勇者はつらいよ
勇斗の「授業」あるいは「体験入学」は、基本的に午前10時~12時である。
そのため、広王が家を出て会社に向かう7時半過ぎよりもちょっと後。8時過ぎに起きて、9時過ぎに家を出発するという感じだ。
自宅を出た父親と入れ替わるようにして、息子が1階のリビングに下りてくる。そして朝食に手を付ける。
「勇斗、これ」
「何? 」
「阪口塾の……」
「体験入学の話? 」
「知ってたの? 」
「稔から聞いた」
前日の夜、広王が美香に頼んでいた内容である。つまり勇斗を阪口塾に体験入学させてみたはどうかというわけだ。
「でも、俺、今は学進ゼミ行ってるし」
「何で行ってるの? 」
「何で? って何なんだよ!」
相変わらず自分のことを疑っている。勇斗は「またか」と思った。
学進ゼミに通い始め、といってもまだ1回しか授業を受けていないが……それでも勇斗は感想文の書き方が理解できるようになったし、そして今日の授業に向け、しっかりと宿題。というより「予習」をこなしている。
ところが両親にしてみれば「お前が自分から塾に行くなんて有り得ない」と思っているらしい。
(模試で高得点でも見せつけられれば……)
結局、「結果が全て」なのだ。今の自分。いや、たった数日前の自分を見せただけで親はきっと、自分の事を認めたりしないだろう。
それどころか逆に、「こんな勉強法は間違っている」と否定されるかもしれない。「勉強法が間違っている」というのと「勉強していない」のは、ほぼ同義語だ。少なくとも勇斗の両親にしてみれば、である。
即ち、勇斗がどんなに勉強をしていても、勉強をしていない……それどころか「勉強をしていないのに嘘をついている」となってしまう。
「ゲーム感想文、終わってないんでしょ? 」
「今、やってるよ」
「お盆前もそう言ってたでしょ!」
「だから、今、ホントにやってるんだって!」
「また、いつもそうやって嘘をつく……」
「嘘じゃねーよ!」
まるで「さっさと魔王を倒して来いよ」と命令する王様だ。そして、ゲーム感想文という「魔王」を倒せない自分は結局、「ダメな勇者」か、あるいは「偽勇者」なんだろうか……
阪口塾のチラシは、確かに魅力的だ。学校でも話題の嵯峨野ゲームスのキャラクターが使用されており、それを学校で見せびらかしている奴もいる。
「夏休みのゲーム感想文、もう終わった? 」
こんなセリフをゲームのキャラクターに言われたら、確かに入塾したいと考えてしまうのも当然と言えば、当然だ。
「でも、お父さんはダメって言ったじゃん」
「そう。でも、無料体験入学って書いてあるし」
「無料なら何でもいいのかよ」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
子共よりも何故か、親の方が歯切れが悪い。
勇斗だって、阪口塾には以前から興味があったのだ。そして、実際に成績が上がっている友達を見て、羨ましいと思ったことだってある。
しかし、それに対して「勉強の仕方が気に食わない」といって否定したのは自分達ではないか。それを今更「無料だからとりあえず受けてみろ」というのは少々、ムシがよすぎるというものではないか?
「ゲーム感想文なら、別に大丈夫だよ」
「別にって、どういうこと? 」
「学進ゼミの先生、すごい人なんだよ」
「すごいって、何が? 」
「東大生なんだって」
「東大生? 」
勇斗は「我ながら、上手い説得方法だ」と思った。以前、「東大生の家庭教師」というのを聞いたことがある。他の大学の家庭教師に比べ、時給が高いそうだ。
「じゃあ、杉田の奴もやっぱり他の先生より時給高いのかな? 」
彼は、ふと思った。しかし、そんなことはどうでもいい。今はとにかく「親を説得する事」が何よりも重要だ。
「そうなの、じゃあ」
「そうだよ」
別に東大生に教わっているからといって、勇斗が東大に合格するわけじゃない。しかしこういった肩書、あるいは「ブランド」といったものに大人は弱いものだ。
「とにかく、ゲーム感想文なら大丈夫だから」
「ちょっと、待ちなさい」
心配する母親から逃げるように、勇斗は家を出た。
(今日、とにかく感想文の下書きだけでも終わらせておかないと)
きっと父親のことだ、自分が阪口塾に行く気がないといえば、「せっかく行っていいと許可してやったのに」なんて、恩着せがましく言うだろう。
そして、それを断った理由が「ゲーム感想文は書けている」なんていえば、きっと「じゃあ、見せてみろ」と言うに違いない。
結果、作文が完成していない自分を見て「塾へ行って来い」と命令する……そんな展開を想像するのは容易な事だった。
(せっかく、予習までしたんだから……)
今までの俺とは違うんだ、と勇斗は何か自信のようなものを感じていた。
確かに、阪口塾のテキストは魅力だ。しかし今、自分が曲がりなりにも感想文が書けるようになったのに、何も「最初からやり直す」必要なんてないじゃないか。
▽
午前9時55分。学進ゼミに到着すると、勇斗はスタッフルームに杉田がいることを確認する。
そして杉田は勇斗が来たことを確認すると「じゃあ、この前のところで」と、前回の授業の教室の方向を指差した。
前回の授業、といってもまだ1回しか受けていないのだが……それでも明らかに「何かが変わったような」感覚を覚えつつ、2回目の授業が始まった。





