第三十四話 誤った選択
「……こうか?」
「違うな」
書類にサインをしながら、シラノは達也の質問に簡潔に答える。
「……これでどうだ!?」
「そうではない」
「……じゃあこうだろ!」
「はぁ」
シラノは手続きをしていた書類を机の上に置き、思わずため息をついた。彼は執務室にて政務をこなしながら、達也に魔術を教えていた。通常の魔術は全て習得し、いよいよ時間に関する魔術に取りかかった段階で問題が起こった。
この世界の魔術とシラノの使う魔術は根本的に異なっており、達也の勇者としての力はシラノの魔術に対して全く意味をなさなかったのだ。この世界の魔術に多く触れていた彼は通常の魔術を覚えることは出来たが、時間制御となると手も足もでない状態になってしまっていたのだ。
「全く、無知蒙昧とはこういうことをいうのか。君を教える上で私も大変勉強になった」
「じゃあどうだって言うんだよッ!?」
最初の内はうやうやしくシラノに接していた達也だが、シラノが怒るという行為を全くしないと分かると、急に手のひらを返したかのように態度がフレンドリーになっていた。そして、普段そういった態度で人から接せられることのないシラノも、その新鮮味が気に入ったようで、彼の態度を咎めぬように周知していた。
「だから何度も言っているだろう。そもそも時間など人の脳で処理しきれる概念ではないのだから、理解しようとするなと。そういう概念がそこにあると分かっていればそれで構わん」
「理解出来なきゃ習得出来ないだろ……」
達也は力ない反抗の声を上げながら頭を抱えた。すると、そこで扉がノックされる。
シラノが入室許可すると、カノンが一礼して部屋に入っていた。
「シラノ様、新たな抗議の手紙が届いています」
「またかね?」
勇者を保護したという情報がどこから漏れたのか、またはシャッガイの持つ特殊な技術を使ったのか、シラノが勇者を匿っている事を帝国は知っていた。そして、帝国はこのことを勇者の拉致だとして、正式に何度も抗議していた。そしてシラノの元に送られてきた手紙と同様のものがルドルフ一世のもとにも送られている。
「はい、またです」
計数十通に上る手紙にいい加減うんざりしているのか、カノンも思わずため息をついた。
「侵入を試み失敗すれば次は抗議か。全く愚かなことだ」
「それって……帝国だよな?」
「そうだとも。私も妖虫がこの国に入ってくるのは我慢ならなくてね。この領地には幼虫に関する結界を張っている。安全だ」
シラノがそう断言すると、達也はほっとした様子で胸を撫で下ろした。そこで、シラノはカノンが何か言いづらそうにしているのに気が付く。
「どうしたのかね、カノン?」
「あ、すいません。お話の邪魔をしてはいけないと思いまして……先程申しました手紙の件ですが、今回は以前のものとは少々用件が違うようでして」
シラノは手紙を一々見るのは面倒なため、来た手紙の内容を確認するようにカノンに言いつけていた。
「ふむ、どういったものかな?」
「端的に申しますと、勇者を引き渡さぬなら武力奪還に移行するとのことです」
「それは、我が国と戦争をするという宣戦布告かね?」
「いえ……どうやら王国もこの件に関しては不干渉を貫くようです」
ルドルフ一世は神話となった件の出来事以来、シラノの統治するアードラース領に対して一切干渉しなくなった。宮廷貴族が未だにシラノをその地位から蹴落とそうとしている事に関しても不干渉を貫いている。そして、人々の前に姿を出すことは一切なくなってしまった。病で亡くなったことになっているユリアの死が原因で悲しみの余り気が触れてしまったのだという噂すら流れている。そして、現在人々の前に姿を見せているのはルドルフ一世に変わって第一王子であり、次期王は第一王子で内々に決定しているという噂も流れていた。その噂を裏付けるように、第一王子の周りの警護は今やルドルフの警護にも匹敵する規模で行われている。
ルドルフが干渉しなくなったとはいえ、国防に関わることにまで手を出さなくなるとは思わなかったシラノは内心意外に思っていた。
「自国領内に隣国が侵入しても不干渉とは……かつてそんな国があったな」
(神話の一端を垣間見た程度でこの体たらく……ルドルフもその程度だったというわけか)
ルドルフがそうなった原因は神話で葬り去られたのが娘なのだという事実が大きな割合を占めているのだが、前の世界で大量に女性を孕ませ虫けらの様に扱った事もあるシラノはそこに考えが至らなかった。
「それで……いかがなさいますか?」
シラノはしばらく目をつぶり考える。シャンの行おうとしている事とその危険性、そして勇者達のことを考慮して、シラノは今後の計画を決めた。
「妖虫がしようとしていること予想することは難しくない。恐らく、アレを起こそうとしているのだろう。ならば、早々に排除してしまう方がいい」
この時の選択が取り返しの付かない過ちだったのだとシラノが気づくのは、全てが終わった後の事になる――。




