お盆休み
8月も10日が経過し、お盆が近づいた頃だった。
勇斗は例年、8月12日~17日は伊豆にある美香の実家で過ごすことになっている。美香の兄の子で、一切年下の従兄弟である夏川栄司は年が近い事もあって趣味も会い、毎年彼と一緒にゲームをしたり、あるいは近所にある温水プールに行く事が夏休みの楽しみだ。
また、夏休みの伊豆はホテルや旅館の予約が取りづらい中、予約も宿泊代も必要ない帰省は広王にとっても「負担の少ない旅行」として大いに重宝していた。そこで彼は日中、日帰り温泉や足湯に浸かるのを楽しみにしていたのである。
しかし、今年は事情が違った。
「宿題が終わらない……」
むろん、去年まで宿題が順調に終わっていたわけではなかった。宿題を持参して、空いた時間にやろうと思ったこともあったが、結局遊ぶ時間を優先してしまい、最後まで手を付けずに帰ることになった。
つまり勇斗にとって、母親の実家に行く事はそのまま宿題をやる時間がないことを意味する。遊びたい、という気持ちはあったし、自分が帰省すれば祖父母は大いに歓迎してくれるだろうということも、何となく分かっていた。
「あなたが、あんな言い方するから!」
「お前が言えって言ったんじゃないか!」
下の階から、自分の事で夫婦が口論する声が聞こえる。伊豆に行かない、と言い出した子供に対し、なぜか責任を押し付け合っているのだ。
「余計行きたくねえよ……」
こんな状況で、仮に今すぐ宿題が終わったとしても帰省する間、気まずい空気ばかりが流れるだろう。いや、それでも帰省中は実家に気を使うだろうから、多少は和やかなムードかもしれない。しかし行き帰りの車の中、延々と無言の状態が続くことだけは嫌だった。
「じゃあ、私だけ行って来るから」
結局、今年のお盆は美香だけが実家に帰省するという形になった。
12日に家を出発し、13日の夕方の迎え盆に合わせる。13日に出発しないのは、当日、夕方の迎え盆に間に合わないとご先祖様の霊を迎えられないからという理由だ。
そして16日の送り盆の後、帰ってこないのは、ご先祖様の霊を連れて来てはいけないという理由らしい。したがって、翌日の17日を帰省日としている。
▽
12日の朝、美香が一人で家を出る。
「じゃあ家のこと、しっかりね」
「お土産は宅急便で送るから」
そう勇斗に言うと、今年は車ではなく、電車で実家へと向かった。
「4日間か……長いな」
13日~16日の間、朝起きても朝ご飯はない。昼も、そして夜も。
カップラーメンと菓子パン。そして冷凍食品が4日分、買い置きされていたものの、おそらく2日もすれば飽きる。
では、スーパーに行って惣菜でも買おうかというと、きっとクラスの誰の親と鉢合わせるだろう。中学生ともなると、そういった大人から世間話をもちかけるのは何となく億劫になっていた。
「どっか遊びに行くか、誰かいないかな……」
夏休みの間、一緒に遊べる仲間は思ったよりも少ない。大概は部活か、あるいは塾の夏期講習で、そういった仲間同士が自然発生的にグループを形成し始める。
勇斗の将棋部は当然、夏休みに部活などやらない。それに、名ばかりで部室にもロクに顔を出してない勇斗は部員達との交流もほとんどなかった。
もっとも、部活が忙しい連中もお盆の時期は休みになる事が多い。しかし、その時期になればみんなやれ、帰省だの家族旅行だので、結局スケジュールが合わない。それは勇斗が例年、伊豆に帰省しているのと同様だ。
「今年は自分の都合で家にいるから暇つぶしに付き合ってくれ」
そんなムシのいい話が通るわけがない。そんなことは勇斗にも十分、分かり切っていた。
「いや、待てよ……」
塾の夏期講習は、受験生ならばお盆の期間も授業をやっているかもしれない。もしそうであれば、自習室はどうだろうか?
小学校の時、中学受験をやっていた奴は、確かお盆休みの期間中も塾の自習室で一日中過ごしていたとか、そんな話を聞いたことがある。だとすれば、
「最低でも自習室なら空いてんじゃねーの? 」
実際、今通っている塾の自習室に一度行ったことがあったが、そこでは多くの生徒が黙々と勉強していた。その塾の自習室は夜の9時まで開放されており、塾の授業が終わった後の復習はもちろんのこと、塾のない日も自宅ではなく、自習室で勉強する生徒も少なくないらしい。なぜなら、そこが一番集中できるからだ。
「確か、自習室が充実してますとか、そういう謳い文句の塾があったよな」
勉強の出来る生徒にとっては、授業の質よりも自習室の充実度を重視するとか、そんな話を聞いたことがある。そして、そこを自分の「セカンドスペース」にして、ひたすら勉強に明け暮れているらしい。
「とりあえず、行ってみるか」
しばらくご無沙汰していた学習塾。しかし、勇斗は意を決して訪れてみる事にした。「単に暇だからと」と、強がってみる。しかし実際のところ、
「夏休みの宿題を何とかしないと……」
それは稔からの「依頼」でもあった。むろん、自分自身のためであるのは言うまでもないが。