05 ルナの思い
<ルナ個人の視点に切り替わります>
広い背中を追いかけ、足早に駅に到着する。
改札を抜けると運よく車両がやってきて、すぐに乗車することができた。
都心の日曜だけあって地下鉄は空いていた。
閑散とした車両内に二人して隣りあって座る。
教授は大学にいるであろう院生らに指示メールを連続で投げ込んでいる。
私はまったくの手持ちぶさたで、何も手伝えることがない。
幾つかの駅を過ぎる。
車窓から見えていたホームの風景が暗転し、鏡のように二人の姿を映し出す。
気づけば、なぜか朝比奈は思案顔を浮かべている。
「教授?」
「あ、はい?」
「どうかなされました?」
「いや、じつは…。今日これからの段取りについてなんですが…」
本日のスケジュールについては、助教の花井蘭から事前に聞いていた。
監察医務院へ挨拶にいったあと芹沢検死官らと合流し、長らく改装中だったという法医学教室B解剖室のお披露目をする予定だった。
私自身も新しく導入されるというB解剖室を楽しみにしていた。
なぜならそれは朝比奈教授が企画・設計した最新鋭の解剖室で、オペレーション確認していた花井助教も川島講師もできばえを絶賛していたからだ。
システム的には大学のデータベースや科捜研とも繋がっていて、一部データに関してはグループウエアとして特定の警察機関も利用できるようになっている。
ところがそこへ突然の司法解剖依頼。
それも検死官自ら直接依頼してきた案件。
教授からしてみれば、お披露目がいきなり初実践になるのだから、面食らうのも当然かもしれない。
「教授の予定、狂っちゃいましたね…」
「まぁ、そうですね。
で、 助教授、先ほどの話の続きになるんですが…
B解剖室での術式は従来方式とちょっと違うんです。
今日は見学するか、なんなら別日からの参加でも構わないですよ」
「いえ、そんなことで気を遣わないでください」
遠回しな【プチ戦力外通告】だろうか?
「職場の変化って結構、ストレスですし、
今日は今日で挨拶まわりだったので、気疲れしているんじゃないですか?」
教授曰く。
<企業のストレス度チェックリスト>の最上位ポイントにつながる項目がここ数日、スケジュール的に目白押しになっているそうだ。
多少のブラック体質が許容される大学研究室にあって、ここまで気遣いのできる教授はごくわずかだと思う。
「とんでもありませんわ。
さきほどリンさんにもいいましたが、私はあくまで朝比奈教授のもとで修行させていただくため、准教授という肩書きをいただいている身なんですよ」
「助教授、何もそこまで卑下しなくても…」
教授は困惑の表情をみせたが、事実は事実だ。
生え抜きの院生、研究生からの昇進ではなく、外様からの准教授。
いくら朝比奈教授が善良な人であっても、恩師でもある大道教授からの依頼でなければ即決で断っていただろう。
事実、助教のラン女史から私は、まだ値踏みされている段階だ。
講師の川島は、距離感を測りかねているのか遠巻きにみている。
その他の院生たちも似たようなものだ。
「ですから、何としても参加させてください。
ご迷惑をおかけするでしょうが、何とかお願いします」
懇願する私の言葉は、車内アナウンスにかぶってしまった。
「そこまでおっしゃるなら…。
本来なら助教授がやることじゃないんですが、講師の川島君と同様、アシスタントとして手伝ってもらうことになりますが、構いませんか?」
「もちろんですわ。喜んでお手伝いさせていただきます」
車両が次駅に到着するも、やはり人影はまばら。
扉が閉じられる間際の発車メロディーをただ無心に聞き流していたが、
違和感を感じて教授の手元をみると、彼のラインメール着信音だった。
「おっと、はやくも芹沢さんから現場写真がとどきましたね」
ざっと写真に目をとおした朝比奈が、どうやら、それほど急がなくてもいい案件みたいですと、さも安心したかようにため息をつく。
地下鉄は再度、闇の中に滑りこんでいく。
揺れる車内でかすかに教授の肩とふれる。
こんな近くに寄りそうのは赴任してきて初めてじゃないだろうか。
私は自分の居場所を確保するチャンスを手に、やっと納得できた気がした。
恩師がなぜ東京大学や慶應義塾大学といったメジャーどころの法医学教室ではなく、MD大学へ行きなさいと勧めてくれたのかが。
朝比奈教授が築き上げた人的ネットワークとそれを支える支援システム。
そして教授自らが監修・改造したという大学の解剖室。
それらをみせてもらって気づいたが、類をみない先進性あふれる機能が数多く組み込まれていた。懸命に工夫を重ね、一般的な道具を手に馴染む道具に作り変えた努力のあらわれだ。だからきっと新しい解剖室だって、さらなる機能が追加されているはずだ。
まさしく革新、そのものだ。
でも同時にそれは、本流から見放された少数派にしかできないことでもある。そこに到達するまでにどれほどの犠牲が支払われたか、想像を絶することだろう。
法医学教室のメジャーもマイナーも知り尽くした恩師は、すべてを承知のうえで、歴史が浅いゆえの自由度と貪欲さが混在するこの大学/MD 大学へ送りこんでくれたのだ。
私は自分が、子どものころからマイノリティであることを自覚していた。
たいていの親が期待しているステレオタイプの女の子が好むオシャレや「こうあるべきだろう」という理想の姿にまったく近づこうとしない自分がいることに気づいていた。いや、ある程度は周囲の人にあわせることはできるし、実際にそうして過ごしてきた。
だが、いつもそこには痼りのような違和感が残ってしまう。
そう。この私はやはりマイノリティ側の人間なのだと思う。
それは研究に対してもだ。
ならば…。
少数派は少数派にしかできない努力や工夫を積み重ねるしか生き残る術を得られないだろう。
朝比奈教授がそうであったと同じように…。
恩師は私の成長を願い、革新を実践している開拓者のすぐそばに送り込んでくれた。
本当に感謝しています、先生。
たとえ報われなくても自分なりの道をここで開こうと思います。
先生がくださったこの機会を活かして。
※1 物語としての設定です。
公職は縦割り社会なので、組織を横断するデータ共有はありません。
※2 本来、検死官から現場写真のデータが届くことはありません。
捜査員と関係者の予断(思い込みや根拠のない推察)を防ぐためです。
警察組織による情報の囲い込み、独占/特権と批判されることもありますが、
個人情報の保護の観点から、徹底されています。