4. 精霊の加護を授かりました
ミシェルがまだ幼く、ようやく6歳になったばかりの頃、母親のサーシャリアに手を引かれて敷地内にある温室を訪れた。
ミシェルが物心が付く頃には、「怖い夢を見る」と両親に訴える事があり、酷く怯えてオドオドとした様子でいつも顔色が悪かった。
そんな娘を心配した両親は、何かとミシェルを気遣い、気分転換になればと、今日はこうして温室へ連れ立ってきていた。
広い敷地内で、庭の奥まった場所に位置する温室の周りは城から遠いこともあって、殆ど人が通らない。
ガラス張りで作られた空間は、見上げるほど大きく、中に入る前から見る者を圧倒する。扉を開けて中に入ってみれば、沢山の草花が咲き乱れており、中には見たこともない花もあり、様々な花の香りが鼻腔を擽る。
「ここに来るのは初めてよね?」
「…はい、お母様」
「今日も、怖い夢を見たのかしら?」
「……はい」
夢の内容を、ミシェルは話したがらなかったし、この話をすると途端に口を噤んでしまう。
サーシャリアはミシェルの手を引きつつゆっくりと歩を進めた。
「ここの温室には、うちの国は勿論、他国の珍しい草花が咲き乱れているのよ。精霊の加護を受けた者達のお陰で、いつも丁寧に世話して貰ってるの。見れば気分が落ち着くわ」
「加護を?」
にっこりと笑うサーシャリアの言葉に、ミシェルは俯いた顔を上げる。
この時はまだ、ミシェルは精霊からの加護を受けておらず、力を使える者達を羨ましく思っていた。
どんな力かは理解していなかったが、幼い子供の頭で、加護の力があれば毎晩見る悪夢も止める事が出来るのでは?と考えていた。
「ミシェルも必ず加護を授けて貰えるわ。私の娘なんですから。あ、丁度いい所に…」
中ほどまで進んだ所で、サーシャリアは前を歩いていた1人の男性に声をかける。
呼び止められた男性は、サーシャリアと一言二言話した後、見上げたままのミシェルにニコリと微笑んだ。
彼は「地の精霊」と「水の精霊」の2つの加護を受けた庭師であるとミシェルに自己紹介してくれる。
庭師に促され、更に奥まで付いて行くと、ガラスに面した場所に設置された作業台に案内された。
身長の低いミシェルが、爪先立ちで作業台を覗こうとしていると、庭師は丁度いい高さの踏み台を用意してくれる。
お礼をいいつつ、台の上に上がると、ミシェルが倒れないように、サーシャリアがすぐ後ろに控えて支えてくれた。
台の上には、色々な道具が並べて置いてあり、庭師はそれを端に寄せ、植木鉢を1つミシェルの目の前に置いた。
そっと中を見下ろせば、その中には既に土が入れられていた。
庭師は袋から小さな種を1つ摘み、植木鉢の中に差し込む。
「王女様、よく見ていて下さい」
庭師の言葉に、コクンと頷き、ミシェルは瞬きしないように注意しながら視線を植木鉢へ固定した。
植木鉢の上を、庭師の手がふわりと滑る。
何が起こるのかと期待していたミシェルは、次の瞬間眼を見張った。
『お手伝い〜っ!』
『今日はスパティ〜』
『いい土?いい土?』
小さな人型の精霊達が、何処からともなくぽんっ、という音とともに植木鉢の周りに姿を現してくる。
ミシェルの両手に、ちょこんと乗るくらいの大きさの彼等は、とても楽しそうにパタパタと小さな羽で飛び回っていた。
キラキラと輝く彼等の体が、一際大きく瞬いた瞬間、植木鉢の中の土がゆっくりと盛り上がっていく。
「あ」と声を上げる間も無く、ゆるゆると芽が顔を出していた。
「凄い」
思わず漏れてしまったミシェルの声に、それまで飛び回っていた精霊達は、その場でピタリと動きを止めた。
「…?」
じー、と見つめてくる精霊達の眼差しに、ミシェルは首を傾げる。
『この子嫌ーい!』
1匹の精霊が、ミシェルを指差し嫌そうな声を上げると、それが呼び水となって周りにいた精霊達も口々に非難の言葉を浴びせてくる。
『嫌な感じがするー』
『近寄らないでー』
精霊達の言葉に、ミシェルは自らの血の気が引く音が聞こえた気がした。
悪夢でみた″女王ミシェル″もまた、精霊とは相入れない関係である事を知っていた為、それと自分の姿を重ねてしまい、ミシェルの金色の瞳はうるうると涙で潤み始めていた。
そんな精霊とミシェルを見ていたサーシャリアは、ミシェルの体を反転させて抱きしめ、庭師も慌てて精霊達に解散を告げた。
2人とも、見てはいけないものを見てしまったと顔色が悪く、グスグスと泣き始めたミシェルの様子に、何も言葉を発する事が出来ないままだった。
『ぼ、僕は好きだよ』
しんと静まり返っていた空気の中、恐る恐るといった声が聞こえる。
「…ぐす、ほんとう?」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を、サーシャリアの腕の中から覗かせたミシェルは、声の主を探す。
植木鉢の後ろからちょこんと顔を見せていたのは、淡い水色の光を放つ1匹の精霊だった。
『ほんとうだよ、だから、泣かないで?』
にっこりと笑顔を見せる精霊に、ミシェルは心の底から感謝した。
まだ、希望はあるのだと。
『ぼくからの、加護を受け取ってもらえる?』
加護を受ける思わぬチャンスに、涙を拭きながら、ミシェルは弱々しく笑ってみせる。
サーシャリアも庭師も、ほっ、と安心して息を吐く。
「嬉しい。あなたは、何の精霊なの?」
精霊に手を差し出すと、近づいてきた精霊はミシェルの人差し指にチュッと口づけをした。
「ぼくは……」
「ミシェル様、暇だからと言って本ばかり読んでおられますと、目が悪くなりますよ」
エリザの声で、読んでいた本から視線を上げ、ミシェルはしぱしぱと瞬きを繰り返す。
「つい、読み耽ってしまっていたわ。とても面白いのよ、この魔物図鑑。でもそうね、少し目が痛いかもしれないわね」
読んでいた本を閉じ、ミシェルは空中で優雅に手を払う。
『ミシェル!呼んだ?』
ぽんっ、という音と共に現れた小さな精霊は、幼い頃に初めてにして最後の、ミシェルに加護を授けた精霊だった。
「ええ、いつものお願いしていいかしら?」
『任せて〜』
ミシェルが目を開けたまま、天井に顔を向けると、精霊はふわふわとその頭上に飛び、ぱっと体を輝かせる。
その瞬間、ミシェルの目に小さな雫がぴちょんと落ちる。
その光景を見ていたエリザは、感心の声を漏らす。
「目薬の精霊とは、本当に珍しい…」