第十一話目だけれど、公爵と“エール”への想いを聞いてしまいました!
「本店に入れるなんて夢みたい! 神様は、私のことを、見てくれているのね! ああ、ありがとう! 本当に、ありがとう。ついでに、連れてきてくれたデュワリエ公爵にも、ありがとう!」
「アナベルお嬢様!!」
シビルが私の服の裾を掴み、耳元で思いっきり叫ぶ。
耳がキーン! としたのと同時に、ハッとなった。
私は今、何を言った?
“エール”本店に行ける嬉しさのあまり、我を忘れていたような?
一瞬、アナベルを演じることを忘れていた。あってはならない事態だろう。問題はそれだけではない。素の私を、デュワリエ公爵に見られてしまった。
ぞくりと、背筋に寒気が走る。背後にデュワリエ公爵がいるからだろう。
油が切れたゼンマイ仕掛けの人形のように、ギッギッギッと、ぎこちない動きで振り返る。
背後にいたデュワリエ公爵は、暴風雪が吹き荒れ、身が凍えるような視線を私に向けていた。
「あ、あの、以前も申しておりましたが、わたくし、“エール”の大ファンで」
「そう、ですか」
「本店は、選ばれた方のみ招待されると聞いたものですから」
基本、商人は貴族の家を訪問して物を売る。一方で、“エール”は訪問販売をせず、誰にでも売らないことを信条としている。客が店や商人を選ぶのではなく、“エール”自体が、客を選ぶのだ。
“エール”の店舗は王都内に本店、一号店、二号店の三店舗ある。どこも、おいそれと近寄れる店ではない。父も知り合いに頭を下げて、私に首飾りを買ってきてくれたのだ。
「その、本店とご縁があるなんて、さすが、デュワリエ公爵ね」
「まあ、そうですね」
私の話なんて、まったく、これっぽっちも興味がないのだろう。目を逸らしながら、言葉を返してくれる。
なんとか誤魔化せただろうか?
戦々恐々としていたら、デュワリエ公爵が手を差し出してくれる。もしかして、エスコートをしてくれるというのか。
恐れ多いが、アナベルだったら当然とばかりに受け入れるだろう。私はアナベル、忘れるなと暗示をかけつつ、デュワリエ公爵の手を取った。
「デュワリエ公爵は、“エール”の装身具を、誰かに贈っているの?」
「私が“エール”の装身具を贈る相手は、ひとりだけでした」
でした、という過去形にぎょっとする。うっかり、特大の爆弾を踏んでしまったか。
もしかしたら、“エール”の装身具を贈った相手と結ばれなかったので、アナベルとの婚約を決めたのかもしれない。
「だったら、デュワリエ公爵にとっても、“エール”の装身具は、特別なものではなくって?」
「ええ、そうですね。“エール”は、私と彼女の、絆、みたいなものでした」
悲恋の予感がして、ズキズキと胸が痛んでしまう。
ぐっと足を踏ん張り、その場に留まった。振り返ったデュワリエ公爵は、不思議そうな顔で私を見る。
「どうかしたのです?」
「デュワリエ公爵と想いが叶わなかった女性が大事にしていた“エール”の装身具など、受け取るわけにはいかないわ」
デュワリエ公爵は、私の言葉に怪訝そうな表情を向けている。
「わたくしに買うことによって、恋人だった女性との思い出が、穢されるような気がして」
「ああ、そういうことですか。勘違いです」
ドキッパリと言い切ってくれる。勘違いとは、どういうことなのか。
「贈っていたのは、妹です」
「い、妹、ですって!?」
切ない恋物語だと思いきや、ただの家族思いの青年の話だった。
冷徹で他人に興味がないように思える暴風雪閣下も、妹を可愛がっているのか。
……いや、なんか、ぜんぜん想像が付かないけれど。
「妹さんは、もう嫁がれているの?」
「いえ。病気がちで、なかなか外に出す気にはならず」
「まあ、大変なのね。わたくしの親友も体が弱くて、滅多にお会いできないの」
親友フロランスとは、社交界デビューのとき出会った。壁の花になっていた私に声をかけてくれた、優しい女性だ。彼女も“エール”が大好きで意気投合し、以降も仲良くさせてもらっている。普段は文通をしていて、面会は月に一回あるかないか。
フロランスは私よりひとつ年下だが、社交界デビューは十四歳のときに済ませていたらしい。家柄がいい貴族の子どもは、早めに結婚相手を決めるため、社交界デビューも早いのだ。
ちなみに、アナベルも私より二年早く社交界デビューを済ませている。私は十七歳のときだったので、この辺でも本家と分家の格差が丸わかりだろう。
「妹さんには、お大事にと、お伝えいただけるかしら」
デュワリエ公爵は、まるで恐ろしいものを目の当たりにしたような視線を私にぶつけてくる。震え上がるほど恐ろしかったが、アナベルだったら怯まないだろう。アナベル様語録を引っ張り出し、必死に言葉を返した。
「あの、わたくし、何かおかしなことを言ったかしら?」
「いいえ、他人から、妹の具合を案じてもらったのは、初めてだったもので」
「これくらい、普通のことかと」
「デュワリエ公爵家に生まれた者に、普通は通用しないのです」
他家へ嫁げないほど病弱な娘を抱えていると、気の毒に思われるようだ。挙げ句、処分に困っているのならば、うちで引き取ろうかと、上から目線でコネクションを結ぼうとする輩もいるらしい。
「なんて、失礼な人達なの!?」
貴族の家に生まれた女性が、政治道具として見られるのはよくある話である。きれいなドレスや教養、贅沢な暮らしと引き換えに、結婚を務めとしているのだ。
けれど、それができないからと言って、同情されたり馬鹿にされたりする筋合いはまったくない。
「もしも、そういうことを言う輩を見つけたら、わたくしが急所を蹴り上げてさしあげるわ!」
言い切ったあと、ハッとなる。一応、これもアナベル様語録に入っているものだ。
数年前、兄が某家のどら息子に「ぼんやり坊ちゃん」と言われたという話をした際に、憤るアナベルが見事に捲し立ててくれた。
上品なお言葉でないことは、百も承知である。だが、病弱な人を悪く言う人は、絶対に赦せない。
恐る恐るデュワリエ公爵を見上げたら、驚いた顔で私を見つめていた。
「あなたはとても、勇敢な女性ですね」
そう言って、私の手を引き歩き始める。
勇敢なのは私ではなく、アナベルだが。
まあ、いい。何はともあれ、どうやら大丈夫だったようだ。




