第三話 褒美、王城にて
アーデルハイト王国王城、その王の執務室で一人の男が落ち着きなく室内をうろつき回っている。彼こそがこのアーデルハイト王国の国王ルドルフ一世である。国王らしからぬその落ち着きのなさに、控えていた宰相が注意を促した。
「陛下、もう少し落ち着かれてはいかがですか」
「ええい、これが落ち着いていられるかッ!」
彼は仮にも国家元首であり、普段はこれほど取り乱すことはない。しかし、先ほど彼の元に届いた知らせを聞いてからずっとこの調子である。
ドラゴンに襲われた娘が生きていたのだからそれも仕方ないことなのかも知れない。彼も人の親だ。葬儀の予定をどうするかという話が持ち上がり始めていたときに、娘の無事が確認されたのだ。彼としては居ても立っても居られないのだろう。
ルドルフ一世が自ら迎えに行くと言い出しかねない様子なのを周囲のものが必至になだめているとき、突然その部屋の扉が開け放たれる。控えていた近衛兵は瞬時に武器を構えるが、それは杞憂であった。
「お父様ッ!」
部屋に飛び込んできたのはユリアだった。彼女は部屋に駆け込むなり父親の胸に飛び込む。
「おお、ユリアよ。よくぞ生きて帰ってきてくれた」
「はい。シラノ様が助けてくださったおかげです」
「何、シラノとな?」
「はい、とても強力な魔術をお使いになる魔術師の方です」
娘が目を爛々と輝かせて語る様子に、ルドルフはそんな人物はいたかと疑問に思う。
「エヴィンよ、自国他国問わずにそのような魔術師は存在したか?」
「はて、寡聞にして聞いたことがありません」
ルドルフの疑問に宰相のエヴィンが答える。ルドルフは宰相の反応にますます首を傾げる。
「ユリアよ。そのシラノとか言う人物はそれほど強力な魔術師なのか?」
「それはもう。たった一撃でドラゴンを粉砕してしまわれたのを私はこの目でしかと見ました」
ルドルフをエヴィンは、彼女が何を言っているのか一瞬理解が出来なかった。何しろドラゴンとは最強の代名詞だ。大人のドラゴンともなれば、一国の軍隊を派遣しなければ討伐など到底出来るものではない。
「ユリアよ、それは本当か?」
「はい、それはもう跡形もなく」
ユリアは熱に浮かさせるように恍惚としながら、その時の様子を彼らに事細かに説明した。彼女がシラノとビヤーキーに乗って王都へ向かっているとき、一匹のドラゴンに遭遇した。
ドラゴンの中でも風の属性を司ると云われるウインドドラゴン。全ドラゴン中最速といわれ、並みの魔術師では魔術を当てることすら出来ないといわれている。
ウインドドラゴンはシラノ達を襲ったとき、彼らのさらに上空から滑空するように襲撃した。シラノはナビのマップにより事前にその接近を察知しており、近づいてきたところに準備してあった魔術を当てただけだが、ユリアから見ればいきなり襲われたところを即座に魔術を発動したように見えた。
説明が進むに連れて、ルドルフとエヴィンの顔色が徐々に悪くなっていく。
「陛下、ユリア様が嘘付いているようには思えません。可能であれば早急に我が国へ取り込むべきだと思います」
エヴィンがルドルフに耳打ちする。その内容に対して、ルドルフも大きく頷いた。
「うむ。ユリアよ、シラノは客間に通されたのだったな?」
「はい」
「ユリアを助けてくれた人物だ。私が直接出向いて礼を言わねば!」
客間にいることを確認したルドルフは、わざとらしい口調でそう言いながら勢いよく立ち上がった。
彼がエヴィンと共に部屋を出て行こうとすると、ユリアが彼の袖を引きそれを止めた。
「お父様、彼は絶対に他国へ渡してはなりません。無理に力で従わせるのではなく、高い地位につけることでこの国に縛るのです。場合によっては爵位を与えてでも構わないと思います」
「なっ……そんなことをすれば各方面の貴族の反発を招くぞ?」
ユリアのアドバイスにルドルフは必ず起こるだろう反発の可能性を示唆すると、彼女の瞳が怪しく光る。その幼顔から表情をなくし、口端だけを吊り上げ冷たく笑う。
