退院と感謝。
次に私が目を覚ましたのは一週間後の朝だった。
二人の顔を眺めながら二度目の眠りについた私はそのままなかなか目を覚まさず、保健室のベッドから病院に運ばれた。眠っている間に色々な処置が行われたらしく、目を覚ました私の腕には注射痕や今も繋がったままの点滴バックがあった。頭には締め付けられるほどの包帯が巻かれており、何故か視界はいつもの三分の二ほどしか見えていない。
依然、熱は引いていないみたいで体の怠さや重さは相変わらずだった。
私の意識が戻ったことを知って由紀菜さんや大和や奏、吉川さんらが駆け付けてくれて物凄く怒られた。
由紀菜さんなんか私が倒れたと聞いた時には卒倒してしまって数日間目を覚まさなかったらしい。
けどあれ?じゃあ私が保健室で見たあの眠り姫のような由紀菜さんはなんだったんだろうか。
聞いてみたところどうやら私が一度目を覚ました時にはすでに倒れて二日が経過した後だったらしい。わお、なんていう事でしょうか。
倒れる直前まで私と一緒にいた吉川さんは他の教師陣に問い詰められて大変だったとか。ごめんね?
由紀菜さんにはまた心配を掛けちゃった。
しかも時期が悪い。あと数週間で『あの日』だっていうこんな時にまた娘を失うかも……、なんて気が気でなかっただろう。
こうなるのが嫌だったから『この子』には何度も忠告してあげていたのに――。
看護師さんに注意されてしまうほど由紀菜さんに付きっきりで看病してもらったお陰もあり、目を覚まして一週間も経たぬうちに熱も下がって退院することになった。
目の方は網膜の損傷だかなんだかで包帯が外れないままだけど、体の方はもう何ともない。家に帰って、一緒にご飯を食べる時にでも由紀菜さんに心配掛けちゃったことを謝らないと。
そう思いながら入院生活最後の夜を過ごし、退院する日になった。
病室に来ると他の患者さんに迷惑がかかるから玄関ホールで待っている、と連絡が来た。迎えには由紀菜さんや清香さんと綾香姉さん。吉川さんに奏と大和、奏のお父さんの剛さん。保護者(+二人)が勢ぞろいだった。今の私がいるのも皆この人たちのお陰。
この人たちにはとても感謝している。皆私たちの幸せを願ってくれていて私もこの人たちにはいつまでも幸せでいて欲しい。
「みんな、ただいま!」
声に感謝を乗せて皆のもとへ走った。由紀菜さんが腕を広げてくれてので一目散にそこへ飛び込んだ。
「おかえり。無事に退院出来て、生きててくれてよかった……」
そう言って大粒の涙をポロポロとこぼしながら腕の中の私を力いっぱい抱きしめてくれる由紀菜さん。私はこの人が大好き。今までもこれからも私はこの人のことが大好きだ。もう『あの日』のような顔は見たくない。ずっと笑っていて欲しい。この人にも『この子』にも……。
抱かれる腕の中で自分の胸に触れながら願った。
私が倒れて以来他のことに手が付かずさらに成績を落としたらしい奏。どうやら件の日に倒れていた私を見つけてくれたのもこの子らしい。私が由紀菜さんの腕の中にいた最中もずっと瞳に涙を浮かべていた奏にも一言謝りつつ由紀菜さんがしてくれたように奏に力いっぱいハグしてあげた。
その後、奏の後ろで恥ずかしがって近寄ろうとしなかった大和にも同様にしてあげた。まさか私の肩がビショビショになるほど大泣きするとは思わなかったけど。
来てくれた人たちに最上の感謝をしつつ皆で我が家に帰宅する。その間、私の手を離さなかった由紀菜さん。それはまるで「もうどこにも行かないで」とでも言っているようだった。
だから私も「うん、どこにも行かないよ」という意味を込めてその手を握り返した。
「お姉さん、ちゃんと帰って来てくれて良かった。すごく心配したんだから」
帰宅して最初にハグで出迎えてくれたのは義妹の舞以ちゃんだった。私の九歳年下で現小学三年生。普段から何かとつっけんどんなこの子なんだけど今回は事が事だけに私の心配をしてくれていたらしい。
「心配させちゃってごめんね」
そう優しく声を掛けながら頭を撫でてあげるとすごく安心したようで、けれど私が心配なのか私の首から手を放そうとしない。しょうがないからそのまま舞以を抱っこする形で抱えてそのまま家に上がり込む。
帰宅しても手を握ったまま離そうとしない由紀菜さん。右腕は舞以を抱っこして左手は由紀菜さんに握られたまま。本当にこの親子はもう――。
目じりが熱くなってしまって首を振ってそれを誤魔化した。今になって気づいたことだけど、由紀菜さんが手を離してくれなかったのは左側の視界が見えていない私を支えるためでもあったのかもしれない。本当に優しい。
今日は私の退院祝いの簡単なパーティをしてくれるらしい。
流石に準備のためにと手を離した由紀菜さんだが、とても不安そうな顔をしているのが分かる。ここで「心配しないで」なんて言っても逆効果にしかならないだろうな。
そう思い結局私は不安そうな由紀菜さんの顔を見て見ぬふりで通した。
主役の私はソファに座っておとなしくいているように言われたのだが、なにぶん落ち着かない。それというのも久々に帰って来た家だというのもあるのだが、ここのところ料理をしていなかった由紀菜さんの包丁使いやら私のためにと頑張って皿運びをしてくれている舞以、パーティが始まる前からお酒を飲み始めて愚痴を零している吉川さん。そして吉川さんの愚痴に付き合う街田親子と大和の図。結局じっとしていることが出来ずにソファから立ち上がり舞以の皿運びの手伝いから由紀菜さんの料理の手伝い、愚痴を漏らしていた吉川さんをなだめて手伝うように頼む。吉川さんが動き始めたことで愚痴に付き合わされていた三人も解放され手伝いをするようになる。
