3. 名案を思いつきました
ミシェルは、自室にて優雅に紅茶を楽しんでいた。
隣に控える侍女のエリザは、いつも通り無表情のまま、タイミング良く主人のカップに紅茶を注ぐ。
「なんて平和な時間なのかしら」
一口飲んで、ほぅ、と嬉しいため息が出てしまう。
謁見の間での出来事から一週間、それまでぎゅうぎゅうにスケジュールに組み込まれていた女王教育は、少なからず両親に与えた動揺のお陰か、暫しの休憩として中断となっていた。
「いつの時代も、詰め込み教育は良くないのよ。こんなにのんびり過ごせるのはいつぶりかしらね、エリザ」
「ミシェル様が女王教育を受け始めたのが5歳くらいですので、10年振りかと思われます」
それまでの陰鬱な印象から一変して態度を変えた主人の様子を訝しむ事なく、いつでも優秀な侍女は淡々とした口調で答える。
「まぁ、そんなに?勿体ない事をしたものね」
心から残念さを感じながら、ミシェルはまたカップを口に運ぶ。
「…ミシェル様」
「なにかしら?」
「いつまで放って置かれるおつもりですか?」
エリザの指摘で、ミシェルは目の前で騒ぎ立てている弟をチラリと見遣る。
「…諦めて帰るまでかしら」
「姉上!聞いているのか?!」
痺れを切らした弟は、サラリと流れる金髪を振り乱しながら、ミシェルの前にあるテーブルにバンッと両手を叩きつけた。
怒りでつり上がらせた金色の瞳は、ミシェルと同じ色である。
「お行儀が悪いわよ、ライオット」
2つ下の13歳の弟である第一王子のライオットを軽く諫めながら、ミシェルは首を傾げる。
「何がそんなに不満なのかしら?」
”聖乙女戦争”と言う名の乙女ゲームにて、メインを張る攻略対象者の1人、ライオット・アルトリアは、所謂『俺様キャラ』なポジションであった。
負けず嫌いで独断的な性格は、悪役女王と似ている部分もあるが、彼の魅力は、根本にある慈愛的な部分であるだろう。ツンデレとも言う。
いつも優秀な姉と比べられ、影で闘志を燃やしていたライオットは、ミシェルとの交流を殆ど持たなかった。
ミシェル自身、自分の悪夢で手一杯で、弟と仲良くしようなどという心の余裕も無かったのだが。
王位放棄の話は、すぐさまライオットの耳に入り、その日からこうしてミシェルの部屋に来ては一人で喚き散らしていた。
(こんな見っともない姿、エリーに見せたら100年の恋も冷めるんじゃないかしら?)
姉として初めて弟の将来を心配してしまう。
「姉上が勝手に王位を放棄しようとした事です!」
「それは初日に説明しましたよ。それに貴方は、王座に就きたかったのではなくて?」
スッと目線をライオットに送ると、つり目のせいで思ったより迫力が出たミシェルの眼光に、ライオットはぐっと息を詰まらせる。
「俺は、自分の力で王座に就きます。」
喚き散らしていたライオットは、声を落とし、真っ直ぐな双眸でミシェルを見つめてくる。
その真剣味を帯びた声色に、ミシェルは乙女ゲームのスチルを思い出していた。
(あぁ。この目は、悪役女王を断罪する決意を固めたライオットの目だわ)
どんなに悪行を繰り返した悪役女王ミシェルに対しても、最後まで家族としての情を捨てきれなかった優しい弟の心を垣間見た気がして、少しばかり申し訳ない気持ちが沸き起こる。
もっと早くに前世の記憶を思い出していたら、始めからライオットが王座に就けるように尽力して、協力し合えば、仲の良い姉弟の関係を築けたのではないかと考えてしまう。
「ライオット」
優しく弟の名を呼ぶと、ミシェルを見つめていた金色の瞳が大きく見開かれる。
つり目の瞳が弧を描き、静かな微笑を浮かべるミシェルに、ライオットは目を奪われる。
「あね…うえ?」
顔立ちがくっきりとして、綺麗であるとは思っていたが、光を放たない冷たい瞳の印象が強く、ミシェルがこんなにも柔らかに微笑むのをライオットは今まで見た事がなかった。
「貴方の言いたい事は分かりました」
「では!…」
「これからは、全力で女王教育をやってる振りをします!」
「……は?」
力強く両手を握りしめながら言うミシェルの宣言に、ライオットは間の抜けた声を出す。
「私は、女王になるつもりはさらさらありませんが、ライオットの真摯な態度を受けとめまして、競い合っている姉を演じます!」
名案だとばかりに顔を輝かせるミシェルを尻目に、ライオットは困惑の表情のまま固まる。
「お互いの希望を叶えられる素晴らしい案ですね!ねえ、エリザ」
優秀な侍女は、はしゃぐ主人と、固まる第一王子を交互に見遣り、何も言わずに、カップに紅茶を注ぐことにした。
11/23:年齢を修正しました。