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メロスは走らなかった

 「走れメロスはドル箱《ばこ》だ」


 なぜなら、黙(だま)っていても売れる。出版不況(しゅっぱんふきょう)と言われ、芥川賞や直木賞といった権威(けんい)のある賞を受賞した作家ですら食(・)っ(・)て(・)い(・)く(・)のが難しい昨今(さっこん)のご時世(じせい)である。



 ところが一度《ひとたび》、学校で「課題図書」と指定されたとする。


 この場合、生徒達は本人の意志と関係なく読まなければいけない。本を読みたいのではなく、学校側から本を読めといわれるから「仕方なく」。あるいは「義務で」読むのである。出版社にしてみれば、課題図書はまさしく「金の成る木」であり、また「打ち出(で)の小槌(こづち)」でもあった。


 そんな出版社の人間にとって、目下の悩みは少子化だ。なぜなら学校によって読書好きを強制されている「文学奴隷」が減少すれば、自ずと出版業界の収益にも影を落とすからである。



 最近は日本政府も慢性化《まんせいか》する人手不足(ひとでぶそく)を補(おぎな)うために外国人労働者を受け入れるべきと言っている。しかし少なくとも日本語の習熟《しゅうじゅく》が十分でない彼等の多くは出版業界にとって「新規顧客(しんきこきゃく)」でもなければ「豊穣(ほうじょう)なる市場(マーケット)」でもない。


 ただその一方で、彼等の子供が日本で生まれ日本の「義務教育機関の一員(いちいん)」となれば状況は一転する。即ち新たな文(・)学(・)奴(・)隷(・)の誕生《たんじょう》である。



 「一体何を考えているんですか? 」


 お盆休みでガラガラとなっていた品川のビルにある喫茶店(きっさてん)で、赤木(あかぎ)出版社の営業マンである金子利一《かねことしかず》は玉野に対し、夏休みの課題について詰問《きつもん》していた。


 口調《くっちょう》こそ穏《おだ》やかである。が、その態度からはあ(・)か(・)ら(・)さ(・)ま(・)に(・)不満……そしてその不満から来る怒りの感情が見え隠れしていた。



 課題が読書ではなく、ゲーム。それは生徒にとっては嬉しいことなのかもしれない。しかし、出版社にしてみればある意味「反逆《はんぎゃく》行為」に等しい。


 その「異常事態」ともいえる虎ノ口中学校の夏休みの課題に対し、金子は、というより赤木出版社は早急(そうきゅう)に課題の内容を撤回《てっかい》させなければならないと考えていた。



 「一体、何を考えているんですか? 」

 「別に、こういうのもア(・)リ(・)かと思いまして」

 「勉強をサボれってことですか? 」

 「いや、そういうわけじゃ……」

 「じゃあ、一体どういうことですか? 」


 もしゲーム感想文が「選択課題の一つ」であれば、まだよかった。


 しかしゲーム感想文を拒否した女子生徒達は、そもそも読書感想文を免除されているというではないか。


 そうなると当然だが……虎ノ口中学校では今年、誰も課題図書、いや走れメロスを買わないということになる。



 「子供達はちゃんと勉強をしてもらいませんと」

 「だから、そのためのゲーム感想文ですよ」

 「何を言ってるんですか! 」

 「何をって、勉強の話ですよ」

 

 むろん、出版社が学校に対して課題図書の指定を強制することは出来ない。とはいえ、これは事実上の「紳士《しんし》協定」である。出版社は自分の会社で出版する作品を課題図書として指定する。そして学校の教師はその「謝礼《しゃれい》」と称し、出版社から「内密(ないみつ)」に見返り(リベート)を受け取る。


 当然ながら、お互いにメリットのある行為である。だからこそ、その「特権(とっけん)」を自ら手放そうとする玉野の行為は到底《とうてい》、理解に苦しむものであった。



 「いやね、メロスも走ってばっかじゃないですか」

 「だって、それが仕事でしょうが」

 「そろそろ走らなくてもいいかな、って思って」

 「冗談は顔だけにしてくださいよ! 」

 「何だと、テメェ……」


 しまった、と金子は思った。


 何となく、の(・)ら(・)り(・)く(・)ら(・)り(・)とかわそうとする玉野の態度に対し、苛立《いらだ》ちを募《つの》らせていたのは事実である。


 とはいえ、このような挑発《ちょうはつ》をすれば、事態は良くなるどころか更に悪くなる。目的は玉野を批判することではなく、あくまで課題図書を買ってもらう事なのだから。



 「すみませんでした」


 不本意ながらも、赤木は玉野に対して頭を下げた。


 「すみませんで済んだら警察はいらねーよ! 」

 「いや、警察は関係ないでしょう」

 「じゃあ、顔は関係あるのかよ! 」

 

