第二十九話目だけれど、アナベルからご褒美をいただきました!
アナベルが恋い焦がれる相手は、王太子だって!?
「えっ、いや、どこで、王太子様とお会いしたの?」
王太子はデュワリエ公爵以上に社交場に顔を出さない、稀少王族だ。その理由は、病弱だからなのだろう。
なんでもアナベルは、兄に乗馬を習っていたらしい。そんな中で、王太子がピクニックを主催する。兄はお馬さん係として同伴していたのだが、アナベルも同行したのが出会いのきっかけだったらしい。
「三年前の話かしら。それがきっかけで、わたくしと王太子様は、文通を始めたの」
アナベルと王太子は文通を続けていたようだがピクニック以来、顔を合わせることは一度もなかったようだ。
「ちょうど、一年前くらいから、王太子様の具合が悪くなられて」
「そうだったわね」
社交界デビューをしても、アナベルは王太子に会えなかった、というわけだ。
ふたりの文通の運び手は、兄ベルノルトだったらしい。我が家に遊びに来ていたときも、王太子の話で盛り上がっているようだ。
「てっきり、アナベルはお兄様が好きなのだと勘違いしていたわ」
「違うわよ。ベルノルトは、わたくしのお兄様でもあるのよ。それに、彼にも恋人がいるわ」
「え、そうなの!?」
まさか兄に、恋人がいるなんて。早く両親に紹介すればいいのに。
「いろいろあるのよ。紹介してくれるのを、ゆっくり待っていなさい」
「そうね」
王太子には決まった婚約者はいない。現在は、布団から起き上がれないほど、病状が悪化しているようだ。
結婚話が浮上しても、面会もままならないという。
「手紙も、今はベルノルトが代筆している状態なの」
「そう、だったのね」
ペンすら持てないほど衰弱しているらしい。思っていた以上に、王太子の病状は深刻なようだ。このままだったら、王位を継承するのは本当に第二王子になってしまう。
「難しい問題ね」
「ええ」
王太子の病気は、医者にも判断がつかないという。
「子どものときは健康で、お元気だったようだけれど」
「いったい、なんの病気なのかしら?」
「国中の医者を集めて、診断させているようだけれど」
王太子が病魔に蝕まれているので、伯父はメラメラと野心を燃やしているのだろう。
「ごめんなさい、ミラベル。この話は、止めましょう」
「そ、そうね」
デュワリエ公爵との婚約話に話題を戻す。
「デュワリエ公爵は、伯父様と一度話をするとおっしゃっていたわ。フライターク侯爵家と婚約することの危うさは、彼も気付いているようなの」
「そう、だったのね」
「ええ。悪いようにならないよう、働きかけると」
「わかったわ。もしも、デュワリエ公爵の結婚が継続となったら――」
アナベルはデュワリエ公爵と結婚する。それが、最善の道だろう。
胸がズキンと痛んだが、仕方がない。
アナベルだって、大好きな王太子と結婚できるわけではないから。
初恋とは、実らないものなのだろう。
「ミラベル、いろいろとありがとう。あなたのおかげで、アメルン伯爵家は凋落を回避できそうだわ」
「まだ、わからないけれど。そうならないことを、祈っているわ」
アナベルは口元に扇をあて、目元をスッと細める。珍しく微笑んでいると思っていたら、ある封筒を差し出した。
「これは、ほんのお礼よ」
「え、何?」
手に取った封筒には、“エール”の紋章が印刷されていた。
宛名には、“ミラベル・ド・モンテスパン”と書かれている。
「これ、なんなの!?」
「“エール”の工房の、雑用係の採用通知よ」
「なっ!?」
アナベルの言葉に、耳を疑う。まさか、そんなものに応募していたなんて。
「あなたがいつも話している“エール”への気持ちを、書き綴ったの。そうしたら、採用が決まったみたい」
「え……う、嘘、でしょう?」
「本当よ。すぐにでも、来てほしいそうよ」
「あ、ありがとう。アナベル。本当に、ありがとう」
喜びが、こみ上げてくる。
修道院に行かなくていいのであれば、何が仕事を探して“エール”の装身具を手にしたいと思っていた。
“エール”の工房で働けるなんて、夢のようだ。
「こんなことしかできなくて、ごめんなさいね」
「ううん、最高の、贈り物よ!」
「だったら、よかったわ」
恋は叶わなかったけれど、私には“エール”がある。
“エール”に関わる職人の傍で仕事ができるなんて、最高だろう。
さっそくお礼状を出し、来週から“エール”で働くこととなった。
◇◇◇
あっという間に、“エール”へ初出勤する日を迎えた。
なかなか厳しい規律があるようで、工房に行く前に呼び出されてさまざまな社訓を指導された。
なんでも、“エール”で働いていることは、家族以外に言ってはいけないらしい。さらに、社内で交わされた会話の内容も、一言たりとも漏らしてはいけないと。
せっかく“エール”に採用されたのに、フロランスに話すことも許されないようだ。
残念だけれど、黙っておくしかない。
他にも、家名は名乗らず、名前も愛称でいい、という決まりがあるようだ。
“エール”には、身分関係なく、多くの人が働いている。そのため、生まれや育ちによって相手を評価しないよう、名乗らないようにしているようだ。
私は、“ミラ”と名乗ることに決めた。
制服も支給された。メイドが着ているような、エプロンドレスである。
髪型も、女性は三つ編みのおさげに眼鏡と決まっているらしい。
眼鏡は、宝石の加工中の粉塵が目に入らないようにするためなのだとか。
指定通りの恰好をすると、驚くほど地味だ。化粧も禁じられているため、ますます地味に拍車がかかっている。
でもまあ、最近アナベル役をするために濃い化粧を続けていた。肌のためにも、すっぴんでいるのはいいことなのかもしれない。
憧れの“エール”に足を踏み入れると、私と同じ髪型や恰好をした人達が迎えてくれる。今日から入社する新人だと言うと、「ああ、君が!」と返された。
皆同じ恰好なので、見分けが付いていなかったのだろう。
本社は、王都の下町にポツンと建っている。貴族御用達のブランドなのに、建物自体は非常に古く、質素だ。なんというか、不思議な会社だ。
背の高いおさげに眼鏡をかけた先輩が、業務について説明してくれる。
「雑用は、ほぼ掃除だね。工房長の周囲は特に汚いから、こまめに掃除をしてやってくれ」
「はい」
工房長を紹介してくれるという。
なんでも、“エール”の装身具のデザインのすべては、工房長がすべて引き受けているらしい。
最後にこっそりと、耳打ちされる。
「工房長はちょっとこだわりが強いというか、変わり者というか。キツイ言動をすることがあって、なかなか人が続かないんだ」
「は、はあ」
「よろしくね」
よろしくと言われても、人付き合いに関してはあまり自信がない。けれど、頑張るしかないのだろう。
「工房長、新人さんを連れてきました」
工房長室とは思えない、小さな部屋に“エール”の創始者であり、デザイナーである男性がいた。
昼間なのにカーテンは閉ざされ、部屋の中は薄暗い。
執務机に置かれた灯りが、工房長を照らす。意外や意外。“エール”の工房長は、とても若かった。
銀髪にアイスブルーの瞳を持つ、見目麗しい男性である。年頃は二十歳過ぎくらいか。社交界で話題を独占しそうな美貌だろう。
私のよく知る人に、けっこう似ていた。
いや、似ているどころではない。
「――ッ!?」
大きな声をあげそうになったが、なんとか飲み込む。
“エール”の工房長はなんと、デュワリエ公爵だった。




