03 同日、同時刻
※注 犯罪を想像させる死体の描写などが出てきます。
苦手な方はご注意ください。
同日—。
四月の第二日曜、午前中。
花冷えとはよく言ったもので、春の暖かさをかき乱す突然の冷え込みだった。
そんな寒空のもと。
東京は文京区大塚にある監察医務院に向かう、一組の男女の姿があった。
男の名は、朝比奈修一郎。
今春、MD大学法医学教室の教授に就任したばかりのイケメンだ。
その長身な彼に連れ添うのは、少しばかり表情の硬い美女、 高見 留奈。
彼女もまた、同大学の法医学教室に准教授として就任したばかりだった。
二人はもうひとつの新しい赴任先、監察医務院へ挨拶に訪れていた。
年度初めの公的機関では、風物詩のひとつといえるかもしれない。
通い慣れた朝比奈にとってみれば、監察医務院は第2のホームグランド。
空調の効いた暖かい室内へと進めば、気持ちも落ち着く。
高見もつられてか、ほっとした表情をみせている。
監察医務院の事務局は、部署ごとにパーテンションで区切られている。
開けっぴろげのワンフロアが閑散とした印象をみせるのは、平日とは違い、出勤している職員の数が少ないからだろう。
この日、休日出勤してくれた上長に、朝比奈が同伴者を紹介する。
わざわざ挨拶を休日にしたのは、常勤の監察医たちに配慮してのことだった。
「彼女は本年度からMD大の法医学教室に所属することになった高見准教授です。
しばらくは私の所属する高木班で監察医補佐として勤務します。
これからよろしくお願いします」
「 高見 留奈です。よろしくお願いいたします」
そろって頭をさげる両人に、上長は開いた口が塞がらない。
当然といえば当然かもしれない。
三十四歳という驚異的な年齢で法医学教室の教授になった朝比奈監察医が、さらに若い美形の女医准教授を、補佐とはいえ監察医として連れてきたからだ。
本来、監察医務院は、東京都 健康局医療政策部の出先機関にあたる。
同様に都立病院もそのなかに含まれるが、新しい赴任先の公立病院で女医が各部署を挨拶にまわるのとはワケが違う。
なぜなら、監察医務院での仕事の中心は、あくまでも「死体検案(検死)」。
行政解剖の名の下、死因を解剖によって徹底的に調べねばならない。
女医が志願してまでやりたがるほど、生やさしい仕事ではない。
聞けば彼女は仮にもMD大学法医学教室の准教授だとか。
すると犯罪容疑のからんだ「司法解剖」にも関わるのだろう。
一般的な死因究明を目的とする「行政解剖」中に、もし犯罪の嫌疑がかけられた場合、たとえそれが途中からであろうと「司法解剖」に切り替えられる。
無論、警察にだって検死官が存在する。
解剖を担当するわけではないが「司法解剖」を依頼するかの判断を下す。
そんな汚れ役に志願する者がいないからこそ検死官の任務は二~三年で終了し、あとは各警察署の署長か副署長へ栄転という、言わずもがなの恩賞がついている。
そうした褒美がなければ、誰が検死官になろうとするだろうか。
が、しかし。
実際に「司法解剖」を受け持つ法医学者には、その褒美さえ存在しない。
そもそも警察が依頼してくる「司法解剖」には変死体が多い。
まるで眠っていると表現されるような死体は、まず望めない。
一般人なら、いや当の警察でさえ顔をそむけるような例がほとんどだ。
首をつった自殺死体や、ウジのわく猛烈な異臭を放つ腐乱死体。
ふく膨れあがった水死体、焼死体、バラバラになった轢死体。
准教授でもある彼女は、当然それらを担当するということになる。
◦ ◦ ◦
上長への形式的な就任挨拶のやりとりが済んだタイミングを見計らって、パーテンション越しに笑顔で小さく手招きする者がいる。
事務担当の花井竜胆だ。
朝比奈は上長へ軽い会釈をいれてから彼女の方に歩をすすめる。
パーテンションの切れ目から姿をあらわした花井が、ぺこりと頭を下げる。
「ヒナ先生。この度のご昇進、おめでとうございます」
彼女の上目遣いに意味はない。
ない・は・ず…?。
うーむ。どうなんだろう?
