第三十三話目だけれど、お仕事って大変です
デュワリエ公爵の執務部屋を開くと、無人だったのでホッと息をはく。スケジュール通りに行動してくれるのは、地味に助かる。心臓にも優しい。
しかし、酷いものだ。昨日、きれいに掃除をしていたのに、部屋はぐちゃぐちゃだ。何か本を探していたのか。本棚の本が大量に引き抜かれ、不要だった本は床に積み上がっていた。床には、落としたインク壺がそのまま放置されている。中が空だったからよかったものの、入っていたら今頃床はどうなっていたのか。ゾッとしてしまう。
破られた紙も、「初雪か」と思うくらい床に散らばっていた。これも、別の紙に糊で貼り付けて、修繕作業をしないといけない。手作りのジグソーパズルだと思えば楽しめるのか。
相変わらず、カーテンが閉ざされていて薄暗い。
手早く掃除を済ませ、インクや紙を補充し、最後に空気の入れ換えをする。そして、素早く部屋を飛び出した。
会議は時間通り終わったようだ。すぐに、“イレブンジズ”のお茶とバターパンを用意しないといけない。
バターパンというのは、パンにバターを塗って砂糖をまぶしたものをオーブンで軽く焼いたもの。厨房では次々と焼かれ、雑用係が職人に紅茶とともに運んで行く。
ここでも、“エール”の従業員は平等であることに気付く。誰も彼も関係なく、同じお茶とお菓子を口にしているようだ。もちろん、デュワリエ公爵も例外ではないのだろう。
厨房はマリアさんという女性が、ひとりで回していた。お湯を沸かし、茶葉を用意して湯を注ぎ、しばし蒸らす。その間にオーブンの様子を見て、手が空いたらパンをカットしてバターを塗って砂糖をまぶしていた。非常に鮮やかな手つきで、“イレブンジズ”のティーセットを作っていく。
「あんたは、誰のを持って行くんだい?」
「工房長です」
「はいよ!」
用意したばかりの、茶器とバターパンが載ったお盆を手渡される。ずっしり重い一式を、デュワリエ公爵の執務部屋まで運ぶのだ。
「紅茶は飲み頃だから、三分以内に飲んでもらうんだよ」
「は、はい!」
果たして、猛獣は素直にお茶を飲んでくれるのか。
デュワリエ公爵の執務部屋の前にたどり着いた瞬間、しまったと後悔する。両手が塞がっているので、扉を叩けない。早くしないと、おいしい紅茶が飲み時を逃してしまうだろう。かと言って、お盆を床に置くわけにもいかない。
いったい、どうすればいいものか。そういえば、侍女はいつもティーワゴンを押して移動している。直接運んでくることはない。こういうとき、自分は何も知らないお嬢様だったのだなと落ち込んでしまう。
デュワリエ公爵に声をかけ、扉を開けてもらうことは絶対に許されない。こうなったらと、開き直る。足で蹴って扉を鳴らしてみた。
コンコンコンではなく、ガツンガツンガツンと、若干乱暴な音になってしまった。
部屋から、「なんですか?」と、不機嫌そうな声が返ってくる。
「イレブンジズのお時間でございます~」
返事はないが、「失礼します」と言って中に入らせてもらう。肘を使ってレバー式のドアノブを開く。握り玉式のドアノブではなくて、本当によかった。
扉がわずかに開いたので、肩で押して入った。一歩、足を踏み入れた瞬間、ゾクッと寒気がする。こちらを見ていないのに、出て行けと言わんばかりの圧力を感じてしまった。
さすが、“暴風雪閣下”である。次々と、担当が辞めるわけだ。
顔を見られないよう、俯きながら接近する。
頑張って掃除をした部屋は、辺り一面紙くずだらけになっていた。積雪一センチ、といったところである。よくもまあ、短時間でこれだけ部屋を汚せるものだ。ある意味、才能かもしれない。
執務机には、隙間なく本やらスケッチブックからが置かれていた。本はいったん出窓の床板に置いて、開いたスペースにお茶とバターパンを置こう。
ひとまず、出窓の床板にお盆を置き、本を回収した。
ティーカップにミルクを入れ、あとから紅茶を注ぐ。砂糖は好きな量を入れられるよう、角砂糖を添えておいた。
とてもよい茶葉を使っているのか、香りがすばらしい。きっと、最高においしいミルクティーだろう。
お茶をを持って行こうと机に戻ったら、空けておいたスペースに別の本が置かれていたのだ。
私のほうをまったく気にしていないので、わざとではないのだろう。けれど、腹が立つ。
本をどかし、茶器を置いた。お菓子も同様に、本と入れ替えるように置く。
お盆を回収し、一礼したのちに部屋を出た。ただお茶とお菓子を持って行っただけなのに、ぐったりと疲れてしまった。
ふと、気付く。出会ったばかりのデュワリエ公爵は、こんな感じだった。そんなに前ではないのに、酷く懐かしく思ってしまった。
一時間後、昼食に出かけて無人となった部屋に、茶器を回収に行く。驚いたことに、お茶もお菓子も、まったく手を付けてなかったのだ。がっくりとうな垂れてしまった。
ミルクティーなんか、私が飲みたいくらいだったのに。焼きたてのバターパンも、時間が経ってベトベトの塊と化していた。
休憩中、カナンさんに愚痴を零す。
「カナンさん、工房長ったら、お茶とお菓子に手を付けていなくて」
「集中しているんだろうね」
仕事が大事なのはわかるけれど、休んで自分の体を労らなくては疲れてしまうだろう。でないと、いつか無理が体調不良となって襲いかかってくるのだ。
「まーでも、わからなくもないかな。忙しいときや調子がいいときは、キリがいいところまで仕上げたいと思うし。それに、ここのお菓子って、食べにくいというか、なんというか」
「食べにくい? 普通においしそうでしたが」
「ああ、えっと、おいしいことはたしかなんだけれど、クリームや砂糖でベタベタしているから、食べたら手を洗わなければいけないんだよね。それって、結構時間をロスしてしまうから、集中が途切れてしまうんだよ」
「あ――ああ、なるほど!」
デュワリエ公爵も、もしかしたら同じことを思っている可能性がある。
食べやすいお菓子と、冷めてもおいしい飲み物を用意したらいいのだ。
 




