17、心が震えました
「はぁーーーー」
深いため息をついたミシェルは、テーブルの上に置いてあるクッキーをポリポリと食べ、紅茶を飲み、止まらないため息を漏らす。
「はあぁぁーーー」
「邪魔するなら出てってくれませんか姉上」
鬱陶しいと言わんばかりで顔を歪めつつ、ライオットはミシェルを睨む。
数日前から、ライオットの自室に出向いて来ては重苦しい雰囲気を放つミシェルは、今日もまたライオットの教育の場に勝手に混じっていた。
「私の事は気にしないで頂戴。ほんのちょっと匿ってくれるだけでいいの」
「一日中入り浸るのをほんのちょっととは言いません」
「むぅ」
姉とは殆ど交流が無く、他人に興味がなく冷たい人間なのだと勝手に思っていたライオットだったが、王位を放棄したのをきっかけに押しかけていたら、イメージと全く違う事に思い至った。
「あら、ライオット。そこ間違えているわよ」
隣に座るライオットの手元を覗き込み、指でコツコツと羊皮紙を叩く。
「隣国の今の輸入は織物が多くなってるから、その数では利益は出ないわ。税関も通るし、もう少し釣り上げても大丈夫よ。あの方、美意識が高い方だから質さえ良ければ財布の紐は緩くなるし」
「ーーあの方?」
「ん? えーと、名前はビンデバルド様だったかしら」
「誰ですかそれ」
「隣国の王様ですよ。王子殿下。お教えしましたでしょうに」
側に立つ宰相のセギルスが額を押さえて嘆く。
ライオットの現在の教育は、交易における文書の確認である。
その教育係として、宰相であるセギルスがライオットの部屋を訪れて教鞭を取っていた。
習うより慣れろの方針は、姉であるミシェルからの指示だった。
「何だか親しげじゃありませんか姉上」
「だって会った事ありますし。ほら、この輸入品を勧めたの私ですから」
羊皮紙を滑る手は、一年前に隣国が輸入を申し出てきた鉱石の類いを指す。
自国の鉱山を持つあまり、他国との交易を持たないと噂されていたのに、アルトリア国と国交を開いたとライオットは初めて教えられた。
「王女殿下とお会いになったビンデバルド王が、是非にと、懇願してきた会合がありましたね」
苦笑しながら話すセギルスの言葉に、ライオットは愕然としてミシェルを凝視する。
優秀だとは知っていたが、まさか外交までそつなくこなしていた事に愕然とする。
そんなに優秀で、何故王位を簡単に手放したのかと、悔しい思いがライオットの心を塗り潰していく。
「どうしたの?ライオット」
「ーー何でもありません! それよりも姉上の女王教育は進んでいるんですか?僕との約束忘れてませんよね」
何だったかしら?、と首を傾げるミシェルは、あぁ、と思い至って不敵な笑みを浮かべた。
「こんなミスも指摘出来ないだなんて、私が女王になってしまうわよ! さ、教えてあげるから頑張りなさい」
「わざとらしい!!」
「大丈夫、貴方なら出来るわライオット。さぁ、私を追い越して早く王位に就いて頂戴」
全てを投げ出してしまいたくなる衝動とライオットが戦っていると、扉をノックする音が響く。
「入れ」
「失礼致します。ミシェル様に伝言を」
最近ミシェルが飼い始めたポチの監視役として王城に出入りするようになったゲインが入室してくる。
ゲインとライオットは、一悶着あったせいで仲が悪い為、ゲインはチラリともライオットを見ない。
「ミシェル様、ベイドナー氏は今日はもうお帰りになりましたよ」
「そう!でかしたわゲイン」
パッと明るい笑顔を見せるミシェルに、ライオットは姉が入り浸る理由を垣間見た気がした。
「もしかして、ベイドナーと会いたくないからここに来てたんですか?」
「ーーそうよ」
じっと恨みがましく見つめてくるライオットの視線に耐えきれず、ミシェルは白状してしまう。これでも、弟の邪魔をしている自覚はあった。
「あの人、苦手なのよ…。理屈じゃない、理屈じゃないのよ……っ」
眉を下げ、何かをグッと堪える様子のミシェルに、ライオットは目を見張る。
苦手なものなどないような性格をして、完璧だと思っていた姉にまさかの綻びがあった事に、何故か心がムズムズと動き出す。
「その、何か理由があるなら、僕で良ければ聞きますが…」
思わず出た言葉に、ライオットは自分でもびっくりする。
しかし、そんなライオットの様子に気づかないミシェルは、ぶつぶつと呟き続ける。
「ルートには入ってない筈なのに、何で。バッドエンドスマイルとか反則…怖い、耐えられない……いっその事、今の内にどこか遠い所へ逃げちゃおうかしら」
ミシェルのその言葉で、ライオットはバッとミシェルの手首を掴む。
突然掴まれた事で、ミシェルはキョトンとした顔で、真摯な顔のライオットを見つめ返す。
「いなくなるなんて、ダメです。俺の前から、逃げる何て許さない!」
「ライオット…」
はたと、自分の行動と言動に気づいたライオットは、みるみる内に顔を真っ赤に染める。
「お、俺、いや、僕は別に」
オロオロとするライオットを前に、ミシェルはキッと、ライオットを真剣な表情で睨みつけた。
「あ、あねうえ?」
「ライオット、ちょっと今のもう一回。あ、ゲイン!こっちに座りなさい、そうここに。
ライオットはゲインの手を握って、そう!これよ! さ、もう一度さっきの台詞言ってくれるかしら?」
動揺する二人を放っておいて、ミシェルは少し離れた場所からその光景を眺める。
初めてエリーに独占欲を見せるライオットの姿は、プレイヤー達乙女を歓喜に震え上がらせたシーンである。
「ナイススチル!」
一人で訳の分からない発言を繰り返すミシェルを、部屋のいた者達は何とも微妙な顔で眺めた。