ただ単に朝比奈の顔の位置が高いだけ、なのかもしれない。
「ありがとうリン。
…とはいっても、これまでとやることは変わらないんだけどね」
と、朝比奈がみせる親しげな笑顔に、思わず女性事務官の表情もほころぶ。
「それでも院生のときからご一緒させていただいてる私たちも、うれしいですよ」
「い、院生のころから、ですか?」
隣にいた高見が目を見張る。
それをきれいにスルーした朝比奈は、事務担当の花井にも彼女を紹介する。
「そうそう、リンも聞いていたと思うけど。
こちらがMD大学法医学教室の新しい准教授、高見留奈先生。
しばらくは僕と一緒に監察医としてローテーションに入らせてもらうよ」
紹介を受けた花井は高見に正対し、
「花井竜胆です。
皆さんにはリンって呼ばれています。よろしくお願いしますね、高見先生」
と頭を下げ
「そのお若さでもう准教授でらっしゃるとは、とても優秀な方なんですね」
と笑顔を添える。
すると高見は苦笑いしながら、
「いえ、朝比奈教授にご指導いただくための仮初めの肩書き?みたいなものです。
こちらこそよろしくお願いします…
って、あら。花井さん? 花井さんはもしかして…?」
と、途中からは当人にではなく、朝比奈に向かって疑問を投げかけている。
朝比奈は彼女が投げかけた疑問の意図を汲み、笑顔でうなづく。
「そう。うちの教室の助教、花井蘭の妹さんだよ、リンは」
「に、似てらしゃいますものね」
高見が挨拶の言葉を投げだしてまで、疑問を呈したのもムリはない。
着ている事務服を白衣に替え、黒縁メガネを外せば花井蘭助教のできあがりだ。
高見は若手教員であるラン助教に、多少なりとも苦手意識を持っているようだ。
そこへ、さらなる追加情報を朝比奈が紹介する。
「で、科捜研の法医科にはそのまた妹のレンちゃんがいてね。
ラン・リン・レンといえば警察関係者の間では美人三姉妹として有名なんだ」
「そ、そうなんですね」
「美人三姉妹だなんて…ヒナ先生。あの、お、お世辞でもうれしいです」
もしリンに尻尾が生えていれば、ブンブンと振られていたことだろう。
けれど花井三姉妹が警察関係者にアイドル扱いされているのは本当のことだ。
おもに高い年齢層のオッサンたちを中心にだが…。
「高見先生。妹は睡蓮っていいます。
ちょっとキラキラネームっぽいですけど、やはり花の名前からです。
私と一緒で、皆さんからレンって呼ばれています」
「そ、そう。そうなのね…」
法医学者の若き女医ということで、いつも周囲を驚かせてきた高見は、自身が驚かせられることに慣れていなかったのかもしれない。
一方リンからすれば、自己紹介の際に姉・妹の紹介をすることはいつものやり取りでしかない。
だからこそリンは、本来の目的だった事務手続きの話を持ちだす。
「ところでヒナ先生、文科省のほうは兼業許可の申請、済ませていますか?」
「えぇ、もちろん先週に。あとの手続きはお願いしますね、リン」
「はい、了解です。…ということはダイ先生もご存じなんですね」
「えぇ。というより高見先生は大道教授からの紹介なんです」
一番知りたかったことが聞け、リンはほっと小さく息をつくのだった。
やっとヒロインである女医の登場。
けれど、このヒロイン…。見た目はいいんですが、中身は残念女子なんですよね。
もちろん本人も自覚していて、次々回で独白回想する予定です。
そんな彼女がストーリーをどう転がしていくのか、私自身も楽しみです。