第七話 ゴブリンの悲劇
「では、シラノ様。お元気で」
「ああ、ユリア様もお元気で」
王城城門前でシラノはユリアに別れを告げ、用意された馬車に乗り込む。馬車の周りにはアードラース辺境領から迎えにきた騎士達が乗馬して、いつでも出発出来るように待機していた。
彼はこれから王都を出てアードラース辺境領へ向かおうとしていた。就任式や就任のパーティも終わり一段落した為、改めて勅命を言い渡されたのだ。
帝国が最近不審な動きをしているため、軍を強化し何かあれば即座に対応出来るように努めよと言われたのだ。そして、可能であれば調査せよと。
「全く、この世界は私を飽きさせてはくれないな」
小刻みに揺れる馬車の中で一人、彼は嬉しそうにそう呟いた。
だがその言葉とは裏腹に、彼にとって道中はとても退屈なものだった。それもそのはず、護衛の騎士達は誰も彼に話しかけられずにいたのだ。食事や野営の準備など最低限のやりとりはするが、それも事務的なもので騎士達から話しかけた場合のみ会話が成立していた。
彼らは皆前領主に仕えていた身。新たな領主がくれば、ある程度を残して総入れ替えされることだって珍しくない。それ故に、彼らは本来シラノの機嫌を取らなければならない。しかし、シラノの人柄が問題だった。顔は整っているが、どこか胡散臭い雰囲気を纏っており、漆黒のローブがさらにそれを助長している。その上時たま独り言を呟いているのを騎士達は聞いており、彼らの間ではどうにも難しい性格人物だという話になっていた。変人だと言わなかったのはこの場合彼らの良心と失業への不安故だろう。
一方、彼らとのコミュニケーションをうまく図れていないシラノ本人はというと、どこ吹く風といった様子で、特に何とも思っていないようだった。彼にとって騎士達は自分が賜った領地に付属していたものであり、仕事をしているのならどうでもよいといったスタンスだった。
しかし、シラノも特に彼らを拒絶している訳ではない。彼は視界端のマップに赤いマーカーが表示されたことを確認すると、小窓から顔を出し同行する騎士達に向かって話しかけた。
「ところで君達」
「ハ、ハイッ!」
突然話しかけられたことで、彼らは何か粗相をしてしまったのではないかと体を堅くし緊張する。話しかけられなかった他の騎士も何事なのかと、全員が視線を集中させた。
「そう緊張するな。君達はアードラース辺境領の騎士なのだったな」
「そうですが……」
「いやなに、それなら戦いに関して多少の心得くらいはあるのだろう?」
「それはまぁ……」
シラノがなにが言いたいのか全くわからない騎士達は、釈然としない様子で答える。
「ならばそろそろ準備をしたまえ」
彼は再度視界端のマップを確認し、そろそろ目視出来る頃かとあたりをつける。
「準備と言われましても……一体何の」
「敵襲ッ!」
何の準備を、と言おうとしたところで、騎士の一人が敵の発見を全体に知らせる。その声に、騎士達は咄嗟に周囲を警戒し始めた。
「敵はゴブリンの群れ、数は不明! 数百はいるものと判断します!」
敵の数の余りの多さに騎士達が浮き足立つ。
ゴブリンは雑魚だ。それはこの世界共通の認識であり、騎士にもなれば十体くらいは一人で相手に出来る。しかし、今回の場合はあまりにも数が多すぎた。
ここにいる騎士達の数はせいぜい三十といったところ。三十で数百の相手をするというのは余りに無謀だ。正面から防いでも、必ず物量で押しつぶされてしまう。
浮き足だった騎士達を確認すると、シラノは停車するよう御者に命令し馬車から降りた。
「ここはもう我アードラース辺境領だったかな?」
「なっ!? 危険です辺境伯様。あの数ではいくらゴブリンと言えど太刀打ち出来ません!」
逃げの一手しかないと言う騎士に、シラノは明らか様なため息ついた。
「いいから答えたまえ。これは命令だ」
新しい領主の始めての命令を無視するわけにもいかず、数百のゴブリンを恐れてか、はたまた新領主の命令違反による罰を恐れてか、騎士は焦った様子で答えた。
「そうです! ですので今すぐに馬車へお戻り下さい。早く逃げましょう!」
逃げるのだから早く馬車に戻れと急かす騎士に、シラノはあきれたように言葉を漏らす。
「愚か……全く愚かだ。あの程度の敵もどうにか出来んとは、一体今まで訓練でなにをしてきたんだ」
シラノはあの程度の敵に逃げる必要などないと当然のように言い放ち、その言葉に騎士達は絶句した。
彼らも自分たちが仕えることになる新たな主人が強大な力を持つ魔術師であることは知らされていた。しかし、それはあくまでも宮廷魔術師――王宮に雇われる魔術師より多少強い程度だと考えていたのだ。辺境伯になったのは、なにか政治的な意図があったのではないかと。
しかしシラノが言うことが正しいのなら、彼は宮廷魔術師どころか、この世界で追従するものはいないほどの魔術師ということになる。実際には、彼を傷つけるほどの魔術師はいないのだが。
「おまえ達はそこで見ていろ。私が相手をする」
「しかしッ!」
「ただし、私より前には決して出るな? まだ死にたくはないだろう」
もう彼らの見えるところまでゴブリンの群れは迫っているのにも関わらず、シラノは悠々と歩きながら騎士の前へと出る。彼らからすれば死にに行くようなものなのに、全く気負いのないシラノ姿に彼らは固唾を飲んで見守るしかなかった。
一方から目視出来るということは、ゴブリン達からも目視出来ているということである。ゴブリン達は彼らを目視した段階で金切り声をあげ、地鳴りを起こしながら向かってきていた。
「ふむ、普段は劣等や塵芥程度相手にはしないんだがな。しかし、お前達は少々騒ぎすぎだ」
常人ならばその迫力と恐怖で動けなくなってしまう程のゴブリンの行軍を、塵芥だと言い切るシラノに姿に、騎士達は頼もしくも恐ろしく感じていた。
「見たところ、君達の中にも魔術師がいるだろう。だが、君達が今日まで使ってきた魔術は赤子の児戯に等しい粗悪品だ。先人としてそれを君達に教えてやろう」
シラノは楽しそうに口端をつり上げ、眼前に迫ったゴブリン達に向かって右手を翳す。
「召還――アブホース」
その瞬間、ゴブリン達が次々と転倒していき行軍が止まった。
騎士達は何事かとゴブリンが立っている場所を注視すると、そこには灰色がかった液体とも固体とも言えぬ忌まわしき塊が広がっており、一種の沼のようになっていた。それはまるで神が生物を創造する上での失敗作のようである。
その塊からはあらゆる生物の手足が伸び蠢いていた。その動きはそこから這い出ようとしているように見え、それを阻止するため引きずり込もうとしているようにも見える。
だが確かなのは、ゴブリン達がその塊に徐々に飲み込まれているということである。そこから伸びる手足はゴブリン達を掴んで離さず、自らへと引きずり込んでいく。
その姿を見ていた騎士達は、嫌でもそれが自分たちを飲み込む姿を幻視させられていた。
その塊はすべてのゴブリンを飲み込むと、じくじくとまるで地面にしみこむように少なくなっていき、最後には跡形もなくなってしまった。
シラノはアブホースが完全に地中にしみこんだのを確認すると、騎士達の方へと向き直る。
「ちゃんと見ていたか? 魔術というのはこういうものなのだよ」
彼らはシラノの力を目の当たりにし、なんの反応も返せずただ呆然としていた。