「その程度、後でなんとでもなります。場合によってはあえて小規模の反発を誘発し、彼の力で制圧してしまえばそれだけで表立った反発はなくなるでしょう。彼の力はそれほどのものです」
「そ、そうか。必ず王国に引き込めるようにしよう」
ユリアが浮かべる冷たい笑みに冷や汗をかきながら、ルドルフ達は寝室を後にした。
エベルに連れられて王城までやってきたシラノは、そのまま客間まで通された。部屋の扉の横にはメイドが二人立っており、何かあれば申し付けるように言われている。待遇としては至れり尽くせりだ。しかし、彼はこの状況を余り好意的には受け取っていなかった。
(メイドが二人。二人とも体の重心がブレていないな)
それだけならばメイドとしての教育が完璧だというだけで済ませたが、彼には彼女達が歩く姿が前の世界で襲われた暗殺者の姿と被って見えていた。
(暗殺か監視か……この世界に来てからまだ一日経っていないのだから、暗殺ではなく監視だろうか)
そうあたりをつけたシラノは、せっかく提供されているサービスを利用しないのはもったいないと思い、メイドに紅茶を用意させティータイムを満喫することにした。
『眼前の紅茶に薬品反応あり。薬物特定開始――失敗。記録にない薬物です』
(おや、監視かと思ったがこれではどちらか分からなくなってしまったな)
ナビの報告を聞きながら、シラノは何か対策をするでもなくそのまま飲み始める。
「紅茶など久しぶりだ。実に美味。そしていい香りがする。陰謀の匂いかな?」
彼はメイドの様子を一瞬確認するが、動揺したような様子はない。特に反応がない様子に彼は肩をすくめながら紅茶を飲み続けた。
適当な菓子類も用意させ彼がしばらくティータイムを満喫していると、突如部屋の扉がノックもなしに開かれた。部屋に入ってきたのは二人。一人はその頭上に金の冠を被っており、半歩後ろを歩いてくる男よりも数段良質な衣装を着ている。このことから国王だと予想することは難しくない。しかし、シラノはそんな人物には目もくれず、紅茶と菓子を堪能している。彼らがシラノの直ぐそばまで来て立ち止まったことで、ようやく気付いたかの様な素振りでシラノはそちらを振り返った。
「おや、一体どちら様かな?」
「余はルドルフ一世、この国の国王をやっておる」
「国王陛下に先に名乗らせてしまうとは、とんだ失礼を。私の名はシラノ、しがない魔術師をやっております」
失礼だといいながら、シラノは座ったまま自己紹介し紅茶を飲んだ。
(なるほど、確かに魔術師だ。しかしこのタイプか……厄介だな)
ルドルフはシラノの対応に顔を顰めていた。この世界の魔術師には大まかに二種類のタイプがいる。一つは既存の魔術のみを覚え利用する、魔術を純粋な道具として使うタイプ。兵士や冒険者がこのタイプだ。もう一つは魔術以外の一切に興味を示さず、魔術の深淵を目指し堕ちて行くことのみを目的にするタイプ。研究者は大抵このタイプであり、ルドルフはシラノをこのタイプだと判断した。
前者は普通の損得勘定を持っているため、引き込む際に取引することが出来る。しかし、後者に取引を持ちかけても意味がない。彼らは自身の研究テーマにしか興味が向いてないからだ。どれだけ金を積まれようとも、それが自身の研究に必要ないものならば決して取引には応じない。しかも、強力な魔術が使える魔術師は総じてこのタイプだ。
ルドルフの予想は半分当たっていた。彼は既に魔術の深淵にたどり着いた人間であり、もはや研究を必要としていない。だが、彼の興味は愉快に生きることにしか向いていない。シラノは空虚な生活を送りたくないだけであって、面白いと思える取引には普通に乗るだろう。
ルドルフはシラノと会話を続けながら、どうやって彼をこちらに引き込もうか思考をめぐらせる。
「シラノよ。娘から命を救って貰ったと聞いている。それに関して礼を言おうと思ってな。ありがとう」
「構いませんよ。私も久々に人と会話をしたのでね。楽しい時間を過ごさせてもらった」
「久々に会話したとは、どこかに篭もって研究でもしていたのか」
