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第三十話 神話の結末

 シラノ達は眼前の光景を眺めながら満悦な表情をしながら、どこから取り出したのか豪華なイスに腰を下ろし、ペン持ち何も書かれていない書物にその光景を(したた)めていた。ルドルフとエヴィンは結界に囲まれており水に溺れる事はないが、シラノは生身のまま海中におり、地上と同じ行動を魔術により再現しているとはいえ、その光景は彼が水中にいるとは思えないものだった。

 彼が認めているその光景は、ルドルフが知っている神話そのものだった。無数の深きものたちは飛行するように海中を縦横無尽に飛び回り、握りしめた三つ叉の槍でユリアに攻撃を加えていく。ユリアはその攻撃をしのぎながら何とか魔術で足を再生させるが、水中のため身動きが思ったようにとれず、しのぎきれなかった槍が腹部や腕に突き刺さる。だが彼女もただやられている訳ではなく、一体ずつではあるが近づいてくる深きものを左の触腕で確実に葬り去っていった。

 召喚されたクトゥグアは、召喚主であるユリアの助けに入ろうとするのだが、それを海底からにじみ出てきた玉虫色で不定形のアメーバのような物体が割ってはいり、立ちふさがるようにして邪魔をした。そのアメーバはあらゆるところで無数の目や口が開いては閉じ、またあらゆるところから触手を伸ばしては縮めている。

 そして、足止めされたクトゥグアにカノンが攻撃を仕掛けた。彼女はクトゥグアの下に魔法陣を敷くと時間をおかず即座に魔術を発動し拘束した。

 海中にいるとはいえ、クトゥグアは旧支配者である。そんなもので長時間拘束出来るほど甘くはなく、すぐさま拘束は溶けるようにして崩れ落ちる。だが、その短時間でカノンはクトゥグアの目の前まで移動していた。クトゥルフを取り込んだ彼女にとって、この海底――ルルイエは独壇場であった。

 カノンはその右腕を振るい、クトゥグアの半身を消し飛ばした。しかし、それと同時にクトゥグアを中心に小規模な爆発が起こった。本来であればこの場のすべてを飲み込むほどの爆発は、この場においてはその威力が制限されていたが、それでも直撃したカノンは二、三メートルほど吹き飛ばされ、彼女の皮膚は焼き焦げた。

 カノンの皮膚はすぐさま回復したが、炎そのものであるはずのクトゥグアの半身は少ししか回復しておらず、その右腕はなくなったままだった。


「なるほど……これがクトゥグアの力なのですね。実に素晴らしい」


 そう言うと、彼女の鉤爪の生えた右腕は水中にも限らず燃え上がり、クトゥグアの再生しない右腕そのものにしか見えない腕になっていた。

 彼女はその鉤爪でクトゥグアの半身を消し飛ばした時、一部ではあるがクトゥグアの魂を確かに喰らっていた。


(これほどの力……地上なら勝てるかどうか分かりませんでしたね。やはり海底都市であるルルイエに引きずり込んで正解でした)


 左手には鋭い鉤爪が生え、右手は炎そのものが手を(かたど)っており、その皮膚はゴム状で鱗のような模様が浮き出ているという様相のカノンは、自身の判断の正しさを確信していた。事実、もし地上で彼女がクトゥグアと戦っていたのなら、負けるか、もしくは勝ったとしても大きな傷を追っていた事だろう。

 クトゥグアの魂を喰らい尽くして戦いに少し余裕の出来たカノンは、ユリアはどうなっているかと横目に確認した。

 ユリアはやはり満身創痍であり、体に突き刺さったままの槍を抜く暇もなく深きものたちの攻撃を凌いでいた。普通ならここでこの戦いの勝利を確信してもいい光景であろう。だが、カノンはそう考えずに、寧ろ得体の知れない危機感のようなものが押し寄せてきていた。彼女には、ユリアは満身創痍であるが、徐々にその存在を大きくしているように感じていたのだ。


「ちっ」


 その事に不快感を覚えたカノンは舌打ちをすると、迫り来るクトゥグアを海底へたたき落とした。たたき落とす寸前でまたも爆発が起こり多少吹き飛ぶが、それにより生じた負傷は瞬く間に再生しいていく。そしてその再生速度は、クトゥグアの一部を取り込む前よりも速まっていた。


「ショゴス。捕らえなさい」


 その声に従い、ユリアとクトゥグアの間を仕切るようにして立ちふさがっていた玉虫色で不定形のアメーバ――ショゴスは覆いかぶさるようにしてクトゥグアの上にのしかかった。

 クトゥグアそのものが炎なので、当然ショゴスはその火に焼かれ、肉が焼けるのに似た音が水中を伝ってカノンにも聞こえている。そして彼女は、その焼かれているショゴスごと魔術で拘束した。

 水中で浮遊していたカノンその近くに降り立つと、ゆっくりと近づいた。そして、ショゴスに手を翳す。

 カノンはそのまま押さえつけているショゴスごとクトゥグアを喰らう。シラノから授けられた魔術を使いショゴスとクトゥグアを喰らうと、クトゥグアは断末魔のように激しく燃え上がったのを最後に消滅した。彼女は自らの内に、人のような下位のものではない上質な魂が取り込まれたのを感じ、満足そうな笑みを浮かべて頷いた。


「さて、残るはアレだけですか」


 カノンは飛んできた槍を腕で叩き落としながら振り返る。そこには、深きものたちを全員殺しきったユリアの姿があった。だが彼女の姿は、面影はあれど大きく変貌していた。彼女の体は依然より確実に大きく膨張し、ボロボロになった黄衣の裾からタコにも似た触肢がいくつも生えていたのだ。

 そんなカノンを、ユリアは人間を見るときと変わらないなんら感情の籠もっていない目でその姿を見つめていた。


「とうとう憑依……いえ、もはや身体を浸食してハスターが降臨しつつあるわけですね」


 カノンはゆっくりと泳ぎながら近寄っていく。


「あ、ああ……あああああああああッ!」


 ギクシャクとした動きをしながら嘆きにも悲鳴にも聞こえる不快な叫び声を上げながら、ユリアはカノンに襲いかかる。

 カノンは迫り来る触肢を冷静になって眺めていた。既に数千もしくは数万の人の魂と、クトゥルフ、クトゥグアという二体の旧支配者を取り込んだカノンに、ハスターになりきれていないユリアの攻撃など効くはずもないからだ。

 カノンの予想通り、ユリアの攻撃を受けたはずの彼女は水中で浮いているにも関わらず微動だにしなかった。そして、自らの身体に触れた状態で止まってユリアの触肢を、左手の鉤爪で無慈悲に切り落とした。

 言葉にならない悲鳴を上げながら逃げようとするユリアをカノンが逃がすはずもなく、そのまま地面に叩き伏すと炎の右腕を実体のある触腕へと変質させて押さえ込んだ。


「あああ……ああ……」

「すでに人の言葉も話せませんか」


 カノンは何かをあきらめたかのように首を横に振ると、左腕を掲げ魔術を展開する。カノンがユリアを取り込むための魔術を入念に準備していると、ユリアが意味のある言葉を漏らした。


「あ……し、らの……さま……」


 何かに縋るようにして、押さえつけられ這い蹲っている彼女はシラノ達がいる方向へと触肢を伸ばした。


「おね、がい……あ、いし、て……」


 その言葉に憤ったカノンは、まだ不完全ではあるが今のユリアを殺しきるには十分な魔術を即座に発動し、それを彼女に叩き込んだ。

 ユリアはそれ以上の言葉を残すことはなく、光の粒子となって消滅していった。


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