第三十六話 彼らの悲願(中)
アヒムが開けはなった扉のその先には、間違ってもこの地上に存在する生物にも該当しない、おぞましくも奇怪な玉虫色の肉塊が存在した。部屋の中心で暴れるように蠢くそれを発見したアヒムは、それが間違いなく彼らの家系が追い求めていたものなのだと確信した。
「お、おお! これが……この先に我らが求めていたものがあるのか……」
アヒムは歓喜の余り自然と涙をこぼしていた。それも仕方のないことだろう。彼ら貴族にとって家とは誇りそのものであり、その悲願が今叶おうとしているのだから。
アヒムは流れた涙を拭う事も忘れ、ディートの首もと掴み押し倒した。そして、懐から銀の鍵を取り出し握りしめる。
「ディートよ、お前の役目を果たす時が来たぞ……我らが悲願、共に掴もう」
アヒムは物心ついた時から何度も繰り返し教えられ、今まで忘れることは決してなかった長々とした呪文を唱えながら、虚ろな目で天井を眺めているディートの胸元に突き立て体内を抉るようにして、何度も練習させられた回し方でゆっくりと回していく。
だが、ディートの体内にまで食い込んでいるはずであるが、一滴も血が出ることはなかった。
何かがはまったかのような軽快な金属音が聞こえると、ディートの身体は徐々に光りの粒子となって、部屋の中央で蠢いている肉塊に吸い込まれていった。
――これで、我らの悲願が叶うのか。
眼前と肉塊としか表現しようのないものの存在が強大に膨れ上がるのを、アヒムは第六感のような超感覚的な何かで感じ取り、その悲願達成に感極まっていた。
そこから起こった出来事を、アヒムは具体的な言葉で名言することは出来なかった。そもそも、その現象を表す言葉が地上に存在しえないのだから、表現のしようもない。
そこはすでに先程までいた地下の一室ではなく、人の言葉では表現する事の出来ない、時間を超越した異次元の空間であるのだと、先祖より伝えられてきた話と自身の想像力でアヒムはそう考えた。
そして、彼はこれで第一の門を抜けたのだと確信した。だが、どれほど待とうと案内人が来ることはなく、彼は正しく認識出来ない空間に徐々に精神を蝕まれながらも、必死に考えた。
窮極の門を抜けるには正しい手順が必要である。
まず、銀の鍵にて第一の門を抜けると、案内人が現れその意思を問う。そして、その後さらに正しい手順により窮極の門は顕在化し、障害を乗り越えた者のみが、窮極の門を潜ることが出来るのだ。
アヒムは一つ大きな勘違いをしていた。
彼が開いたのは第一の門ではなく、シラノがその強大な力により無理矢理その一部のみを切り取り具現化している窮極の門の守護者にして案内人そのものなのだ。
アヒムはディートの言葉足らずな証言を鵜呑みにして先走った。
そして、彼はこの世界の魔術により人工的に再現した歪んだ銀の鍵とディートの魂、そして案内人の一部を代償として、無理矢理窮極の門に至ろうしてしまった。
なんの障害もなければ、彼は今頃、『一にして全』『全にして一』『アカシックレコード』とも言われる、時空の制限を一切受けることのない無限にして最強の神性、ヨグ=ソトースと対面したいたことだろう。
だが、忘れてはならないのは、シラノでさえこの世界においては妨害によりアカシックレコードへの接続が出来なかったという事実。
そんな者が、窮極の門の守護者の頭越しに門を越え、かつなんの手順も踏まずにヨグ=ソトースへと至ろうとする者の存在を許容するはずもなかった。
知覚出来ない超次元的な空間において、唯一認識出来る者がアヒムの前に現れた。
彼の前に現れたのは、黒いカソックを着込み、薄気味悪く笑う神父だった。肌の色から手袋まで全身黒装束である彼の浮かべるその笑みは、アヒムを蔑んでいるようであり、また彼をあざ笑っているようでもあった。
――愚か者が。
アヒムが最後に知覚したのは、その神父の口元が、そのように動いた事だけだった。
その日、アヒム・アーレ・ド・アーベラインという存在はこの世界から姿を消した。
「あああああああああああッ!」
「くそッ」
達也は悪態をつきながら、襲いかかってくるエルフを剣で斬り伏せた。
胴体と綺麗に分かれ、自身の足下に転がってきた頭を蹴り飛ばしたくなる衝動に刈られながらも、達也は何が起きているのか必死に把握しようする。
辺りを見渡すと、そこは森の中でも木の生えていない空間になっており、一見すると広場のような場所だった。
そこがエルフの森の中心なのは彼の知識と、出がけに念の為に確認した地図から間違いないのだが、そこにあったのは世界樹と呼ばれる樹の亡骸だけだった。
世界樹そのものは枯れ、枝は腐り落ちている。周囲の樹木は無事なのにも関わらず、その世界樹だけが朽ちているという光景は、一種の不気味さを達也に植え付けた。
達也がシラノから聞いた話では、世界樹にイスの偉大なる種族が宿っているということだった。
では、彼らは滅んでしまったのか。そう疑問に思うが、達也は即座にその可能性を否定する。
(そもそも、時間を完全に操れるような、とんでも種族がそう簡単に滅びるのか?)
イスの偉大なる種族が滅びる可能性を否定した達也は、エルフに襲われる苛立ちからとりあえず叫んでみた。
「おーい、イスの偉大なる種族さん? シラノからの手土産もあるから出てきてくれませんかー?」
その声に反応して木々の陰から出てきたのは、一人のエルフだった。
「くそ、またかよッ!」
達也は剣を構えるが、エルフは一向に襲ってこない。彼が不審に思っていると、そのエルフが突然話し出した。
「初めまして、小さな勇者よ。私が貴方たちの言う、イスの種族です」
「……は?」
「我々は精神体ですので、何にでも乗り移れるのですよ」
その説明を理解するのにしばらくの時間を要したが、それでも何とかとんでも種族故なのだと納得した。
「それで、世界樹が枯れたから今度はエルフに精神を移したってことか?」
「いえ、それは違います。私はその樹が枯れたから離れたのではなく、この世界が滅びるから離れるのです」
「……は?」
達也はその途方もない話しに今度こそ開いた口が塞がらなくなったが、エルフに宿ったイスの偉大なる種族は話しを続ける。
「夢から追われた者は虫を駆除し、逃れた虫は召された魂を利用して、無形の踊り子と楽器の音色を打ち止める。かくして、慰められていた造物主は目覚め、全ての夢は醒めるだろう」
エルフはそこで一端言葉を区切った。
「それで、私に何用か。それに、先程の手土産とやらを先に頂きたいのだが」
「あ、ああ。これだ」
達也がひとまずエルフの不吉な言葉は忘れることにし、シラノから持たされていた本二冊を手渡した。
エルフはその中身を流れるように目を通すと、満足したのか頷いた。
「これは大変興味深いものを頂きました。それで、私に何用なのでしょうか?」
「俺に、時間操作を教えてもらいたい」
それから、達也は自身の置かれている現状を事細かに説明した。
しかし、その後エルフから紡がれた言葉は彼の期待を裏切るものだった。
「残念ながら、貴方の友人を助けることは出来ません」
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