第三十八話目だけれど、いろいろ酷い目に遭っています!
フライターク侯爵は私を問答無用で引きずる。
「い、痛い! 痛い~~!!」
「うるさい!! クソ、何を食ったら、こんなに重たくなるんだ!」
体重の三分の一くらいはドレスの重みだと信じたい。
引きずると余計に重たいと思ったのか、小麦袋を担ぐように持ち上げた。
「止めて! 嫌~~!! さっきの話は、聞かなかったことにするから!」
「信じられるか!!」
手足をばたつかせていたら、あろうことか私を地面に落としてくれた。
「きゃあっ!!」
お尻から落ちたが、それでも痛かった。毛虫のようにうごうご動き、過剰に痛がる。
「お、お前が暴れるから、悪いんだからな!!」
「痛い、痛い、痛い~~!!」
みっともなく「ひええええ~~!!」と叫ぶと、フライターク侯爵は一歩後ずさる。
完全に、私の痛がり方に引いていた。
これも、時間稼ぎである。こんなことをしていても、誰も助けにこないだろうけれど。時間が経てば、不審に思った家族が通報してくれただろうが。
誘拐から湖に投げるまで、あまりにも早すぎやしないか。
フライターク侯爵の身の上話は一時間くらいあった気がする。王都から湖までの移動時間は、眠っていたのでわからない。けれど、家から出発して一時間も経っていないだろう。
こんな急展開、物語の中でも読んだことがない。
「大人しくしろ! 湖に落とせないだろうが!」
「擦り傷が、冷たい水に沁みるから嫌!!」
「どうせ死ぬんだから、関係ないだろうが!!」
「酷い!! 他人事だと思って!!」
寒空の下、両手足縛られた状態で、精神年齢五歳児のフライターク侯爵とお話しするのはあまりにも辛い。
頑張っている間に、家族が私の帰りが遅いと通報してくれないものか。
しかし、一時間、二時間捜索したくらいでは、見つからないだろう。
湖に沈める計画は、せめて一晩くらい待っていてほしかった。
アナベルかどうかの本人確認も済んでいないのに、誘拐して二時間ちょっとで湖に沈めようとしてくれるなんて。
一生懸命抵抗しているところに、先ほどの男性二名が戻ってきた。
「フライターク侯爵、そいつ、偽もんです!!」
「アナベル・ド・モンテスパンは、アメルン伯爵家におりました!!」
「なんだと!? お前、騙しやがって!!」
フライターク侯爵は、親の敵を見るような目で私を見る。アナベルかミラベルか関係なく、湖に沈めるつもりだったくせに。
「おい、お前ら!! この娘を、湖に沈めろ!!」
さすが、フライターク侯爵だ。自分の手は汚したくないというわけなのだろう。
ただ雇われただけであろうおじさんふたり組は、殺人に加担することに躊躇っているようだった。
「報酬に金貨三十枚上乗せするから、早くしろ!!」
金貨三十枚に、おじさん達は目の色を変えた。すぐさま私のもとへ走り、手と足を持ち上げて湖のほうへと運んで行く。
「ちょっと何をするのよ!! 放しなさい!!」
金に目がくらんだおじさん達には、アナベルの威圧感のある声も通用しなかった。
まるで丸焼きにされる豚のように、えっさっさと運ばれてしまう。
手足のロープは、きつく縛られていて外れない。
おじさん達は私の体を前後に揺り動かし、より遠くに飛ばそうとしていた。
「よし、行くぞ!」
「せーのっ!」
私の体は、勢いよく湖へ投げ飛ばされる。
湖に着水するまでの間、走馬灯が思い浮かんだ。
最初にアナベルの恰好をしてお茶会に臨んだ日や、夜会に参加した日。華やかで、楽しくて、心が弾んだ。
けれど、アナベルの振りをする以上に、楽しいことがあったのだ。
“エール”で働いた一ヶ月間は、夢のようだった。もっと、働きたかった。
デュワリエ公爵の力にも、なりたかった。けれど、もう、私の人生はあっけなく終わろうとしている。
バシャーン!! と音を立てて、私の体が――沈まない。
なんと、この湖は底が浅いようだ。ちょうどお尻から落ちたので、湖に腰掛けるような体勢となる。
「お、おい! あそこは浅瀬じゃないか! もっと、深い場所に沈めてこい!」
「あ、いや……」
「そこまでは、できないなあ」
「クソ!!」
今度はフライターク侯爵が直々に手を下すようだ。湖の中へと入り、私のほうへと向かってくる。
「こ、来ないで!!」
「秘密を喋ってしまったんだ! 生かしておくわけにはいかない!」
「もう忘れたって言っているでしょう!?」
「信じられるか!!」
「信じて!!」
このまま、大人しくやられるわけにはいかない。湖に落ちたときに、靴が脱げていた。アナベルの靴だったので、微妙に大きかったのだろう。加えて、縄がわずかに緩んだのだろう。足を動かしていたら、ロープに隙間ができていた。ジタバタ動かすと、ロープから足が抜けた。
フライターク侯爵が最接近し、かがみ込んだ瞬間に勢いよく立ち上がって頭突きする。
「うわっ!!」
均衡を崩したフライターク侯爵は、湖の中へ転倒した。その隙に、陸に向かって走ろうとしたが、腕を掴まれて転倒してしまう。
「この、小娘が!!」
「誰が小娘よ!!」
水中なので、思うように動けない。ジタバタと暴れているつもりだったが、効果があるように思えなかった。
ついに、私は水の中に押し倒されてしまう。湖の底にあった岩に頭をぶつけ、一瞬意識が飛びそうになった。
痛みで、ハッとなる。
すぐさま起き上がろうとしたが、フライターク侯爵は私の上に馬乗りになって首を絞め始めた。
水中でもがくが、相手は成人男性だ。どうにかできる相手ではない。
苦しい、とっても苦しい。
こんなクズ野郎に、殺されてしまうなんて。
もう、ダメ……!
意識が途切れそうになった瞬間、体が軽くなる。同時に、腕を掴まれて引き上げられた。
「大丈夫ですか!?」
ぼんやりとした視界の中で、デュワリエ公爵の声だけがはっきり聞こえた。
助かった。そう思ったら、意識を手放してしまった。