「あいにく、私の研究はすでに終わっていまして。その研究成果で自己を高めていただけだ」
その言葉に、ルドルフは背筋に冷たいものを感じた。研究が終わったとはつまり、彼は一つの深淵に行き着いたと言っているのだ。会話を重ねれば重ねるほど娘の言葉が真実味が増していくのに、彼は焦りを感じ始める。
「それで、用件はそれだけではないのだろう? 私はこれからの生活方針を定めていないのでね。なるべく早くして頂けるとありがたいのだが?」
「ああ、シラノには……褒美を出そうと思ってな。そちはこの国の王女の命を救ってくれた。ならばそれ相応の褒美を出さなくては王家の恥というものだ」
シラノにこの国に仕えるよう打診しようとしたルドルフは、娘の言葉を思い出し褒美を出すという方向に切り替えた。
「ふむ、褒美というのは一体何が頂けるのかな?」
「欲しいものがあれば可能な限り用意させるが、私としては領地を与えても良いかと思っている」
シラノは魔術師ゆえに余計な交渉は無用と考え、ルドルフは思い切って直球で話してみた。勿論、娘の助言どおり押し付けるのではなく、あくまで別の道を用意した上でだ。
シラノはルドルフの要求ともいえる褒美の意図に当然気がついていた。しかしその上で、彼はこの条件に乗っても言いかと考える。彼が求めているのは日常の刺激だ。そして彼は思った。そういえば、前の世界でも貴族というのはやったことはなかったなと。
「領地か。随分と太っ腹ですな」
「娘の恩人だからな。下手な褒美は渡せんよ」
「そうか、そんな娘の恩人に渡す領地だ。さぞ素晴らしい場所なのでしょう?」
シラノはこの褒美を受けることに決め、笑顔を取り繕ったまま真面目な交渉に切り替える。
ルドルフはシラノの探るような質問に、内心怪訝そうに答える。
「勿論だ」
「私は魔術師故、それ以外のことはからきしでしてね。そんな浅学非才な私に、どのように素晴らしいのかご教授いただければ幸いです」
「到った魔術師が浅学非才などとは、またおかしな冗談を言う」
「私は領地どころかこの国の地理にも明るくない。自分が賜る領地がどのような場所なのか、事前に分からぬのはとても不安なのですよ」
ここにきて、ルドルフはシラノの言いたいことを把握する。彼は腐った領地など渡すなと牽制しているのだ。しかし、娘の忠告を受けていたルドルフにそんなつもりは毛頭ない。魔術師にも関わらずこれだけ俗的な交渉をするシラノに内心驚きながらも、ルドルフは安心して交渉を続ける。
「そちに与えようと思っている場所は山の幸が豊富でな、人口はそれほど多くはないが下々の生活が豊かだと聞いている」
ルドルフとしてはぽっと出の、それも政を知らないシラノにそれほど大きな領土を渡すつもりはなかった。魔術師として強大な力を持っているのなら尚のこと、彼には政治面での力を持たせたくはないと考えていた。
「ふむ。一つ聞きたいのだが、その土地はユリア姫の命の対価に相応しいほどの土地なのですかな?」
その一言でその場の空気が凍りついた。
「貴様……一体何を」
「貴方は先ほど王女の命を救うに相応しい褒美を出すと仰った。だからこそ私は問うたのですよ。それは、この国の第三王女の命を救った対価として相応なものなのかと」
そこでルドルフは自身の失言を理解する。シラノはつまるところルドルフに娘である王女の価値を決めろと言っているのだ。
「これから私が仕えることになるかも知れない王家の方が、恥などかいてはいけないと思いましてな。僭越ながら助言させて頂いた」
ルドルフは言葉に詰まってしまった。大きな領地を与えれば、それと同時にその領地にふさわしい爵位も与えなければならない。シラノは遠まわしに、王女の命に見合った爵位をよこせといっているのだ。しかも、その命の価値はルドルフ自身に決めさせようとしている。
ルドルフとエヴィンが脂汗をかくなか、シラノだけは涼しい顔をしながら、交渉というものも存外面白いものだなと思い直していた。
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