第三十七話目だけれど、謎の男とお話しします!
「あまり、賢くはないようだな。この俺を知らないとは」
意味ありげに言われても、面と向かって挨拶を交わさない限り、知りようがないだろう。 誰だかわかるか? という問いかけから、アナベルの知り合いでもないことは確かだ。 そんな状態で、自分は有名人だから知っているはずだと主張するのは、自惚れが強い。
ただ、生意気な態度は取らないほうがいいだろう。何をするか、わからないから。
「あなたは、誰?」
「フライタークといえば、わかるだろう?」
「あ、あなたが!?」
ずっと、話題の中だけに登場していたフライターク侯爵が、今目の前にいる。
フライターク侯爵は三十八歳だと聞いていた。目の前の彼も、それくらいに見える。
「な、なぜ、私をここに、連れてきたの?」
「交渉の材料にするためだ」
「こ、交渉?」
フライターク侯爵はしゃがみ込み、ゾッとするような冷たい笑みを浮かべつつ壮大な計画について話してくれた。
「デュワリエ公爵が、邪魔だからだ。お前の命と引き換えに、政治から手を引いてもらう」
「なっ!?」
なんて酷い計画を立ててくれたのか。
「こうなったのも、お前が悪い。早く俺の手を取れば、巻き込まれずに済んだものの」
アナベルが伯父と長期にわたる喧嘩をしてくれたおかげで、フライターク侯爵家との婚約話はまとまっていない。アナベルの強情の勝利だろう。
「アメルン伯爵は、国王陛下の覚えもよく、手駒にするに相応しい男だったのだがな」
ぎゅっと、唇を噛みしめる。伯父の野心が、この騒ぎの発端だろう。どう責任を取ってくれるのか。
「どこからかデュワリエ公爵も、婚約話の噂を聞きつけて、牽制してきたときには、笑いが止まらなかった。よほど、お前みたいなちっぽけな婚約者が大事であると。そのおかげで、この計画を思いついた」
フライターク侯爵は、なんというか自分に酔っているような性格なのだろう。聞いていないのに、勝手にペラペラと喋り始める。
「今から、デュワリエ公爵家に交渉に行ってくる。しばし、そこで待っておけ」
「待って!」
交渉なんてさせない。なぜならば、私は“アナベル・ド・モンテスパン”ではないから。
「今更引き留めても、無駄だ」
「違うの」
「違う?」
「私、アナベルじゃないわ」
「何を言っている? 間違いなく、アメルン伯爵家から連れてきた、アナベル・ド・モンテスパンだろうが」
「私は、アナベルの従妹なの。たまに、アナベルが忙しいときに、彼女の振りをしていたのよ」
「馬鹿な!! 嘘を言うな!!」
「嘘ではないわ。アメルン伯爵家に、調べに行ってみなさいな。今頃、アナベルはダンスのレッスンをしているはずよ。私はアメルン伯爵家の傍系の、ミラベル・ド・モンテスパンよ。両親がともに双子だから、そっくりなのよ」
フライターク侯爵は血相を変えて、私を誘拐させた男達を呼ぶ。
「今すぐ、アメルン伯爵家に行って、調べてこい!!」
「は、はっ!!」
「了解いたしました!!」
男達の乗った馬車が、遠ざかる音が聞こえる。フライターク侯爵は扉を乱暴に閉めた。
「お前、もしも、偽物だったときは――湖に沈めてやる!!」
そうなると、思っていた。
わかっていたが、私はデュワリエ公爵の足を引っ張るような存在になりたくなかったのだ。
冷たい冬の湖に放り込まれるなんて、ゾッとしてしまう。
水死体になって発見させるなんて、絶対に嫌だ。
「ああ、ムシャクシャする! いっそのこと、確認する前に、殺してやろうか!」
そう言って、フライターク侯爵は私の首元に手を伸ばす。
「わたくしに、触れないで!!」
凜と叫ぶと、ビクリと肩を震わせてフライターク侯爵が動きを止めた。
アナベルの他人を威圧させる声色を、真似てみたのだ。作戦は成功したようである。
フライターク侯爵はガタガタ震えながら、私を睨んだ。狂気が、瞳に見え隠れしているような気がした。
「お前も、俺を、馬鹿にしているのだな!?」
いったい何のことなのか。下手に、声をかけないほうがいいだろう。
「俺の母が身分のない女だから、下に見ているのだろう!!」
それから、ブツブツと独り言を呟くように自らの出生を語り始める。
どうやらフライターク侯爵は正妻の子ではなく、父親がメイドに手を出して生まれた子だったらしい。
最低最悪だが、フライターク侯爵の亡き父親はメイドの子を認知し、自分の息子として引き取ったようだ。
フライターク侯爵には、ふたりの兄がいたらしい。けれど現在、爵位を継承しているのは彼だ。いったい何があったのか。それすらも、喋り始める。
「毒を使って、少しずつ、少しずつ、衰弱させて殺したんだ。あいつらは、俺を、メイドの子だと、まるで汚いもののように扱っていたからな。これは、天罰なんだ」
驚いた。異母兄を、毒殺していたなんて。
「毒殺はいい。証拠が、見つかりにくいからな。事故死に見せさせるのは、難しかった。父の死も、長い間、ずっと殺人ではないかと疑われていたからな」
兄だけでなく、父親も手にかけていたなんて。
ふと、衰弱と聞いて気付く。
「もしかして、王太子にも、毒を!?」
「そうだ……奴も、俺を、馬鹿にするような目で、見た」
王太子の世話をする近侍に料理人、従僕やメイドに至るまで、買収して少しずつ毒を仕込ませたという。
「あと少量の毒で殺せるのに、デュワリエ公爵が、邪魔をしたんだ!!」
デュワリエ公爵は原因不明の病を、人為的な何かだと勘づいていたようだ。だが、証拠は見つからないようにしている。毒を仕込むように指示する者も、フライターク侯爵が雇った者だから。簡単に見つからないように、何重にも対策を採っていたのだ。
「はは……喋りすぎてしまったな」
フライターク侯爵は笑い交じりにそう言って、私の腕を掴んだ。
ズルズルと力任せに引きずりながら、恐ろしいことを口にする。
「湖に、捨てておこう」




