第十三話目だけれど、公爵様に勝てる気がまったくしません!
密着した瞬間、柑橘系の爽やかで甘い香りがスッと鼻孔をかすめる。だが、すぐにハッとなって文句を言おうとした。
その瞬間、目の前を小型の馬車が高速で通り過ぎた。
「ひ、ひええええ!!」
思わず、情けない声で叫んでしまう。完全に素になってしまったが、仕方がないだろう。デュワリエ公爵が私を助けなかったら、今頃馬車に撥ねられていただろうから。
「アナベル嬢、急に飛び出していったら、危ないですよ」
「ご、ごめんなさい」
「普段は静かな通りなのですが、今は社交期で、さまざまな者達が行き来しているので」
「は、はあ」
馬車は去り、通りに平穏が戻ってくる。それなのに、デュワリエ公爵は私を抱きしめたまま、解放しない。
「ちょっと、デュワリエ公爵、もう大丈夫ですので、離していただけます?」
「また、馬車に突っ込んでいったら危ないので、捕まえておこうかと」
「わたくしはイノシシではないので、心配無用よ!」
「イノシシのほうが、まだ言うことを聞きます」
「な、なんですって!?」
ジタバタと暴れたが、解放してもらえず。それどころか、抱きかかえられてしまった。
「なっ!?」
そのまま、やってきたデュワリエ公爵家の馬車に乗せられてしまう。これでは、来たときと一緒である。
シビルが申し訳なさそうな顔で乗り込むと、馬車は動き始めた。
「アメルン伯爵邸まで、送ります」
「ドウモ、アリガトウ、ゴザイマシタ」
心がこもっていなかったからか、棒読みになってしまった。すると、あろうことか、デュワリエ公爵は私を見ながら笑い始めたのだ。
「あなたは、面白い人、ですね」
ぐっ! と、奥歯を噛みしめる。当初の目的であった「お前、おもしれー女だな」作戦は成功した。
しかし、私はデュワリエ公爵を笑わせようとしたわけではない。真剣に怒り、逃げようとしていただけである。それを笑われるだなんて、屈辱だ。笑うならば、私のとっておきのネタを見て、笑ってほしいのに。
最初から、こちらの思い通りにできるような人物ではないのだ。メロメロ作戦を実行する私とアナベルが、浅慮だったのだろう。
もう、辞めたい。そんな思いが、荒波のように押し寄せる。なんだか、嫌な予感がするのだ。底なし沼に、片足突っ込んでいるような。危うさすらも、ビシバシ感じている。
帰ったら、アナベルにデュワリエ公爵は冗談が通じる相手ではない。今すぐメロメロ作戦を辞めるように訴えなければ。
そんなことを考えていたら、デュワリエ公爵が私の思考を中断させる問いかけを投げかけた。
「で、次はいつ会えますか?」
会えないと言っても、聞かないのだろう。ならば、こちらにも考えがある。
「百年後、生きていたら、お会いしましょう」
もう会わないという宣告でもあったが、またしても笑われてしまう。
暴風雪閣下はどこに行ったのだと、問いかけたい。あまりにも楽しげに笑うので、“小春日和閣下”と呼びたいくらいだ。
「楽しげですこと」
嫌味たっぷりに言ったが、効果はまったく感じられない。私を見て、目を細めるばかりである。初孫を見つめる爺かと、突っ込みたくなった。
「なんだか、久しぶりに、笑った気がします」
「デュワリエ公爵の表情筋は、凍っていて動かないものだと思っていたわ」
「よく、言われます」
なんたって、“暴風雪閣下”ですから。なんて言葉は、ごくんと呑み込んだ。
「あなたが嫁いできたら、一年中冬のように暗く寒い我が家も、春みたいに暖かくなりそうです」
穏やかな顔で言うものだから、胸がツキンと痛む。
私は、デュワリエ公爵の婚約者アナベルではない。それどころか、婚約破棄をして手酷い復讐をしようと企んでいる。
「五年前、両親が亡くなってからというもの、喪に服しているような状態が、ずっと続いていて……」
若くして爵位を継いでいるということは、父親を亡くしているのだろうなと思っていた。まさか、母親まで亡くしていたなんて。五年前ということは事故か何かで、同じタイミングで亡くしているのだろう。
そのできごとが、デュワリエ公爵の心にほの暗い影を落としていたのだ。加えて、妹さんは病弱で……。
一刻も早く、明るく元気な女性と結婚し、温かい家庭を築くべきだろう。
私とアナベルの茶番劇に、付き合ってもらっている場合ではないのだ。
復讐なんて、止めたほうがいい。けれど、アナベルはやると決めたことは突き通す頑固者だ。私の訴えを聞いてもらえるのか、わからない。
「どうかしました?」
「いえ、なんでも」
不安を抱えたまま、馬車はアメルン伯爵家に到着した。
「では、また」
デュワリエ公爵の言葉に、会釈を返すことしかできなかった。
去りゆく馬車を、シビルと共にじっと見送る。
馬車が見えなくなったのと同時に、疲労感を覚えてぐったりしてしまった。
私の、アナベルになる魔法が解けてしまったのだろう。
いろいろ察してくれたシビルは、私の肩を支えて歩き出す。それはまるで、戦場で負傷した兵士を担ぐ戦友のようだった。
私室で待ち構えていたアナベルに、本日の戦果を報告した。
「デュワリエ公爵が笑ったですって? ミラベル、あなた、ずいぶんと気に入られているようじゃない」
「いや、なんだろう。珍獣を見て笑った感じかなと」
「ちょっと、わたくしを演じているはずなのに、どうして珍獣になるのよ?」
「なんか……ごめん」
謝ることしか、できなかった。アナベルに渾身の力で睨まれたのは、言うまでもない。
一日二回更新になりますm(__)m




