、一年後、か」
デザイン画が作られてから、試作品を作り、職人が量産体制に入る。一年でも、短いほうなのだろう。むしろ、こうしてデザイン画が発表されるほうが珍しい。
「ミラベル。あなたが、デュワリエ公爵をメロメロにできたら、この首飾りをあげるわ」
「デュワリエ公爵を、メロメロ、に?」
「ええ、できるでしょう? ミラベル、あなたならば」
アナベルの悪魔の誘惑に、私はあっさりコクンと頷く。
メロメロにする相手がデュワリエ公爵だなんて、“エール”の新作を前にしたら、すっかり忘れていたのだった。