第二話目だけれど、さっそく大ピンチ
私が事前に立てた作戦はこうだ。
きっと、デュワリエ公爵はさまざまな女性から好意を向けられ、一方的に慕われている。
そんな中で、高圧的な態度に出る女が現れてしまった。すると、「他の女と違う!」と印象に残り、気になって仕方がなくなる。朝も夜も昼も、考えてしまうはずだ。
奇抜な行動の数々で彼を翻弄し、夢中にさせる。
それが、参考書である人気恋愛小説を読んで考えた作戦であった。
こういう、何もかも手にしているタイプの男性は、“享楽”に飢えているのだ。
恋は娯楽である。楽しませた者が、勝者となるのだ。
一回目の邂逅の目的は、デュワリエ公爵が私に対して、「お前、おもしれー女」と思わせること。
もちろん、アナベルという高級素材を最大限に活かし、印象づけるところがポイントだ。
アナベル様語録から面白い言葉を厳選して発言してみたが、睨まれるだけの結果となった。
“わたくしの美しさに、言葉を失っているのかしら?”なんて、現実世界に生きていて滅多に聞ける言葉ではないだろう。改めて、「アナベルってとんでもない生き物だ」と思ってしまった。私が彼女と遺伝子レベルでほぼ同じであるとは、とても信じられない。
それにしても、あまりにも対峙する時間が長すぎる。
内心、冷や汗たらたらだ。心の平常を取り戻すため、胸を飾っている“エール”のペンダントを触りまくる。これは、アナベルに借りた物だ。代理婚約者を演じている時は、彼女の所有するアクセサリーは使い放題なのである。
いつまで経っても、デュワリエ公爵は反応を示そうとしない。
このままでは、暴風雪公爵が巻き起こす風で体調を悪くしてしまうだろう。せっかく楽しい社交期に、風邪なんか引いていられない。
アナベル様語録の中から、今の状況にぴったりな言葉を抜粋し、そのままデュワリエ公爵へ言い放つ。
「わたくしを見つめていたい気持ちはわかるけれど、そろそろ何かしゃべってちょうだいな。それとも、“婚約者”である、私の顔を忘れたの?」
「ここではなく、部屋へ、いらしてください」
意外にも、デュワリエ公爵は丁寧な言葉を返す。ただし、暴風雪をピュウピュウと吹き荒らしながら。
個室で話そうというのか。ただ、婚約者同士といえど、未婚の男女である。部屋にふたりきりにはなれない。私は背後を振り返る。
「シビル、付いてきなさい」
「は、はい」
シビルは私とアナベルの間にある契約を知る、唯一の人物だ。男爵家の娘で、普段はアナベルの侍女を務めている。
奇しくも彼女と意気投合し、親しくさせてもらっているのだ。
デュワリエ公爵はずんずんと前を歩いて行く。小走りしなければ、置いて行かれるだろう。こういうとき、アナベルだったらどうするのか。答えはひとつしかない。
「デュワリエ公爵! お待ちになって」
デュワリエ公爵は私の言葉に従ってピタリと止まった。振り返った背後には、やはり、暴風雪が吹き荒れている。
あまりの恐ろしさに悲鳴を上げそうになったが、今、私はアナベル・ド・モンテスパンを演じている。
アナベルだったら、恐ろしく思わないはずだ。
またしても、アナベル様語録から言葉を探し、高圧的に話しかける。
「自分の歩幅と、女性の歩幅が同じではないと、ご存じではないようね。頭の中に唯一存在しているミジンコに、報告しておいてちょうだい。あなたが一歩進む間に、あたくしは五歩歩いていると」
私とデュワリエ公爵の中に、ヒュウと震え上がるような冷え込む風が通り過ぎる。
歴史に残るアナベルのミジンコ発言の引用はやりすぎだったか。ドレスの中は、汗だくだった。背後にいるシビルの、「ヒッ!」という声も聞こえた。
終わった――心の中で、頭を抱え込む。
首から提げた“エール”のペンダントを、触りまくった。しかし、心に平穏は訪れない。
きっと、デュワリエ公爵は部下に目配せするだけで、私を断頭台に送れるのだろう。
首を切り落としたあと、埋めるときはどうか“エール”のペンダントも一緒にしてほしい。きっと、安らかに眠れるだろうから。
「失礼」
デュワリエ公爵は短くそう言って、ゆっくりゆっくりと歩き始めた。
私は、シビルを振り返る。彼女は手をヒラヒラと水平に動かしていた。大丈夫だった、と言いたいのか。
今度は距離を離されないよう、速歩で進んでいく。
重たいドレスを引きずりながらなので、非常にしんどい。けれど、湖の中の白鳥は、水の中のバタ足を絶対に見せない。
ドレスで優雅に歩くとは、そういうことなのだ。
ようやく、デュワリエ公爵の言う部屋とやらに到着した。夜会の参加者のために用意された、貴賓室である。
「こちらへ」
デュワリエ公爵に誘われ、シビルと共に中へと入った。
すぐに、デュワリエ公爵の手によって扉が閉められる。バタンと、大きな音が鳴った気がした。それは、牢獄の扉が閉ざされた音のように感じる。
いや、牢獄の中に入った経験はないのだが。
デュワリエ公爵は私に長椅子を勧め、自らも座る。そのタイミングで、お茶が運ばれてきた。いつの間に、手配したのだろうか。
紅茶が注がれたカップから、湯気がふわふわと漂う。
一瞬、これは夢なのかと思ったが――目の前の暴風雪を見て、目が覚める。間違いなく、現実だ。
実感した直後、冷水を浴びせられるような一言に襲われることとなった。
「このあと、陛下と面会の予定があるのですが、何用ですか?」
彼は、理由があって急いでいたのだ。それを、知らずに尊大な様子で引き留めた。
終わったと思う。もちろん、私の人生が、だ。