第十四話目だけれど、アナベル様に口では勝てません!
アナベルを前に戦々恐々としている場合ではない。きちんと、自分の考えを伝えなければ。
「あのね、アナベル。もう、止めない?」
「何を止めるというの?」
「デュワリエ公爵を騙して、婚約破棄することを」
「なぜ?」
「良心が痛むから」
私は必死になって訴えた。デュワリエ公爵は五年前に両親を亡くし、病弱な妹さんと共に毎日喪に服しているように暮らしていると。
アナベルと会った日については、以前見かけたときとあまりにも印象が違ったので、戸惑っていたことも伝える。
「以前見かけたときって、いつの話?」
「私が社交界デビューをした日みたい」
デュワリエ公爵は当時見かけた私を、アナベルと勘違いしていたのだ。
「どうして、わたくしとあなたを見間違えるのよ」
「たぶん、社交界デビューのとき、アナベルを意識した化粧をしていたからだと」
侍女が張り切って、アナベルを真似た化粧をしてくれたのだ。顔は似ていても発する雰囲気が違うから、アナベルに似ていると言われたり勘違いされたりすることはなかったが。
「ねえ、お願い、アナベル。デュワリエ公爵は気の毒な人なの。それに、アナベルを無視したのだって、悪気があったわけではないのよ。だから、許してあげて」
手と手を合わせ、神に祈るように、アナベルに訴える。
瞑っていた目を開いたら、片方の眉毛をピンとつり上げていたアナベルと目が合った。
あの表情は、私の意見を聞いてくれるものではないだろう。暴君アナベル様が簡単に、「はいそうですか」と納得してくれるわけがなかったのだ。
「えっと、デュワリエ公爵は見た目通り冷たいだけの人ではないし、案外、話も合うかも?」
「それが、どうしたの?」
「あ、いや、このまま、アナベルがデュワリエ公爵と結婚するのも、ひとつの手かなと、思いまして」
「冗談じゃないわ! イヤよ! わたくし、お慕いしている人がいると、伝えていたでしょう?」
「そ、そうだったね。その、ごめんなさい」
けれど、いくら天下無敵のアナベル様が想いを寄せていても、父親がどう思うかが問題である。貴族の結婚は、利害が一致しないとまとまらないのだ。
「ちなみに、アナベルの好きな人って、誰?」
「あなたなんかに、言うわけがないでしょう?」
「デ、デスヨネー……」
アナベルが好意を寄せるくらいだ。きっと海のように懐が深くて、温厚で、気が長く、心優しい人物なのだろう。そんな人物が本当に実在するのであれば、一度会ってみたい。
「あなた、“エール”の首飾りは、必要ないの?」
「ほしい!! ほしいけれど、デュワリエ公爵のお家の事情を知ってしまったら、騙すことなんてとてもできない。ねえアナベル。あなたは兄妹がいないからわからないだろうけれど、もしもお兄様が病弱だったら、家族である私も気の毒に思って、酷い言葉はかけないでしょう?」
「それは、そうね」
兄を出した途端、急に物わかりがよくなった。
暴君アナベル様も、ぼんやりしている兄には譲歩した態度を見せる。叶えられないような我が儘も言わない。
「わかったわ。デュワリエ公爵の気を引いたあと、婚約破棄をする復讐は、止める」
「アナベル!」
思わず、飛び上がって喜んでしまう。そのまま、アナベルに抱きついて頬にキスをした。
「ありがとう、アナベル。大好きよ」
「いいから、離れてちょうだい。子ども同士のスキンシップではないのだから」
「ごめんなさい。嬉しくって」
もう、暴風雪閣下の冷たい視線にさらされずとも、よくなったのだ。“エール”の首飾りが手に入らないのは、正直に言ったら惜しい。けれど、誰かを騙して手に入れても、複雑な気持ちになるだろう。
「よかった。本当に、よかった」
「でもミラベル、婚約のお断りは、あなたがしてちょうだい」
「え?」
「デュワリエ公爵に、結婚はできないと、申し入れるの」
「な、なんで?」
「状況が急に変わったのよ」
「ど、どういうこと?」
「お父様ったら、信じられないの!!」
「いったい何があったの?」
「別の人と結婚させようと、目論んでいたのよ!!」
「別の人って?」
「わたくしと親子ほど歳が離れている、おじさまよ!!」
「うわあ……」
アナベルと伯父は現在、喧嘩中らしい。そのため、ずっと口を利いていないのだとか。
「絶対に、デュワリエ公爵の心情を悪くしてしまうわ。あの人を敵に回したら、アメルン伯爵家なんてあっという間に没落させられるわよ。ミラベルのほうから婚約破棄を申し出て、さらに、デュワリエ公爵から父へ連絡させるようにお願いしてきてくれる?」
「え、無理だよ、無理無理無理! 絶対無理!」
「どうして?」
「怖いもん」
アナベルは知らないのだろう。全力で冷え切った、暴風雪閣下の眼差しを。
「でも、デュワリエ公爵のほうも悪い話ではないはずよ?」
「ど、どうして?」
「自分が断ったていで、婚約破棄ができるから。格下の伯爵家から、婚約破棄の申し出があったなんて、自尊心が許さないはず」
「あ、そっか。そうかも」
デュワリエ公爵のほうから婚約を破棄する条件であれば、受け入れてくれるだろう。アメルン伯爵家は歴史の長い名家だが、多くの財産を有しているわけではない。結婚しても、デュワリエ公爵家にとっての旨味は少ないはず。
しかし、しかしだ。婚約破棄を申し出たら、どんな怖い顔をするのか。想像しただけで、全身に寒気を感じ、鳥肌が立ってくる。
そんな私に、アナベルは新たな報酬を提示した。
「婚約破棄を成功させたら、“エール”の首飾りをあげるわ。どう?」
「謹んで、お受けします!!」
自分でも驚くほど、即答だった。




