第二十六話目だけれど、デュワリエ公爵家で一夜を明かしてしまいました!
「う、嘘でしょう……?」
デュワリエ公爵の寝顔を見て、思わず呟いてしまう。
寝顔があまりにも、美しかったから。一瞬、精巧に作られた人形かと思ったが、スースーという小さな寝息が聞こえた。確かに、目の前の男性は呼吸をしていた。造り物ではない。
目を閉じていると、少しだけ年若く見えるような気がする。
フロランスの五つ年上だと聞いていた。ということは、今は二十二歳か。落ち着いているので、二十代後半くらいかと思っていたが、案外若い。
こうして寝顔だけ見ていると、きちんと二十二歳の青年に見えるから不思議だ。
それにしても、驚くべきはきめ細かな肌だろう。どうしてこう、ツルツルピカピカなのか。顎や口回りを見ても、目立つ髭は生えていない。本当に男なのかと、疑ってしまう。
父なんか、毎日剃っても朝は濃い髭が生えてくると話していた。兄も、朝の起き抜けの状態は人に見せられないと言っていたような。
おそらく、人類にはこういう不思議人間がごく少数ではあるものの存在するのだろう。実に、羨ましい。
と、デュワリエ公爵の寝顔に見とれている場合ではなかった。
なぜ、私達は一緒の寝台で、仲良く眠っていたのか。
お酒を飲んでいたせいで、記憶があやふやだ。
もしかして、無理矢理連れて来られて、襲われたのか――と思ったのは一瞬である。
私の服装は、着の身着のまま。コルセットも、ギュウギュウに締め付けられたままである。よく、この状態で眠れたものだ。
それに、頭痛以外で体に違和感はない。
おそらく、私は部屋に連れ込まれて、そのまま爆睡していたのだろう。
一方で、デュワリエ公爵も着の身着のままだ。昨晩とまったく同じ服装で、眠っている。
私達の間には、同じ寝台で眠った以外、何も起きていない。断言できる。
わからないのは、なぜ、私がここにいるのか。
推測だが、ここはデュワリエ公爵家だろう。
昨晩は酔い潰れて、眠ってしまったのだろうか。家は知っているのだから、アメルン伯爵家に連れ帰ってくれたらよかったのに。いったいどうして、私を連れ帰ったのか。
詳しい事情を聞きたかったが、デュワリエ公爵は起きる気配などない。
どうすればいいのか頭を抱えていたら、コンコンコンと扉を叩く音が聞こえた。
「旦那様、おはようございます」
女性の声だったので、走って扉を開いた。廊下にいたのは、四十代くらいの貫禄がある使用人であった。ドレスにエプロンをかけているので、侍女だろう。
「あの、すみません、私――」
「お風呂の用意が、できております」
それだけ言って、デュワリエ公爵家の侍女は踵を返す。付いて来いということなのか。
昨晩、化粧も落とさずに眠ってしまった。頬に触れると、肌が乾燥しカピカピになっていて悲鳴を上げそうになった。
ドレスも皺だらけだし、髪もぐちゃぐちゃだ。一刻も早く、お風呂に入りたい。
お言葉に甘えて、侍女のあとを付いていくことにした。
デュワリエ公爵家のお風呂は、床も壁も浴槽も白い大理石で、大変美しかった。
入った瞬間、薔薇の芳香に包まれる。浴槽に、薔薇の花びらが浮かんでいた。
驚いたのはそれだけではなかった。何人もの侍女が入ってきて、私の体を問答無用で洗い始める。
大丈夫だと訴えても、聞く耳を持たなかった。先ほどの貫禄のある侍女が、きびきびと指示を飛ばしてくれるのだ。
おかげで、全身ピカピカになった。
「ドレスは、大奥様のお品です。少々型は古いですが、物はいいので」
「え、いや、あの」
大奥様というのは、デュワリエ公爵の母親だろう。大切なドレスに袖を通していいわけがない。着ていたドレスでいいと言ったが、無視された。
金糸雀色の、美しいドレスである。たしかに型は古いが着心地はよく、レースやリボンはとても丁寧に作られていた。
髪は丁寧に巻いて、ハーフアップに整えてくれる。
化粧は自分でしたいと主張したのに、聞いてはくれなかった。
頬の傷は、ほとんど目立っていない。痛みもないので、ホッと胸をなで下ろす。