皆で手伝いを始めたところで再び私はソファでおとなしくしているように指示された。今度は舞以が私の膝の上にいるので動くことが出来ない。
仕方がないのでおとなしくソファに座っていることにした。
私に向き合う形で私の膝に乗っている舞以が私の顔をジーっと眺めてくる。だから私もそんな舞以の顔を私もジーっと眺めた。いつもより視界が狭いせいもあってか舞以の可愛い顔が曇って見える。
「どうかした?せっかくの可愛い顔なんだから笑顔でいなよ」
少し茶化すように舞以の頭を撫でながらそう言った。
頭を撫でられて気持ちよさそうにしつつでも私の顔を見るとうつむきがちに顔を伏せる。その顔の意味にやっとこさ気づいた時、舞以の小さな手が私の本来左目があるはずの場所に巻かれた包帯をなぞった。
「姉さん、目は大丈夫なの?」
そう、もしかしたら舞以も舞以で表には出さなくてもずっと私の目のことを心配してくれていたのかもしれない。「よしよし」と呟きながら左目を覆うように巻かれている包帯を撫でてくれる舞以の顔は今にも涙が溢れてしまいそうな悲しげな顔だった。
「うん、大丈夫。お姉ちゃんの目はすぐに治るから」
気休めにしかならなくても、安心させてあげたかった。そう思って吐いた私の嘘の付き方にはどこか既視感があった。
けれど、その既視感の正体も掴めぬままにそれよりも、と泣きそうな舞以を手繰り寄せてギューと抱きしめてあげてソファの上に一緒に横になった。私の言葉に安心したのか少し明るくなった顔で私の腕の中に包まれてくれた舞以。そんな舞以と一緒にしばらく横になっているといつの間にか眠りに落ちていた。
料理が終わって盛り付けを奏と大和の二人に任せた由紀菜は気持ちよさそうに寝ている義姉妹の様子を微笑ましく見守る。
『あの日』までもうすぐだけど、でも今は昔を思い出して挫けている場合じゃない。今の私にはこの子たちがいるのだから、私がこの子たちを支えてあげないと。
この子たちにはこれからもこうして気持ちよさそうに眠れるような毎日を過ごしてほしい。そのためになら私はなんだってやってあげないと。
そう心に決め、自分の両の頬を両手で挟むようにして思いっきり叩いた。
気を引き締めないと、と自分に言い聞かせながら。
由紀菜さんに「ご飯できたから二人とも起きて」と声を掛けられるまでの数十分。長いような短いような夢を見た。
それは自らが体験してきた懐かしい過去のこと。
もう何年も前になる幼いころの記憶。
私が『私』になる前。
『あの子』との思い出だった。
「僕の分まで幸せに生きてね。約束だよ」
彼が最後に私に残してくれた言葉。その言葉を思い出しながら私の意識は覚醒した。
起きて自分の右の頬を涙が伝っていることに気がつく。隣には舞以がいるし、傍には由紀菜さんがいる。恥ずかしいし心配されたくないしで必死に右目を擦るけどそれでも涙は止まってくれない。もう我慢すらできなくなってきて次第に涙を抑えることもしないままに嗚咽まで漏れ始めた。目を覚ましてすぐにソファの上に蹲っていきなり泣き始めた私を心配して皆が寄ってくる。起きたばかりのそばにいた舞以は私に抱き着いて頭を撫でてくれる。由紀菜さんも「大丈夫、大丈夫」と背中をさすってくれる。奏や大和もそんな様子を見守りながら「愛以は一人じゃないから」なんて声を掛けてくれる。蹲って泣く愛以の様子を見て何かを思い出したらしい吉川大翔と街田剛の二人は少し悔しそうな表情を浮かべながら様子を見守った。
結局その日は由紀菜さんが用意してくれた料理には手を付けることもなく泣き疲れて寝てしまった。
翌日、目を覚まして昨晩の赤子のような自分の言動に羞恥を覚えながらも朝食時、一泊していったらしい皆に頭を下げた。突然泣き上戸になった理由についての釈明を求められたので正直に答えた。吉川さんには少し辛いことを思い出させてしまって申し訳ないと思った。けれど、当の本人でもある吉川さんは気にした様子を見せず「昨日の続きをしよう」と提案してくれたので助かった。
昨日由紀菜さんが作り置きしてくれていた料理を皆で分けて食べる。お店を出せるんじゃないかって思えるほどに凄く美味しい料理で舞以と二人お互いの顔を合わせて感激した。由紀菜さんも皆が美味しそうに食べているのを見て満足そうだった。
ある程度騒いでパーティは終了。昼過ぎには解散して由紀菜さんと私、舞以は後片付けに従事する。由紀菜さんは「二人でゆっくりしてていい」と言ってくれたのでしばらくは二人でソファに座ってテレビを見ていたんだけど二人してじっとしていることが出来なくて結局由紀菜さんの手伝いをした。
「二人ともありがとう」
と笑顔でそういった由紀菜さんはとても綺麗だった。
退院後ということで休学している私は特に何をするわけでもなく時間を過ごした。そして結局私の目も治らないまま『あの日』を迎えた。
『不知火彼方』が事故で亡くなったとされている日であり、『私』の16歳の誕生日。
ううん、違う。本当は――。
次からは過去の話を書いていきます。