第三十二話目だけれど、誠意を示す決意をしました!
よろよろになりながら帰宅したら、またしてもアナベルが我が物顔で私の部屋にいた。
背後に控えるシビルだけは、申し訳なさそうにしている。
「おかえりなさい、ミラベル」
「アナベル、ただいま」
「疲れたでしょう? ここに座りなさいな」
アナベルは優雅に微笑みながら、自分の隣をぽんぽん叩いてくれた。
ここ私の部屋なのだけれど――とは言えずに、大人しく腰掛ける。
「初出勤は、どうだった?」
「あ……うん、すごかった、かな?」
「なんだか薄い反応ね。何かあったの?」
「ちょっと、信じられないことがありまして」
「何よ?」
大きな声では言えないので、アナベルの耳元でコソコソと囁く。
「なっ、デュワリエ公爵が“エール”の創始者にして、専属デザイナーですって!?」
「アナベル、声が大きい!」
「シビル以外の誰が話を聞いているっていうのよ。それであなた、デュワリエ公爵にバレてしまったの?」
「いや、それが、大丈夫だったんだけれど」
「どうして!? まさか、あなたのおざなりな演技力でかわしたの?」
「まさか!」
正体がバレなかったのは、“エール”の特殊な経営体制のおかげである。
「不思議な会社なの。従業員全員平等に扱うためか、女性はおさげに黒縁眼鏡、それからエプロンドレス姿。男性は作業着に眼鏡で統一されているの。家名を名乗るのは禁止で、家柄関係なく、能力のある人達が働いているみたい」
「そうだったのね」
おそらく、デュワリエ公爵自身が身分社会にうんざりしているのかもしれない。“エール”は見た目の個性や家柄などの特徴を隠し、能力のみで勝負する稀有な会社だろう。
「デュワリエ公爵は多忙で、週に一、二度しか出勤されないみたい。たぶん、バレないと思うのだけれど」
「だったら、いいけれど」
アナベルはそう呟いたあと、顎に手を添えて何やら考え込んでいる。
「アナベル、どうしたの?」
「そろそろ、白状したほうがいいかもしれないわね」
「白状って?」
「わたくし達の、入れ替わりをよ」
「ええっ、だ、大丈夫なの?」
「大丈夫ではないと思うわ。けれど、うっかりバレるような事態となれば、デュワリエ公爵は不快に思うはず」
「それは、そうだけれど」
いったいどのタイミングで告げるというのか。
上手く告げられたとしても、反応がまったく想像つかないので恐ろしい。
「わたくしが言うわ」
「ア、アナベルが!?」
「ええ。もともとは、わたくしが提案したことだし。後始末は、きちんと付けないと」
その言葉を聞いて、天使様、神様、アナベル様と拝んでしまう。
「次に、デュワリエ公爵に会うのはいつ?」
「一ヶ月後だけれど、どうして?」
議会のシーズンに入るので、忙しいようだ。その間に、伯父とも話をつけてくれるという。
「では一ヶ月後に、あなたはミラベル・ド・モンテスパンとしてデュワリエ公爵に会うのよ」
「わ、私も行くんだ!」
「当たり前じゃない。デュワリエ公爵との関係を、終わらせたいわけではないのでしょう?」
「そ、それは……!」
正直、ミラベルとして会うのは、恐ろしい。今まで、アナベルという強力な仮面を被っていたから、まともに対面できたわけで。
それに、デュワリエ公爵にとって、アナベル扮する私に興味があるのであって、ミラベル自身には興味なんてない可能性もある。
それがわかってしまうのは、恐ろしい。
「何を、躊躇っているというの?」
「いや、デュワリエ公爵はアナベルである私だから付き合いたいのであって、そうではない私には興味がないんじゃないかと思ったら、会うのが怖くなって。それに、嘘をついていた私を、許さない可能性だってあるし」
「そんなの、当たり前じゃない。デュワリエ公爵も人間だから、嘘をついていたら当然怒るわ。それを、謝りに行きましょうと言っているのよ」
「許してくれるのかな?」
「ミラベル。そういうのは、考えるべきではないのよ。やってしまった罪は、絶対に許されないの。大切なのは、行いを反省し、デュワリエ公爵へ誠意を見せること」
「誠意を見せる、か」
「こういうときは言い訳せずに、悪いことは悪いと反省して、誠心誠意謝るの。うじうじ後悔したり、自己嫌悪、保身について考えたりするより、まず謝罪するのよ」
「そっか、そうだよね。私、自分のことしか考えていなかった。なんだか恥ずかしい」
「生きるというのは、恥とのお付き合いなのよ。ミラベル、諦めなさい」
「う……はい」
アナベルのおかげで目が覚めた。
一ヶ月後、デュワリエ公爵と会って、身代わりについて謝罪をしなければ。
幸いにも、私はひとりではない。アナベルという、最強の共犯者がいる。
きっと、悪いようにはならないだろう。
◇◇◇
翌日も、元気に出勤した。今日の“エール”は慌ただしい。昨日の会議で、新商品のデザインが決まったからだそうだ。
デザイン画を一般公開し、予約を募るらしい。こんなにスピーディーに展開しているなんて、知らなかった。
昨日、カナンさんが見せてくれた百合の首飾りも、製品化が決まった。そのため、朝からバタバタしているようだ。
工房長ことデュワリエ公爵も出勤している。週に一、二度と聞いていたので、今日はいないと思っていたが……。
一ヶ月後を思うと、胃がしくしく痛んでいるような気がする。そのたびに、アナベルがいるから大丈夫だと、自らに言い聞かせていた。
雑用係を取り締まるお頭が、キビキビと指示を飛ばす。最後に、私にも仕事が命じられた。
「ミラ、あなたは今日、工房長のお食事及び飲み物係もするように」
普段、食べ物や飲み物を用意するのは、秘書官の仕事だったらしい。しかし、今日はお休みのようだ。そのため、私に仕事が回ってきたというわけである。
一日のスケジュールが手渡される。紅茶休憩は、一日に五回も取るようだ。
お昼前に飲む紅茶は“イレブンジズ”と呼ばれ、ボリュームたっぷりのバターサンドと一緒に飲むらしい。昼食と一緒に飲むのは“ランチティー”と呼ばれ、たいてい軽食と一緒にミルクティーを飲むようだ。お昼過ぎの短い休憩には、“ミッディ・ティーブレイク”という、軽いお茶の時間がある。午後のおやつとともに飲む紅茶は、おなじみの“アフタヌーンティー”。 夕方に軽食と共に飲む紅茶を“ファイブオクロック”と呼ぶ。
以上、一日五回あるお茶の時間である。
これらのお茶飲み文化は、異国から伝わったものらしい。かの紅茶大好き民族は、朝から夜まで計七回以上もお茶の時間があるようだ。
なんていうか、そんな優雅な暮らしをしたいものである。
まずはデュワリエ公爵が会議をしている間に、掃除をしてしまわなければ。一分でも部屋にいたら、散らかってしまうようなので。
腕まくりをして「いざゆかん!」と気合いを入れていたら、お頭に呼び止められる。
「ミラ、ちょっといい?」
「はい?」
四十代くらいの貫禄あるお頭は、片方の眉を器用に上げながら注意を促す。
「集中しているときの工房長は極めて辛辣なので、何か言われても落ち込まないように。過剰に反応しない限り、首切りされることはないので」
「は、はあ」
なんだか、猛獣舎の掃除を、「檻に猛獣がいるけれど頑張れ」と言われているような気分になった。