数名の侍女に囲まれ、パタパタと化粧が施される。
ハラハラドキドキしていたが、いつものアナベルの顔に仕上がったのでホッとした。
傷も、化粧で隠してくれたようだ。
「旦那様とお食事になさいますか? それとも、フロランスお嬢様とお茶になさいますか?」
究極の選択である。第三の、“家に帰る”という選択はないようだ。
普段であれば、フロランスを選ぶだろう。けれど、今はアナベルの姿だ。なるべく、会わないようにしたい。
そんなわけなので、デュワリエ公爵と食事を選択するしかないようだ。
「では、こちらへ」
お風呂場から、食堂へ移動する。
デュワリエ公爵家は相変わらず、立派だ。廊下なんか、アメルン伯爵家の二頭立ての馬車が走れるくらい幅がある。
壁には歴代当主の肖像画があった。皆、顔が非常に整っている。美貌の一族なのだろう。
と、ぼんやり歩いている間に、食堂に到着してしまった。
気まずい思いで、開かれた扉に一歩足を踏み入れた。
「おはようございます」
デュワリエ公爵が、ごくごく自然に挨拶してきた。
外の明るさから推測するに、すでにお昼前だろう。おはようと言える時間帯ではない。
しかし、返す言葉が見つからないので、「おはようございます」としか返せなかった。
椅子の前で待つ侍女が「早く来ないか」という圧のある視線を向けていた。大人しく、従う他ない。
食卓にあるカップに、アツアツの紅茶が注がれる。
「お砂糖やミルクは?」
「いいです」
動揺しまくりで、アナベルの真似なんてとてもできない。デュワリエ公爵が紅茶に口を付けたのを確認して、私も飲ませていただく。
昨日、しこたまお酒を飲んだからか、酷く喉が渇いていた。お風呂に上がったあとにもお水を沢山飲んだが、それでも私の喉の渇きは癒えていなかったようだ。
「昨晩は、よく、眠れましたか?」
「――ッ!!」
その問いかけに、危うく紅茶を噴き出しそうになった。なんとか飲み込み、なるべく優雅に見えるように茶器を置いた。
「あ――えっと」
周囲には、侍女と執事らしき老齢の男性がいる。他にも、給仕係がいた。
彼らを気にしているのが、バレたのだろう。デュワリエ公爵は人払いをしてくれた。
「デュワリエ公爵、すみません、でした。昨晩の記憶が、あまり、なくて」
「そうでしょうね。昨晩のあなたは、酷い酔い方でしたから」
恥ずかしくて、デュワリエ公爵の顔を見ることができない。
「あの、私は、どうしてここに?」
「それすら、覚えていないのですね」
「すみません」
デュワリエ公爵はため息をつき、昨日の痴態を教えてくれた。
「あなたが、婚約破棄をしなければ離さないと言って、私の服の袖を握りしめていたのですよ」
火事場の馬鹿力だったのか。大の大人が解こうとしても、手は離さなかったらしい。
結局、アメルン伯爵家に連絡を入れ、私を連れ帰ったのだとか。
昨晩は入れ替わっていたので、私の振りをしていたアナベルは私の家に行っただろう。きっと、入れ違いにはなっていないはず。
意識を失っても手を離さなかったので、仲良く一緒に眠ることになったようだ。
それにしても、そんな大胆な作戦に出ていたなんて。我がことながら、大変恐ろしい。
「面白かったですよ」
「へ?」
「昨晩のあなたは、いろんな話を、聞かせてくださいました」
「あ、私が、ですか?」
「ええ。あなたの従姉にいやらしい視線を向ける男性のポケットに、トカゲを入れた話とか、服を入れ替えて大人を騙した話とか、いろいろです」
脳内にいる冷静ではない私が、頭を抱えて悲鳴をあげる。
なぜ、酔っ払ってアナベルとの話をしていたのか。ゾッとしてしまう。
一点、非常に気になる点がある。恐る恐る、質問してみた。
「ちなみに、従姉の名前を、言っていました?」
「いいえ、ただ、“従姉”、としか」
「そうですか」
胸を押さえ、安堵する。
一方で、デュワリエ公爵は、鋭い視線で私を見ていた。
「やはり、演技だったのですね」
口から、心臓が飛び出そうなほど驚く。ついに、気付かれてしまったのか。




