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「一体、どういうこと? 」
「俺だって分からないよ」
「でも、まあいいんじゃないの」
「そうだといいんだけどな」
お盆も終わり、美香が実家から帰って来た。
夕食後、広王は彼女が実家からお土産として持たされてきた「地元で評判」という温泉まんじゅうを食べながら、帰省中に起きた息子の異変について「報告」をしていた。
勇斗が学進ゼミに通い始めたのは、美香が帰省をしている間であった。したがって当然の如く彼女は息子の「異変」に気付いていない。
むろん、父親である広王にしたって同じだ。決して勉強が得意ではなく、あるいは真面目に勉強するタイプでもない息子が、突然塾に通い始める。
それは勉強したいというより、例えば友達と遊びに行く口実か何かとしか考えてはいなかったのである。
「じゃあ、これ……」
「これか? 」
美香が手にしたのは、自宅に帰ってきた際、郵便受けに入っていた阪口塾のチラシであった。虎ノ口中学校の生徒の中で、塾に通っている生徒の多くはこの阪口塾の塾生である。
「だからこっちにしておいた方いいって……」
「今更、しょうがないだろ! 」
「でも、今だったら」
そのチラシには「無料体験入学受付中」と書かれている。そして受講生には「もれなくオリジナルグッズをプレゼント」とも書かれていた。
実際に阪口塾の評判は、保護者達の間でも非常に評判が良い。
評判の秘密は、そのテキストにあった。それは教科書、というよりは漫画雑誌か何かと思わんばかりに絵の量が多い。
そして子供達は、それが学習テキストにも拘らず、夢中で読む。
それだけではない。夢中になって読んだ学習テキストの内容を、今度は学校の友達と話題にするようになるのだ。どの章の、どの部分の絵が可愛いとか。あるいは登場するキャラの誰がカッコイイとかといった感じに。
さらには彼等の台詞が英単語や古文単語、あるいは数学の定理や公式であるにもかかわらず、それが「漫画の台詞」ということで子供達は夢中になって暗記してしまう。
どうやら、そのテキストの絵を担当しているのは嵯峨野ゲームスのデザイナーらしい。実際、そのテキスト欲しさに入塾を決めた生徒も少なくないという。
「嵯峨野ゲームス、ってあのスマホのゲームの嵯峨野か? 」
「そう、だから子供達にも抜群にウケがいいって」
「ああ、あの詐欺会社か! 」
「知ってたくせに! 」
勇斗が阪口塾ではなく、同じ学校の生徒がほとんどいない学進ゼミを選択した理由は「父親が決めたから」であった。
「漫画で覚えるなんて、間違っている」
「勉強は「正しい」テキストを使って覚えるべき」
そのような方針の家庭の多くは阪口塾のテキスト、そして指導方針を「頭ごなしに否定」しているのである。とりわけ彼等のゲームの課金システムに対し、不快な思いをした親は決して少なくなかった。
「請求書を見たら、突然2万円だぞ! 」
「確かに、あれは」
「あんな連中、信用できないだろ! 」
「でも、塾では課金とかしてないって……」
「そういう問題じゃないんだよ! 」
「じゃあ、どういう問題なわけ? 」
「どうせ、またどっかでボッタクリをやろうってんだろ! 」
実は、このように考えているのは何も広王だけではなかった。子供が塾のホームページを親に見せたまではいいものの、キャラクターデザインの隅に書かれている「all right reserved 嵯峨野ゲームス」の表示を見ると態度が一変……
「あのインチキ会社か! 」と嫌悪感を示す。その場合、その子は「親の反対で」入塾することが出来ないのである。
とはいえ、そんな広王でも「無料」の一言には滅法弱い。いや、誰もがこの一言には心を動かされてしまうのではないだろうか。
「夏休みのゲーム感想文、もう終わった? 」
案内文の台詞と共に描かれているのは、おそらくはゲームのキャラクターか。あるいはテキストに登場する人気キャラなのだろうか?
彼が龍崎家の現状を見透かしたかのように、紙面で入塾の必要性を語りかけてくる……まるで自分が子供達に代わって全てを解決してくれるかのように。
「これって……もしかして」
「ああ、そうだな」
虎ノ口中学校の多くの家庭では、ゲーム感想文がまだ終わっていない。それは既に学校の一部では噂になっていた。そして、その噂を聞きつけた阪口塾が「入塾キャンペーンの目玉として」その対策講座を用意しているのは明らかである。
「せっかくアイツ、塾に通い始めたんだぞ」
「でも、それって勉強したいからなの? 」
「いや、分からない」
「じゃあ、この講座に参加してもらった方が……」
確かに、勇斗は自分から塾に通い始めたが、その目的が勉強をしたいのかどうかは不明だ。
その一方で、今回の阪口塾から来た案内は「夏休みの課題対策」という。単に「成績を上げます」といった、漠然としたものではない。夏休みの課題という、今、目の前にある問題を「手っ取り早く」解決してくれると書かれている。
むろん、本人が喜ぶのは当然であろう。しかし何より親からすれば、それは願ったり叶ったりの内容ではないか。
「明日の朝、勇斗にいっておくわ」
「ああ、そうだな。頼むよ」
広王は資料を美香に渡して頭を下げると、リビングを後にし、二階の部屋へと向かって行った。
▽
両親の「作戦会議」が終了した頃、勇斗は稔とLINEのやり取りをしていた。
「感想文、書けたかも」
「マジかよ! ? どうやったんだよ」
「次、塾でチェックしてもらうから」
「何日? 」
「17日」
「明日じゃん」
「明日だけど何か? 」
「阪口塾の体験入学は19日からだろ」
「体験入学って、何それ? 」
「チラシ、見なかった? 」
「いや、見てない」
「見とけよ。多分、来てるぞ」
「了解」
体験入学? チラシ? そんなもの見た覚えはないぞ……あるいは学進ゼミに通っている自分の元には届かないようになっているのだろうか?
「まあ、いいや。今なら何とかなりそうだし」
課題をやり終えた充実感に加え、いつもよりも疲労感。あるいは虚脱感を感じた勇斗は自分の「ライバルの」塾のことを深く考える気力もなかった。
そして稔とのLINEのやり取りを終えた直後、そのまま眠りについてしまった。いわゆる「寝落ち」である。