 こうなるともう、「売り言葉に買い言葉」である。


 (モンスタークレーマーがあらわれた、どうする? )


 こちらの言葉尻を捉え、一方的に高圧的な態度で迫る。ただのクレーマーではなく、人間の会話が成立しない「モンスター」である。



 赤木は今、営業職にとって最も厄介な相手と対峙(たいじ)している。


 方法はいくつかあるのだが、まず一つは「戦う」。こちらの武(・)器(・)は「見返り」だ。


 教師だって、課題図書を指定することで得られるメリットを自ら手放すほど馬鹿ではない。だとすれば、その取引の打ち切りをち(・)ら(・)つ(・)か(・)せ(・)れ(・)ば(・)、自ずと相手は「おちる」のではないか。



 もう一つは「魔法」。そもそもこのような反逆行為には、間違いなく「裏がある」。


 その裏とは何か? 考えられるのは「謝礼」だ。つまり、もっと謝礼の内容を弾めば相手はこちらの要求を受け入れるはず。



 とはいえ、露骨に金品を要求すれば確実に「犯罪」だ。だとすれば、こちらが相手の事情を慮り、相手を満足させる。


 つまり相手にしてみれば「そちらが提案するのを待っている」あるいは「俺の気持ちを察(さっ)しろ」というわけだ……厄介(やっかい)なことに。



 「魔法使いじゃないんだからさ……」


 これは赤木の先輩の朝田新《あさだあらた》の言葉だ。そう、相手は間違いなく、謝礼の内容をグレードアップしろと考えている。


 だとすれば、さながら「魔法使いの如く」相手の気持ちを汲(く)み、そして謝礼の内容を弾むと提案すれば、きっと相手はこちらの要求を受け入れるはず……



 少なくとも、今の金子の判断はそうだった。


 「別に、たかろうってわけじゃないですよ」

 「たかるなんて……そんな」

 「こんな課題があったって、いいじゃないですか」

 「まあ確かに、そうですけど」


 正論(せいろん)、といえば正論である。しかし何というか……


 世の中には「大人の事情」というものがあるではないか。少なくとも今までの慣例(かんれい)を破ろうとするならば、なぜ事前に相談の一つもしてくれなかったのだ。



 「別に、ずっとこの課題を出すとは言ってませんよ」

 「じゃあ、今度は……」

 「さあ、どうでしょうか? 」

 「さあって、そんな無責任な! 」

 

 彼等に謝礼をするのは、当然だが「課題図書の指定」が条件だ。それを一方的に破った上、今後の予定も白紙だという。そんな不安定な状態の中、一方的にこちらが「持ち出し」をするなど、到底できるわけではない。



 (所詮(しょせん)、「親方(おやかた)日(ひ)の丸(まる)」ってやつか……)


 金子はそう嫌味の一つも言ってやりたかった。しかし先程(さきほど)の態度から、また彼が突然、「モンスタークレーマー」に豹変(ひょうへん)すると思うと恐ろしくなり、やめた。



 「とにかく、このままでは困ります」

 「ならば結構ですよ」

 「結構ってね~……アンタ」

 「アンタとは何だ! 」


 やばい、と思った。せっかく鎮静化(ちんせいか)したと思ったのに、ここでまた彼の怒りに火を付ければいよいよ、彼のクレームは「エンドレス」だ。


 そんな面倒な案件にこれ以上付き合うわけにはいかない。


 「あの、本社に戻って上の者と相談致しますので」

 「そうですか、じゃあそういうことで」


 ……とにかく、この場は無事収まった。



 「逃げる」


 赤木は自分の伝票《でんぴょう》を手に取ると、足早に喫茶店を去った。まるで目の前にいるモ(・)ン(・)ス(・)タ(・)ー(・)ク(・)レ(・)ー(・)マ(・)ー(・)から逃れるかのように。



 「しかし一体、何が目的なんだ? 」

 

 結局、金子には最後まで玉野の意図《いと》が読めなかった。とりあえず本社に戻り、上司に現状を報告する必要がある。


 とにかく、今の自分が一人で解決するのは困難だ。上司に解決策の一つでも提示してもらえれば、と彼は思った。


 

 ――ブーブーブー


 金子が去るのと入れ替わる形で、マナーモードに設定していた玉野のスマホが鳴った。


 「もしもし」

 「どうも、嵯峨野《さがの》ゲームスの和久井(わくい)です」

 「ああ、どうも」

 「今、品川駅に着いたのですが」

 「そうですか、では駅に向かいますので」

 「よろしくお願いします」


 玉野は電話を切ると、席を立って伝票をとり、喫茶店の勘定《かんじょう》を済ませた。


 そして、その足で次の客が待っている品川駅へと向かった。

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